孤独の30年
「祠まで魔影を広げたけど、そこに人はいないみたい」
「ならばまだ島内にナターシャはいるのだろうな」
でも、島の上にはいない。
魔影も届かない、今まで通ってこなかったどこかにフィリアは連れて行かれちゃってるんだ。
「ファビオ! ファビオなら、エルフの何かで、居場所くらい分かるだろっ!? なあっ!?」
レオンが思いついたようにファビオを振り返って詰め寄った。
だけどファビオは静かに首を左右に振る。
「っ――何でだよっ!? お前、エルフなんだろうが!? フィリアをっ……!」
「レオンっ!」
「うるせえ!」
取り乱してる。ここまでレオンが焦ってるのは見たことがない。フィリアのことが大好きだから、そうなるのは分かるけど良くない感じだっていうのは分かる。
その時、知っている感覚がした。
こめかみの辺りをピリと電流が奔った。
「シオン――」
「ああっ!?」
「シオンにさっき、雷神の紋をつけておいた。それが発動した」
「何っ?」
「動いたんだ」
「ナターシャか……! あそこに転移して――」
駆け出そうとしたレオンを、ファビオが剣を出して止めた。
「待て、確定的ではない」
「いないって決まったわけでもねえ!」
「同じエルフであるナターシャならば、あの封印を強引に解除することができるかも知れない。だが、そこへ誘き寄せるための罠という可能性もある」
「そん時はそん時だ!」
「相手は狡猾だ、今のように感情的に動けばまた嵌められる」
睨み合ったレオンとファビオの間に入った。
「俺が行く。フィリアがいたら、絶対に俺が連れてくるから、レオン達は別のところを探して」
「それがいい。今のお前は冷静でいられない」
「冷静でいられるはずが――」
「だからここへいろと言っている。探すぞ。行け、リュカ」
「分かった!」
「ま、待てっ……俺も行く」
遺体の近くでへたり込んでいたソロンが剣を取って立った。目の周りが少し腫れてる。何も言わないで頷いて走り出す。後ろをソロンも走って追いかけてきたけど、魔鎧を使ったら絶対に遅れる。
「背中に乗って、その方が速い」
言うと少しためらったけど、腕を掴んで肩から背負うようにした。魔鎧を使い、一足で数メートルを飛び越えながら進んできた道を駆け抜ける。来た時よりずっと早く、シオンを残してきた広場へ到着する。
「――やっぱり、いない」
その代わり、シオンが立っていた。
さっきの傷はもうなくなって、両手足が揃っている。服はそのままだったけど、ファビオが胸に刻んでいたはずの紋様もなくなっている。ナターシャは一瞬だけ来て、また消えちゃったんだ。
「封印が、こうもあっさりと……?」
「ソロンはレオン達のところに走って戻って。いなかった、って」
「お前は?」
「……シオンとは、戦わなきゃいけない」
どうしてか、そう思う。
ロビンの家の地下で負けたからかも知れない。
あの時に騙されてやられた悔しさは残っている。けれど特別にそれが強いわけじゃない。
むしろシオンを見ていると、エンセーラム王国があったころのことを思い出す。見た目が全然変わってないからなのかな。壁新聞の記事を書いてほしいって言われた。徴税の仕事を2人で分担して、ああした方がいいとか、こうした方がいいとか色々と言ってもらったりしてた。他にもたくさん、あった。
俺とシオンは特別に仲良しな関係じゃなかったけど、レオンのために生きているんだっていう同じ気持ちがあって、だから親近感があった。
だから、なのかな。
もうレオンは、シオンを元に戻そうって考えてはいないけど、俺はできるなら戻したい。
「自分は、アインスです」
「俺はリュカ・B・カハール」
「……名乗ったのではありません、訂正をしたのみです」
「レオンハルト・エンセーラム王の従者にして、雷神ソアの神官だ」
ソロンが走って広間を出ていった。
さっき回収しておいた、サントルにもらった剣を抜き身のままシオンの方へ投げた。それを掴み取ったシオンは表情を変えない。
「お前は、レオンハルト・エンセーラム王の従者の、シオンだ」
「違います。自分はアインスです」
「ユーリエ学校の先生のひとりだ」
「否定します」
本当は俺もシオンと戦ったりしないで、フィリアを探した方がいいと思う。
だけどフィリアもそうだけど、シオンだって俺達の――家族だ。
同じ屋根の下で短い間だったけど暮らした。
同じ食べ物を食べて、同じ太陽の下で、同じ海のそばで一緒に働いた。
「ナターシャの、お前は何なの?」
「答える必要はありません」
「しおん、って言葉は何?」
「教える必要はありません」
「俺はレオンの家族だよ」
「関係がありま――」
「お前も、レオンの家族だ」
「…………」
「血は繋がってないけど、お前は俺と一緒だと思う。
何もなかったところで助けてもらったから、レオンのことを好きになっちゃったんだ。
だからレオンの背中を見てついていこうって思って、そうしてきたんだ」
「自分はアインスです」
青光の剣を抜いた。
シオンは片手で剣を持ち、前へ出すように構える。独特の構えだと思う。
片手で剣を振れないことはないけど、力を込めにくかったりするから両手で持つのが基本なのに。
「アインスなんて名前は捨てさせて、シオンに戻す」
「戯れ言を……」
「シオンだったころの記憶だって、お前は持ってるんだ」
少しだけ、シオンの顔が動いた。
「ありません」
「嘘は俺に通じない」
「騙されたくせに、ですか?」
「見抜こうってやってないと見抜けないから騙されただけ」
喋ってても、意味はない。
それだけで戻ってくれる気配はないし、口じゃ俺は負けちゃうのをよく知ってる。
「ちゃんと答えて、シオン。
アインスって名乗りたいならそれでもいい。
お前が、今のお前として、答えろ。――お前はナターシャの、何だ?」
「1号です」
「可哀想に――」
シオンが飛び出してきた。
鋭い突きは小さい円を描くみたいに払いのける。
シオンの怖いのは、ここからだ。
普通に考えられる剣の動きをしてこないから、思いがけないところから攻撃をされる。予測すればするほど、シオンの剣にハマって傷つく。本当は戦いの中で染みついてるはずの動きを追って予想しなくちゃいけないけど、そういう無意識のクセをシオンは逆手に取ってくる。
払われたシオンの剣は切っ先を上下に揺らした。波のうねりのような動き。それがヘビの頭みたいににゅっと伸びてきて再びの突きを繰り出してくる。鍔でそれを受けて防ぎ、止める。押さえたまま重心をズラし、外す。また切っ先が下がる。下にくる――予想は、しちゃいけない。魔偽皮を使い、目を閉じた。顎の下へ刃が触れる。顔を上げながら避けきった。開いた目には何にも触れられなかった剣が振り上げられたのが見える。鈍色の光の尾を引いていた。
30年。
誰もいない島で、ただ過ごしてきたわけじゃない。
何もできなかったから、その時間の分だけ祈祷した。俺は普通の人じゃなくなったけど、それがソアの教えてくれた秩序を乱さないのかと思った。何ができるのか、考えた。どれだけ考えても、答えは出てこないし、ソアは答えてくれることもなかった。
だから、俺にできることをした。
祈るだけだった。
祈り続けてきた。
日が昇って沈むまで、ただひたすらに、祈祷を続けてきた。
手に握る剣はなくても。
思い描く明確な敵がいなくても。
型をソアは認めてくれて神官にしてくれたから。
「弱くなった? シオン」
青光の剣がシオンの顎の下――首の薄皮に少しだけ食い込む。
じわりと小さく小さく、シオンの首から血が滲んだ。




