伝わらない言葉
キメラの襲撃から、一晩が明けた。
まだ都は混乱に陥り、大勢の人が住処を失って瓦礫の中や、被害のなかった往来で過ごしている。
「無茶をしすぎ」
「ごめん、フィリア」
「いくら不死の体だとは言え、リュカはまた少し特殊。他の不死者は傷の治癒ができていたようだけれどリュカは胸の傷さえ塞がらないまま。つまり体が壊れれば、死なないまでも永遠に自力で動くことさえできなくなりかねない。だから捨て身になることはいけない」
回復魔法で治癒できる範囲にも限度はある。
手ずから晒し布の上から、リュカの背中を少しだけ強めに叩いた。治りきっていない傷には響くようでリュカは短い、くぐもった声で唸った。
「フィリアぁ……」
「何?」
「痛い……」
「痛くしたから、当然のこと」
シャツを着るのも手伝ってから、安静と伝えてベッドへ横にさせた。その顔はしごく不満そうで、目が休んでいたくないと訴えてくる。けれど気がつかないふりをする。
「……安静って、いつまで?」
「3日様子を見て、それ次第」
「……そんなに……」
またリュカが気勢の落ちた声を出した。
「いつもリュカは動いていないと気が済まないの?」
「だってやることないと退屈……。ずっと座ってるのもずっと寝てるのも体の毒だよ」
体の毒とまで言うほど、落ち着くのが苦手なのだろうか。
お父さんだって行動力はあるけれど、腰を据えれば平気で朝から晩まで留まれるのに。お酒を飲むか、音楽をやっているかの時しかないものの。
「ベッドの上でだって、やれることはある」
「でも……何したってすぐ飽きちゃうよ」
「何か、本とかを買ってくる?」
「字ぃ読むの嫌い……」
苦手ではなく、嫌いとは。
本さえあればわたしは10日でも30日でも穴蔵暮らしできるような自信があるのに。
「リュカは神官なのに、物書きもしないの?」
十二柱神話の神々に選ばれた神官の使命は、己が信奉する神の教えを広く教えることにある。そのやり方は様々にあるが、文書に起こして教えの広まっていない土地の権力者に与えるというのが割と一般的であったはず。だからこそ、神官は修行をする際に神話の書き取りなどといった簡単な試験を課されるとも。
「……だって、俺、文章苦手だし」
何とも言い難い。
「神官には、階梯という序列があったはず。リュカは?」
「……第三階梯」
このことは触れない方がいいと思った。
しかしふと、今はどうなのだろうとも思った。
「第三階梯になったのは、いつのこと?」
「いつ? えーと……俺が、16歳とかのくらい?」
だとすれば、もうずっと前のことだ。
「神官は大神殿での修行の他、成し遂げてきた功績によっても階梯を上げると聞いたことがある」
「そうだよ」
「リュカはエンセーラム王国で唯一の十二柱神話の神官として、布教をしていた。ソアへの誓言も忠実に守り、たくさんの人を助けてきた。今、大神殿へ行けば階梯を上げられるかも知れない」
「でも階梯なんかいらない」
少しは予想できていたが、見事な無欲ぶりを見せつけられた。
十二柱神話を信仰するクセリニアの諸国ならば、高い階梯にある神官は時に王よりも強い発言力を持つ。ましてリュカは雷神ソアの神官。悪い欲望と、雷神の神官であることと、高い階梯があればかなりの支配者になることもできてしまう。
だと言うのに、階梯をいらないと何の興味もなさそうに言い捨てた。あるいは、その重要性を正しく理解していないのかも知れない。けれど、分かっていてもリュカは鼻くそをほじって捨てるように階梯はいらないと言うかも知れない。
ただただ、リュカは正義の味方であることに拘りを持っているのだ。
「……暇なら、リュカ」
「うん? 何?」
「話を聞きたい」
「何の?」
「リュカの話」
「……俺の?」
「何でもいい」
「何でもいいって言われても……」
ベッドの傍に置いた椅子に座り、画板と木炭のペンを出した。
リュカは悩んでから、カハール・ポートという街にいたころのことを話してくれた。お父さんに出会うより前の、孤児としてふらふらその日暮らしをしていたころ。ものを食べるために盗みをして、どういう逃走ルートを辿れば確実に逃げ切れるのかとか、鍵穴というものの向こうには価値あるものが待っているからそれを開けるための練習を捨てられていた錠前でやったこと。そのコツ。
話が泥まみれのパンがおいしかった時のエピソードに移るころには、画板にリュカの胸から上を描けていた。
元孤児だと語っている人物には思いがたい、厭らしさや汚らしさのない顔。鼻は削り出したようにしっかりとし、一見すると堂に入った容貌だというのに、表情は豊かで口元はやさしげで、目は動物と同じような純粋さを感じてしまう。
「で、その拾った綺麗な貝殻を売りつけようとしたんだけど、俺、銅貨1枚でも誰ももらってくれないからって貝殻投げたんだよ。そしたら、それが偶然、何かよく分かんないけど悪いやつの頭に当たって、そいつが脅して別の人からお金を取り上げようとしてたみたいで、代わりに俺が追われちゃったのね。ぼこぼこにされたんだけど、その次の日にお金取られそうになってた人が俺のこと見つけて声かけてきて、助かったからって言って、白いパンくれたんだよ!」
食べものの話ばかりなのはリュカの趣向によるところかも知れない。
白いパンの味について、何かおいしかった、何か凄かった、と「何か」という伝わりにくい言葉を多用してリュカが語っている。
「リュカ」
「えっ? 何?」
「描いてみた」
「何を?」
画板をリュカの方へ向けた。
目が大きくなって、それから眉間にしわを寄せて凝視した。
「……これ、俺?」
「リュカ」
「フィリア、すごい上手……」
「それほどでもある」
「へえー……へええー……。すげー」
画板を渡すと、顔に近づけたり遠ざけたりしながらリュカがしげしげと眺める。
「フィリアがちっちゃかったころにさ、占ったことあるんだ」
「わたしを?」
「うん。エノラが連れてきて。天空神ウォーダン、雷神ソア、風神エルメィス、海神エナリオスが出た」
「……それって」
「うん、十二柱神話の中でも最強で、しかも相容れない2組の神様達。ものすごく強い運命に晒されるってその時は思った。
でもエルメィスが出てきた時にエノラと一緒に、何かレオンみたいだなって言い合ったんだ。風神エルメィスは芸能と学問の神様。すごく頭が良くて何でもできちゃうけど飽き症の神様で、何かレオンっぽいねって。
だけど……この絵見たら、エルメィスが出てきただけあったなあって思った。フィリアは何でもできてすごいよな」
そんなに誉められると、頬が緩む。
手で顔の筋肉をほぐしつつ、顔に出さないようにしておいた。
「ほんとは……フィリアが戦うことなんて知らないままなら良かったけど、それ以外のこととかもいっぱい知ってるみたいで良かった」
そう言ってリュカが画板をわたしへ返してきた。
6歳までの記憶でも、リュカは何でも誉めてくれたような気がする。そうでなくても、何か嫌な顔をするということがなかった。王宮にはお父さんもお母さんもディーもいた。キャスもいた。それが家族で、他にマノンとイザークがいた。セラフィーノは1年だけだったが、やはり王宮でお父さんはわたしやディーと分け隔てないようにセラフィーノに接していた。
けれどお父さんが言っていたように、リュカもその当時から家族の一員のようなものになっていた。
わたしにとっては物覚えついたころにはすでにいた、兄のような、父親と勘違いするような、心理的にとても近いところにいた。お母さんが試食のためにリュカに大量の料理を食べさせていたのを見ていたからかも知れないし、何かと用事があってリュカが王宮へ来る度に遊んでもらっていたからかも知れない。
「……リュカ」
「ん?」
小さいころの憧憬だろうか。
そうでもないと、思っているつもりだ。
「わたしはリュカのことを」
「うん」
ただただ。
単純に、明快に。
「愛しているという意味で、好き」
言った。
リュカは特別に表情を変えることもなかった。
「俺もだよ」
伝わってないのに、苦笑して済ませてしまった。
それをリュカは鈍すぎるものだから、首を傾げていた。
でもこういうところが、リュカの良いところだと思う。
誰にだってリュカは公正にやさしく、理屈や背後関係も気にしない。
どうにか分からせてやろうかという考えが浮かんだけれど、その時にお父さんが部屋に帰ってきてリュカに屋台の食べものを渡した。邪魔をするのが、本当に上手なお父さんだった。




