正義の味方の最期
サントルにもらった剣は、やっぱり手に馴染む。
シオンから取り返してきた。これさえあれば負ける気がしないと思える。腰にフィリアがしがみついていて、背中にその体温を感じる。
ブランシェが飛びながら回転して、キメラの振り下ろした爪を避けきった。
そこでファイアボールを放つと、フィリアが風魔法を使ってさらに膨れ上げさせた。ファイアボールが着弾と同時に大爆発を起こし、キメラがビンビンと空気を震わせながら大きく鳴く。ブランシェはものともせず、咆哮を上げるキメラに迫っている。
「でぇええええっ、やあああああああっ!」
両手で持った剣を、身を乗り出しながらキメラの体に突き立てる。ブランシェが駆け抜ける。キメラの表面を一気に切り裂いたが、ブランシェの前に尻尾が現れた。ぶつかりかけたのを、フィリアが魔法で弾き返してそのまま抜けられた。
そう思った。
いきなり、目の前に別のキメラが現れていた。
ブランシェが上昇して避けようとしたけど、巨大な爪がその先に待ち受けている。
衝撃がした。ブランシェが叩き落とされる。すでに壊れている島には海水が流れ込んでいて、硬そうな岩の地面にぶつかることはなかったけど海水の溜まりに沈んだ。海水の中で目を開け、上を見る。巨大な影。
ヴァイスロックを使い、踏み下ろしてきていたキメラの足を下からかち上げた。ブランシェの首に腕を回して泳ごうとするけど、重くてなかなか浮上できない。フィリアはちゃんと泳げるかと思って、首を巡らせる。
「ごぼっ……」
叫びかけて口から空気が抜けた。フィリアが沈んでいる。落ちた時に何かあったのかも知れない。魔縛を使ってフィリアの体を縛り、引き上げる。でもブランシェが重くて浮かび上がれない。この毛が水を吸いすぎてるんだ。水が大敵のワイバーンだったのかも知れない。
ブランシェは暴れるように動いちゃって、それでもうまく泳げない。また、影がかかる。上を向く。鼻の穴にまで海水が入ってきて痛くなった。
キメラの足が、踏みつけてきた。
赤いものが海に漂っている。
息が続かない。足りない。体が重い。赤いものの出所はブランシェだった。翼が変な方向に折れていて、そこから血が溢れて海を薄く染めている。目が細められていた。
痛そうだ。辛そうだ。苦しそうだ。
がんばれ、と撫でて応援しようとしたら腕が動かなくて痛みが奔った。俺の右腕も、折れてる。泳げない。息が、続かない。半開きのブランシェと目が合った。首を動かし、こっちに近づけようとしている。左手でブランシェの鞍を掴んで身を寄せると、いきなり顔を突つかれそうになった。でも違った。口の中に尖った嘴が入り込み、かと思ったら空気が入ってきた。漏れかけるのをこらえる。ブランシェが嘴を引き抜くと目を閉じた。
鼻から、ブランシェにもらった空気を少しだけ漏らす。
ありがとう、ブランシェ。おやすみ。
フィリアを縛っていた魔力の糸を引き上げる。だが、何かに引っかかって、俺の体が深いところへ引き寄せられた。せめてフィリアは助けなきゃいけない。潜るとフィリアが岩に挟まれていた。剣を間に差し込んで、それを下に押し下げながら岩をどかしにかかる。でも重い。魔鎧を使い、一気に跳ね上げた。僅かに浮かんだフィリアから血が出ているような感じはしない。意識をなくしてるだけだ。
そこでまた、ブランシェからもらった空気が口から溢れる。
限界が近い。フィリアを左腕に抱いて、サントルからもらった剣はそのままに上を目指す。早く、息をしなくちゃダメだ。足を使って泳ぐ。水面から光が入っている。あそこまで、辿り着ければ。息が保つかな。保ってほしい。
もう少し。
もうちょっとだけ。
「――ぷはぁっ……はぁっ……はぁーっ……はぁっ……」
顔が出て、大きく吸う。
体の中に空気が入ってきたのが分かる。
まだキメラはいて、ワイバーンが飛んでいる。
フィリアの襟を口で噛んで、左手から魔縛を放った。
岸の岩に巻きつけて、一気に体を引き上げる。
「フィリアっ……フィリア、フィリアっ!!」
横たえたフィリアに声をかける。
溺れてる時って、どうすれば良かったんだっけ。何か、レオンが言ってた気がする。き、き、きどーかくほ? 分かんないけど仰向けにして、顎を上に持ち上げさせればいいんだ。そうだった気がする。そうする。でもフィリアは目を覚まさない。
「っ……」
次は、えーと……心臓マッサージ、と、じ、じん……言葉忘れたけど口つけて息を中に送るんだ。心臓マッサージは、ええと、胸の、真ん中よりちょっと下を押すんだっけ。どれくらいで押せばいいんだろう。魔鎧とか使ったら骨とか折れちゃうのかな。じゃあなしだ。
「フィリア、目を覚まして……フィリアっ!」
声をかけながら、左手で胸を押す。
それから、じん……何とか。鼻をつまんで、息を送るんだよな。
フィリアの小さい鼻を左手でつまんで、口をつけた。鼻から息を吸って、吹き込む。口を離す。
目を覚まさない。まだ足りない? もう一回、心臓押さなきゃ――
「リュカぁっ!!!」
レオンの声がした。キメラが口を開けていた。その中に光がある。顔がこっちを向いている。あの光を出されたら、耐えられない。避けるにもフィリアを――ダメだ、逃げられない。
「っ――」
フィリアを左腕で抱えて、キメラに背中を向けた。
魔力を全力で出しながら体を守り、フィリアごと包み込む。光が横を駆け抜けた。直撃じゃなかった。けれど、衝撃の余波が届く。ものすごい熱だった。それが過ぎ去っても、体が痺れたような痛みが残って動けない。
まだ、フィリアは目を覚まさない。
どうにかフィリアには傷を作らなかったけどって思ったら、赤いものがフィリアの体に落ちた。ぽたぽたとこぼれて、フィリアを汚していく。俺の血――?
光が駆け巡っていった、右側の感覚がない。
首を動かしてそっと見ると、後悔した。肌が溶けてなくなって、肉が見えている。場所によって骨まで。その感覚は右半身の全体に及んでいる。
顔も、肩から腕も、腰も、足も。
きっと直撃していたら完璧に消えていた。
地響きがして体に痛みとなって響いた。
キメラがこっちへ歩いてきている。レストに乗っているレオンが、こっちへ来るのを妨げるみたいに顔の前を飛んで攻撃している。でもキメラは嫌がりながらも足を止めない。迫ってきている。
その時、ないはずの心臓が跳ねるような感じがした。
苦しい。ヒビが入るような痛みが、胸のあった場所にする。何だろう、これは。
ふと顔を上げたら、ソアが立っていた。
「ソア……?」
無言でソアが、手にしている鎚でそっとフィリアの頭を叩く。
それから、鎚を持っていない手で俺の頭に触れた。髭もじゃの口元がやさしく笑う。
そっか。
そうなんだ。
この胸の痛みは、俺の終わりが近いってことなんだ。
「……リュ……カ……?」
「おはよ、フィリア」
すぐにフィリアが目を覚ました。ソアの姿が消えていた。
俺を見たフィリアはすぐさま目を大きくする。
「回復魔法を――」
「だいじょぶ、もう」
「大、丈夫……?」
「バイバイの時間になっちゃったみたい」
ゆっくり立つ。
フィリアが俺を見上げている。
「バイバイって……何で……?」
「何か……もう、死んじゃいそうな感じみたいだから、大丈夫。
良かった、フィリアがちゃんと目え覚ましてくれて」
「リュカっ……? 何を言って……」
「キメラも、俺がちゃんと倒すから」
振り返る。
キメラが近づいてきている。
最期だ。
多分もう、すぐに死んじゃうことになる。
だったらソアにもらった力を全部使い切ってもいいと思った。あまり加護の力を一度に使いすぎると、体が耐えられなくなって壊れちゃうことがある。だけど、最期なら別だ。
「リュカっ、待って……! 待って、いかないで……」
「だいじょぶだって、フィリアは」
「違う……大丈夫じゃない、わたしは……あなたに、いてほしい」
「もう大人なんだからフィリアは平気だよ」
「平気じゃないっ!」
立ち上がったフィリアが少しよろけ、それを支えた。
地響きがどんどん近づいてくる。
「リュカのことが、好き。
ずっと近くにいてほしい、この好きは……リュカと、キスをしたい、好きだから……」
「それならもうしたよ」
「えっ……?」
「あっ、でも……んー……ちゃんとしたキスじゃなかったけど……まあ、口つけたら、チューだし」
だと思う。
じん……何とかしたし。
「違う、分かっていない。リュカのことを、ひとりの男性として――」
「もう時間ないみたいだから、ごめん。じゃあね、フィリア。元気で、あとレオンのこととかもお願い。俺、家族っていなかったから、レオンやエノラや、フィリアや、ディーも……皆がいて、嬉しかった。ありがと」
泣き出したフィリアを左手で撫でてから、肩を掴んで放した。
背中を向けて、すぐそこに来ているキメラに向き合う。大きい。すごく大きい。
胸にまた、痛みがする。
ピリピリと何かが剥がれていくような痛み。
「雷神ソアの、鉄槌を受けろ。
俺は雷神ソアの神官にして、レオンハルト・エンセーラムの従者」
ソアにもらった加護を全開にして、手を上げた。
天から顕現した、ソアの大槌。
それは分厚い黒い雲の中で、バチバチ音を立てて鎮座する。
「そして、皆を苦しめる悪を倒す、正義の味方だ――!!」
手を振り下ろすのに合わせ、天から光が落ちた。
まだ動いていた全てのキメラを、同時にソアの鎚が枝分かれて打ち砕く。
地面がひっぺがされて抉れ、衝撃と爆風がそれを空へ巻き上げていく。
キメラが断末魔の叫びを上げていく。
「はぁああああああああ――――――――――――っ!!」
一際強く雷が光り、キメラが全て弾けとんだ。
空が晴れる。体の痛みが引いていく。
胸が、戻ってきたような感じがした。
「あー……お腹減った――」
立っていられなくて、仰向けに倒れた。
フィリアの顔が見えた。空からレオンが飛び降りてくるのも見えた。




