お前はよくやった
都は復興のために、まだまだバタついている。
しかし天気というやつは人の気を知らず、見事に晴れやかになっていた。海をたっぷり泳いで何匹か魚を獲ってから、今度は釣り糸を垂らすことにした。
あんまり呑気なことをしていると後ろ指を指されかねないので、都を離れたところでやっている。
そこへ、マオライアスはふらっと来た。
丸太に座るスペースを削っただけの、超簡単な手抜き丸太舟を出すところだった。釣竿を片手に乗れと手招きし、丸太舟を押した。岸から100メートルほど離れたところで、釣り糸を海に落とした。
「釣れそう?」
「どうだろな……」
第一声に肩をすくめる。
「引きこもりが、こんないい天気に海の上まで出てきて平気かよ?」
軽口を言ってやる。
マオライアスは俺がしたように肩をすくめてきた。
「……父さんは、偉大な人だったと思う。
僕の知る限りでは、あれほどの人物はいない」
マティアスが偉大、か。
すごいやつだとは思うが、偉大なんて言葉は少し首を傾げたくなる。
「僕の……産みの母も、傑物だと思う」
「それは完全に同意するわ……」
あの女王さんは女傑だ。豪傑だ。
あれに勝るような女はきっと、もう出てこないだろうと思う。男前すぎる女だ。
「けれど僕は……さっぱりだった。
強くもなければ、徳があるわけでもない。
特別なことができる、特別な人でもない。
きっと僕みたいのは世界中にいて、落ちこぼれだ……」
親がすごいから、子もすごくなる――とは限らない。
だがマオライアスにはそれが重圧だったのかも知れない。いや重荷でしかなかったんだろう。
「周りには……いつも僕よりすぐれた人がいた。
セラフィーノは言うまでもなかったし……学院には、とても勝てそうにない人がたくさんいた。
学院を出てからも……ずっと、どこにも、そういう人はいた」
釣り糸は波に揺らされてたゆたう。
さっぱり食いつきそうな気配がない。海は穏やかだ。
「努力しても……僕じゃ到達できないところに、そういう人達はいる。
何かが絶対に違っていて……それは単純な努力や、気の持ちようじゃ届かない」
それはどうだか。
月並みな言葉だが、諦めたらそこで――なんて表現もある。
だけどマオライアスの気持ちも分からないでもない。
どうやったって手応えの得られないことはある。どんだけ必死になってても、実らない努力だってある。これが原因だとハッキリするものじゃないから、往々にして成功者に対して「才能があった」なんて言葉を使ったりする。そして「才能がない」からムリなんだと諦めて、心の平定をはかるわけだ。およそ、自分の手の届きようがないところが原因でできないことにしておいた方が、傷つかないで済むから。
「……それでも……どうにかならないといけないって、思ったんだ」
そうか、と相槌を打って頷く。
諦めるのも、諦めないのも、その想いが強ければ強いほどに難しい。葛藤になる。諦めないと決めたのに現実の前に諦めようかと思わせられる。諦めるつもりになっても、不意に、何かがきっかけでまた再燃して諦めきれなくなる。
経験上、俺はそういうものだと思っている。
そういう拘りを放り投げられたらどれだけ楽かと思っても、縛られてしまうのだ。
「ティアとの出会いがきっかけで、そう思った。
だけど、守れなくて……やっぱり、ダメだと思った。
身に合わないことを考えたのがそもそもの失敗で……もう、何にも期待を持たないで、何もしなければいいって」
期待があるから、裏切られて傷つく。
だったら最初から希望を持たなきゃいい――理屈はあってるな。
「……レオンは、どう、思う?」
何じゃその質問は。
「そもそもの話……お前は落ちこぼれじゃねえよ」
釣竿を揺らした。
魚が食いついてきそうにない。
「でも、僕は……」
「充分強くなったし、成長した。
キメラだってリュカと一緒にぶっ倒したろ?
ディオニスメリアから、アイフィゲーラのこんな端っこまでひとりで来たんだ」
「偶然だ」
「偶然だろうが、弱けりゃどっかで野垂れ死んでたってもんだ。
まあ……お前はマティアスと女王さんの子どもで、同時にミシェーラの子どもでもあってさ、正直、ひいき目に見てた。あんま誉められないだろうから黙っとけよ。……で、その上で、デキのいい子どもだったよ、お前は。ちょっと内向的で、積極的に友達を作れるタイプでもなかったけど、素直だし、やっていいことと悪いことの区別もついてたし、流されやすいのは玉に傷だけど波風立てないようにっていう、大人しくてやさしい子どもだった」
セラフィーノと一緒にいたから、その影に隠れがちではあったが――それでもいい子だった。手がかからないのは、いい子の証だ。
「いっぱい失敗したっていいさ……。失敗するのは仕方ない。わざとそうしようとしたんじゃないのは、分かってる。力が及ばないことなんて腐るほどあって、ただひとつの失敗が、一生の後悔になることがあるんだとも分かるつもりだ。
でもお前はリュカを助けた。本当にどうでもいいんなら、自分にゃあ関係ねえって傍観を決め込んでりゃ良かったのに、そうしなかった。お前が生きていてくれたお陰で、あのキメラを倒せたし、リュカも……まあギリちょん、最悪は回避できたって感じだ。
だから胸張っていいさ。お前はよくやった。よくがんばった。
ありがとうな、マオライアス」
熱血教師だったら、ぶん殴って無理やりに前を向かせるんだろうか。
でも俺は熱血にはちょっとなれそうにない。可能な限り、責任なんて負いたくはないのだ。だから無責任に誉めて、励ましてやるしかない。あんまり上ばっかりを見上げさせられても首が疲れるだろう。下を見てばかりでも前を見られなくなるが、たまにならいいさ。
俯いてる顔を、ほんのちょっとだけ周りに向けられるようになってくれりゃあいいなと思う。
「……もう1回、がんばってみようかな」
「好きにしろよ、お前の人生だ」
釣り糸が、海の中に沈んだ。
竿がしなり、両手でそれを掴んで引き上げにかかる。海の底から、ゆらゆらと魚影が上がってくる。
「タモ! タモ持て、タモ!」
「タモっ?」
「網、網、網! 網だよ、すくうんだって!」
魚と格闘しながら指示を出し、苦戦しながら釣り上げた。
綺麗な桜色の鱗をした、鯛のような魚だった。鯛――だろうと思われる。多分、鯛だ。
「よし、鯛飯、作るか」
「たいめし?」
「ああ、うまいぜ? お前も食えよ。リュカとフィリアとも、一緒に」
そう言えばこの都でマオライアスを探している時、羽釜のようなものも見つけていた。そいつを買って鯛飯を作ろう。俺と、フィリアと、リュカと、マオライアスと。
広くて狭いこの世界で、ちゃんと生きて再会できたことを祝って。