裏切り
人が横並びになったら狭いような、細い通路だった。
天井に3メートルほどの間隔で光源がある。緑色の妖しい光を放つ、何か塗料だか苔だかよく分からないものだ。影は足元へ落ちる。伸びてきたかと思えば次の光源による影が生まれ、それが濃くなってくると前にあった影は消える。その繰り返しだ。
「足元ばかりを見ていると転ぶ」
後ろからフィリアに言われて肩をすくめる。
「分かってるって」
6人分の足音が短く響く。
やたらに長い通路だ。しかし物語に出てくるラスボスダンジョンという雰囲気はない。無機質な通路なのだ。装飾はなし。人に見せるものではないと主張しながらも、その造りはあまりにも、この世界には似つかわしくない空気を感じる。
「ナターシャのことは……この30年、追いかけてきた」
不意にソロンが口を開いた。
俺の後ろにフィリア、続いてリュカ、テレス、ソロン、ファビオという縦列で進んでいる。
「エンセーラム王、あなたや……ジョアバナーサ前女王、カスタルディ王を、責めるわけじゃない。
だが……俺は結局、カティアはテレスに取られるし、20も年が下の弟に……王位も譲る形になってしまった。
ボコロッタで絞首刑に処されると決まり、それを救ってくれた。だが、代わりに与えられた使命で、もう欲しかったものは消えてしまった」
静かに語るソロンは決して恨み節を吐いているというわけではなかった。それにしては語る言葉に力はないし、落ち着きがある。だが諦念による無気力さとも異なる。
「……それが、ようやく終わるのかと思うと、何だか変な気分になる」
「キミが軽卒だった、というわけのことでしょう」
「うるせえっ」
テレスに指摘されたソロンが噛みつくように言い返した。
だがそこには気心知れた者同士の、ある種この状況には場違いな暖かなものがある。
「まあ……敗者への哀れみだとしても、お前には感謝してるけどな。ここがあの女の拠点だって、お前が突き止めてくれたから動けてるんだ」
「……礼はいらないさ。ただの哀れみだ」
「けっ……」
素直じゃねえやつ。
それで会話が途切れた。
時折、通路には振動が届く。
ヴァネッサや、ロベルタや、ユベール、それにワイバーン達が敵と戦っているものだろうか。けっこう響くものだ。
巨大キメラを相手に立ち向かったヴァネッサ。不死の戦士を相手に戦っているロベルタとユベール。あいつらが強いというのは分かってるつもりだが、それでも大丈夫だろうかと不安は消えない。
ヴァネッサは単なる戦闘狂だから、というのもあってあまり悪く思っていない。
だがロベルタとユベールは俺のために来てくれたようなもののはずだ。熾烈な戦いを想定したからこそ、あれだけのワイバーンを従えてきたのだろう。俺は大したことをあいつらにしてやった覚えはないのに。
「皆さん――」
ソロンの声がした。
「この先、何があるか、分かりません。わたしが作った魔法があります。心に念じるのみで、相互に会話ができるというものです。万一に備え、これを使いませんか?」
「穴空きの俺でもできんのか?」
「魔法道具ですので、使用できるはずです」
「そりゃ便利だな。もらうわ」
足を止めた。テレスがバングルを取り出し、それを配った。左手首にはめ、使い方を教わる。バングルに意識を集中しながら、何かを胸の中で喋ればいいと言う。
〈――わたしの声が、聞こえますか?〉
耳ではなく、頭の中に声がした。
〈あーあー、ハロー、ハロー、マイクテス、マイクテス……。聞こえるか?〉
俺もやってみる。
何だかちょっと恥ずかしい。聞こえるんだろうか。
〈聞こえるよ。すっげえ、これ……。何か、変な感じ〉
〈ふむ……。精神感応系統の魔法を応用しているものか〉
〈せーしん、かんのー……?〉
〈心に作用する魔法の総称のこと〉
〈さすがテレスだな……〉
〈しっかし……何か変な感じだな、耳じゃなくて頭で分かるってのは〉
〈ところでレオン、マイクテスって何?〉
〈気にするな〉
〈このバングルをつけている者にしか声は届きません。
うまく使えばサインなどもなしに、相手に気取られず奇襲を仕掛けたり連携することもできるはずです〉
便利だな。
効果範囲はせいぜい50メートル以内ということだが、大した問題にはならないだろう。
さらに数分歩いて、ようやく通路の終わりが見えた。
奥から光が差し込んでいた。気を引き締め、歩いていく。薄暗い通路を出た。
「――ようこそ、無謀な勇気の持ち主達よ」
そこは外だった。
広さは野球場二面くらいはありそうだ。
地面は岩場で、海水もうっすらとある。潮がここまで入り込むのだろう。
ドームのように岩が覆っているが、一部分だけぽっかりと穴を空けていてそこから外の光が差している。わざわざ島をぶっ壊すまでもなく、よくよく探せばここを発見できていたのか。でも、上から見ただけじゃあそうそう分からなそうな感じだ。
そして、ナターシャがそこにいた。
改めて見ると、やたら綺麗な女だ。エルフなんてファビオとソルヤとセラフィーノしか知らないが、同系統の神々しさがある。顔立ちこそ違うが非常な美形という点で通ずるものはある。印象がファビオ達よりやや冷たく感じられるのは、白金のような髪色だろうか。光を反射して淡く輝いているようにも見える。
「……会いたかったぜ、クソエルフ」
「わざわざカルディアをここまで運んできていただいて、光栄です」
「カルディアを使って何をしようとしてる?」
「お答えするとお思いですか?」
浮かべられた微笑に温度を感じられない。
冷たいわけでも、暖かいものでもない。そこにのっぺりと貼りつけられているだけだ。
〈レオン、喋ってたってムダだよ〉
〈ああ、殺すぞ〉
〈お前ら血気盛んだな……〉
すでにリュカもファビオも、剣を抜いていた。
バングルで届けられた声には抑えきれないとばかりの感情が乗せられていた。
気持ちは分かる。
俺だって、いざ前にするとふつふつと腹の底からたぎってくるものを感じている。
怒りだ。
憎しみだ。
悲しみであり、自分への嫌悪感だ。
このナターシャがエンセーラムを消した。
アイナをそそのかしてディーの命を握らせた。
エノラが死んだ。
ディーが死んだ。
ミシェーラが死んだ。
マティアスが、ロビンが、リアンが、シルヴィアが、小娘が、マノンが、イザークが――。
他にも大勢が死んだ。
本来あるはずだった未来を、こいつが消した。
あらゆる感情が湧き起きては膨らむ。
グラスへ注ぎ入れた炭酸水が泡になって縁からこぼれるように、俺の感情も湧いては高まり頭のてっぺんまで迫ってくる。
「しかし、どうしてあなたがここへいるのか、分かりません。
それほど愛らしい姿になってまで」
「んじゃあ教えてやるから、てめえの企みも全部吐け」
「それはできません。いえ……不可能ではありませんが、不要な労力を費やすつもりはない、と言い直しましょう」
「だったら――」
ニゲルコルヌを握り締める。
じり、と飛び出すために足で地面を捕まえた誰かの音がする。
「――死んじまえ」
放った魔法が誰のものだったか、ナターシャの眼前で巨大な炎が膨れて爆発した。
それが開戦の狼煙だった。
アンチマテリアル魔弾を放つ。
ほぼ同時にリュカが、ファビオが、ソロンが、斬りかかっていった。
〈全くもって救われない方達だ。
都合がよすぎると、思わなかったのですか?〉
頭の中にナターシャの声がした。
アンチマテリアル魔弾をぶち込んだナターシャの姿が揺らめいて煙のようにほつれて消えていた。
皮膚の下に、棘ができたかのような痛みが全身に奔った。
痺れるような激痛。ぞくりとする程度ではない。神経を全てやすりで擦り上げられたかのような激烈な悪寒と痛みだった。脊柱が引っこ抜かれたような衝撃。
どうして――この声が、頭の中にする。
〈テアスロニカ王、あなたが気に病むことはありませんよ。
30年もの間、ご苦労さまでした。
あなたは勝者になれましたね〉
突然の激痛は俺だけを襲ったものじゃなかった。
リュカもファビオもソロンも倒れている。フィリアも同様だろう。ナターシャの虚像があった方へ、テレスが歩いていく。その目が冷たく俺達を見下ろしていた。