俺は穴空きレオンでいい
「――フィリアっ!!」
壁をぶち破った。
瓦礫が転がり、その部屋に踏み込む。
一瞬、ぞっとした。
フィリアが血塗れだったせいだ。だが、目だけ向けてきて、その血がフィリアのものじゃないと分かった。フィリアの足元に見知らぬ男が倒れている。首を両側から叩き潰されたかのような死体だ。胸元もざっくりと切り裂かれている。
「わたしは無事」
「っ……良かった……」
安堵しかけてから、気を引き締めた。
ナターシャがいる。大量のカルディアを背に立っていた。いくつあるか分からない。100は超えているような数だ。そしてナターシャの左側面の壁にはまるで監視カメラのような映像がある。いくつもの無数の光景を映しているが、モニターではなく何かの板に映像がある。魔法か、何かか?
それ以外は打ちっぱなしのコンクリートのような空間だ。
コンクリートめいた何か、で壁も床も塗り固められている。
「これはこれは……レオンハルト・エンセーラムさん。
よもや、またお会いできるとは思っていませんでした。見くびりましたね」
余裕を見せている。
ファビオとソロンが後ろから入ってきたのが分かった。
「カルディア……? こんな大量に……?」
「今度は虚像ではないようだな」
「同胞に会えるとは」
「貴様は同胞ではない」
「奇遇ですね、わたしもそう思っています」
スカした女だ。
「ガシュフォース」
ファビオが魔法を使った。
確か、魔力を散らすことで魔法を使えなくするような魔法だ。魔技はもちろんだが、魔法を放っても即座に霧散して消えてしまう。肉弾戦を強いられることになるが、転移で逃げられるということもなくなるし、ナターシャは見る限り魔法士だ。
体を鍛えて、技術を磨いて、実戦を幾度となく繰り返してきた俺達からすればナターシャを相手に確実に殺せる状況になったと言えるだろう。
「……なるほど」
何を得心したのか、ナターシャが呟いた。
「お前には訊きたいことがある」
「素直に答えると?」
「……西暦何年生まれだ?」
「年齢を尋ねているつもりですか?」
「もういい」
確定した。
フィリア達は分からないだろうが、はっきりした。
やっぱりナターシャは、俺と同郷。
いや、同郷にしたって広すぎるが――俺と同じで転生した存在だ。
そうじゃないかとは薄々思っていた。
俺や聖女を殺そうとしてきた動機は分からないが、遠く離れた土地にいた同士だ。共通点なんて、恐らくは記憶を持ったまま、この世界に転生してきてしまったというところしかない。俺達を転生者と分かったのは他でもないナターシャも転生者だったから。
このアジトの造りにしたってそうだ。
エルフの里とやらから、10歳にもならないで姿を消したとか言うのも転生者で中身はすでにまともな思考力を持った大人だったからできたんだろう。早咲きとかいうのだって、それの影響だったかも知れない。何せ、俺が昔にファビオからそう勘違いされてたんだ。
「カルディアで何しようとしてた?」
「新たな世界……っていうのに行こうとしているらしい」
「新たな、世界?」
俺の問いかけに、フィリアが言ってきた。
「よろしいでしょう、気が変わりましたのでお教えします。
その前に……レオンハルト・エンセーラムさん、あなたに問いたいことがあります」
「ああ?」
「帰りたくないのですか?
元の世界に、本当の意味で生まれた、あの地球に」
帰る――?
そんなこと、考えもしなかった。
だって俺は死んだんだ。
だから今はレオンハルトとして生まれ変わってる。
トンネルをくぐるようにしてもしも戻れたとして、それは俺が、俺の自我が初めて芽生えた時の元の体でもないし、どれだけの時間が経ってるのかさえ分からない。
「帰れるとしたら。
その方法があるとしたら。
あなたが考えうるような問題も解決した上で、戻れるならば」
ゆっくりとナターシャは言葉を紡いでいった。
言い聞かせるような、確信を持った声で語る。
「……帰りたいでしょう?」
胸が跳ねた。
頭が止まってしまう。
代わりに思い出されるものがあった。
狭い小さな公営団地で、両親と兄貴との4人家族だった。親父はサラリーマンで、お袋はコンビニのパートをしていて、共働きをしていた。小さいころはいつも兄貴と一緒で、俺が俺の友達と遊んでるところへ混じってきては年が上なもんで懐柔して、俺を蔑ろにするように遊んでいた。
団地の下の小さなスペースで、アスファルトにチョークで輪っかを書いてけんけんぱをしたり、捨てられていたトレーディングカードゲームを拾って、ルールも分からないで絵柄を眺めて、半裸のツボを持った美女をじっくり眺めてからかわれたり。
納戸で古びたギターを見つけて、チューニングも知らないで鳴らしたり。親父がボロボロの弦をチューニングしてくれた時にビンと弾けて切れ、新しいのを買って俺に教えてくれたり。それでもって中学初めての文化祭めいたもので先輩のバンド演奏を見ちゃったり、おんぼろギターと一緒にあったいくつかのレコードのジャケにいたミュージシャンに心を惹かれたり、そうして道を踏み外して大きくなった。
やり残したことはたくさんあった。
エレキギターをかき鳴らして、それで金をもらって食っていきたかった。
一般人には手の届かない美女を手に入れて、デッカい家を建てて、ワールドツアーをして、ロックの殿堂に入って、27クラブに入って死ぬ。それが夢だった。
全身をつんざくような音の塊。
ライブハウスの音は、着衣をビリビリと振動させてくる。
初めてそれを知った時には鳥肌が立って、俺も大勢を熱狂させてやるんだと拳を握った。
それが――やり直せるのだとしたら。
「未練はあるはずです。
あなたは、かつて見知っていたものを再現しようとし、していたのだから」
帰れる?
本当に帰れるのか?
「430のカルディア。
魂を移した器の肉体。
2449からなる魔法で構成した、魔法紋。
それでわたしは、帰還をするつもりなのですよ」
でも俺は、レオンハルトとして、前の世界と同じ時間だけ生きてきた。
いまだに違和感があることも多いし、ついて行けねえ文化も制度も目にしてきた。
「あなたを連れていくことも可能です。
わたし達からすれば、こんな世界はまやかしのはず。
野蛮で、非文明的で、洗練というものを知らぬ世界でしょう?」
心臓が早鐘を打っている。
高校生の時にバイトをしまくって買った愛機が脳裏をよぎる。40万円もした、ギブソンのエクスプローラー。あれを使って初めてコピーしたのは、メタルの帝王の曲だ。最高にクールなリフが今でも鮮やかに耳に蘇る。
「カルディアがあとひとつで、いよいよ道が開けます。
どうせ、去っていく世をどうして憂う必要があるのです?」
ナターシャの目がフィリアへ向けられた。
最後の、カルディア。フィリアが、フィリアから取り出されたカルディアで、帰れる?
「あなたの、本当の名前は何と言うのです?
わたしは山間に咲くような花の名をつけてもらいました」
「……俺の、本当の……名前?」
「忘れてはいないのでしょう?」
忘れるはずがない。
画数が少し多いが、誰かと被ることもなかったし、かと言って変な読み方をさせたり、浮ついたものでもなかった。
「……いや」
「ためらう必要が、あるのですか?」
ナターシャが手を差し伸べてきた。
「俺は穴空きレオンでいい」
ニゲルコルヌを向ける。
ゆっくりとナターシャの目が、大きく見開かれていった。
「どうして――」
膝に悪そうなコンクリもどきの床を踏みしめた。
ナターシャが棚のカルディアへ手を伸ばしかけたが、その腕にファビオの剣が突き刺さった。
「があっ……ぐっ――このっ!」
「後悔するような生き方を、してきたつもりはないんだよ!!」
ニゲルコルヌがナターシャの胸を刺し貫いた。
血を吐きながら、ナターシャが俺を睨みつけてくる。
「っ……どう、してっ……諦めが、つくっ……?」
か細い手がニゲルコルヌの柄を掴む。
「ロックのギタリストになりたかった。
そう決めて家ぇ飛び出した時に、堅実な生き方なんか捨てたよ。
辛かったけど楽しくて、日の目は見れなかったけど……そのことは悔やんでない。
前世じゃしっかり生き抜いたんだ、だから今度はレオンハルトとして生き抜いて死ぬ」
引き抜くと血が一気に溢れ出した。
ナターシャが倒れ、胸から、背中からだくだくと血が流れ出てきた。
そうして死んだ。
ちゃんと生きてさえいれば、どんな世界でだって生きれるさ。
それを放棄して、利己的に他人を害すれば恨みも買う、そして殺意を向けられる。
可哀想な女だった。




