自暴自棄につける薬
マオライアスは、ティアという聖女に出会って少しずつ心情に変化が起きたと語った。
逃げ続けて辿り着いた地で、何度もエンセーラムのことや、エンセーラムのために戦っているはずのセラフィーノのことや、すでに行方を暗まして久しかったフィリアのことも聞いていたから、思った。やるべきことを見つけて、そのために打ち込んでいるのだと思うといたたまれなかったと言う。
だが聖女は、そんなマオライアスの胸の内を見透かしたように声をかけてくれたんだとか。
『みんなが強い心を持てるわけじゃない。
あなたはマジメで、責任感が強いから苛まれているだけ。
でもあなたはあなたなんだから、あなたがしたいようにすればいいんだよ。
ずっと苦しんできて、心が硬く強張ってしまっているだけだから、ゆっくり休んで心を休めればいいよ。
人が一生で果たすべき役割は誰かが決めるんじゃなく、自分で決めるはずのものだから、誰もあなたを責めたりしないよ』
マオライアスは聖女の言葉に想うところがあり、彼女の前に立ち塞がった困難をともに打倒するべく力添えをした。セラフィーノとともに6年、ディオニスメリアの王立騎士魔導学院で学び、その過程を修了してから3年か4年かかけて旅をしながら4大陸も渡り歩いたマオライアスは20歳前後にして、すでに戦闘のエキスパートだった。
不死の魔人と戦って。
何者かに操られた魔物と戦って。
異常な力を発揮する謎の魔物キメラと戦って。
聖女に心を救われながら、聖女をよく助けた。
「でも……ライゼル王国は、戦争に負けた。
国を守るために、最後まで戦争回避の道を探っていたティアは……その途中で、殺された。
僕は彼女を守れなかったんだ、目の前で……間に合わなくて、ティアは断頭台で……首を刎ねられた」
残された聖女の仲間達と、マオライアスは戦争を回避する方法を模索した。
だが止めることはできなかった。聖女を失ったことでライゼルの最後の王も精神的なダメージを受け、報復しなければならないと戦争回避の方針を一転させた。
周辺国から次々とライゼルは攻め込まれていき、負けた。
聖女にもっとも長く付き添ったという王家のひとりでもあった剣士は断頭台送り。
聖女を姉のように慕っていたという魔法士は自死を選んだ。
聖女の理解者であったという男は死地を探すかのように報復を始め、やがて殺された。
マオライアスは聖女も、聖女との繋がりで得た仲間も死なせ、また塞ぎ込んだ。
何もやるつもりが起きなくなって、うつのような症状で死ぬことばかりを考えた。だが、自罰的にマオライアスは何もしないまま死ぬことが、自分の罪にふさわしいと枯れた老人のようになり、今もそうして暮らしていると言う。
眠れない夜は安酒を吐くまで飲んでから眠る。
そのために酒場へ来たら、思いがけずして俺達と出会った――ということだった。
「今さらなんだ……。僕は、結局何もできないままの、役立たずだ」
卑屈になっていた。
立派になったのは背丈くらいのもんで、今は萎んだ本当に老人みたいな風体だ。
これまでに見てきた、俺の知っていた人々は誰もが前を向けていた。
その目線の先に見ているものはそれぞれ違うが、顔を上げて今よりも先を見ようとしていた。
だがマオライアスは俯き、過去に目を淀ませている。
小さかったころは相応の子どもだった。だが、ユーリエ学校に入ったくらいから、だんだんと内気になっていったのを覚えている。あまり人と関わるのが上手な子どもではなかった。
ジョアバナーサにいたころは城で暮らしていたんだろう。リュカに連れられて旅をし、辿り着いたエレキアーラのカノヴァス邸では軟禁されていたとマティアスに聞かせられた。だからあまり、同世代の、子どもの輪に入っていくのが得意ではないとあいつは分析をしていた。
それでもセラフィーノという行動力モンスターボーイと学院にいたはずなのに、こうまでなっちまうものなのか。いや、でもセラフィーノがそばにいたからこそ、余計に比較して劣等感を持っていったのかも知れない。
「……会えたのは、嬉しい。
けど今夜はもう……これで。さよなら」
「あ、マオっ?」
憔悴したままでマオライアスは部屋を出ていく。
それをリュカが追いかけていく。廊下からリュカが話しかける声は聞こえたが、マオライアスの声は聞こえなかった。
聖女の話はまだ聞きたいが、マオライアスも気になってしまう。
あのままにしておいても何にもならないだろうと。
「……お父さんと同じだった」
「ん?」
「ヤケになってたお父さんと、今のマオは……似てる」
「そう……かも知れないな」
俺はフィリアが生きていてくれたから、もうそれだけで良かった。
だがマオライアスは何も支えがない。セラフィーノとて、まだマオライアスに教えてはいないが死んでしまっている。打ち明ければ、何も手助けしてやれなかったからだとさらに落ち込みかねない。
「……ただいま」
しばらくし、リュカが戻ってきた。
「おう」
「マオ……どうしよう……?」
「さあて……人の心ってやつは難しいからな」
俺やフィリアより、リュカの方がマオライアスを心配している。
だがこういう問題ではリュカも手の打ち方を心得てはいなさそうだ。悪党を倒す力があっても、強靭な体や体力があっても、元気のない相手に元気を出させる役には立たない。
「とにかく……またマオと会って、聖女の話を聞きたい」
「でもフィリア、マオ……聖女のこと話すと辛そうだった」
「……それでもマオは生き残っている、聖女のことをよく知る唯一の人物でもある」
「だからって……」
じっとフィリアに見つめられ、リュカは肩を落として目線を逸らした。
ベッドへ入ったが、寝つきが悪かった。
いつもならすぐにいびきをかくリュカも静かだった。酒も入ってはいるのだが、酔いなどやたらに重くてハードなマオライアスの話で吹き飛ばされてしまった。
じっとしていると隣のベッドで静かな音がし、ドアの開閉する音もした。
寝返りを打てばリュカのベッドが空っぽになっているのが見える。何となく俺もベッドから降りた。フィリアは静かに寝息を立てていた。
宿の前でリュカは月の出ていない空を見上げていた。
その横へ立ち、同じように夜空を仰ぐ。もう1時間もすれば空も白んでくるだろう。都は寝静まっていた。
「……今のマオは、デアスにきっと見放される」
死神様だっけ?
死ぬ時まで一生懸命生きなさい、っつー教えの。
「そんな生き方、しちゃいけない」
「でも……それが、あいつなりに選んだことだ」
自分で自分に与えた罰なのだ。
あるいはそれも、現実から逃げているだけかも知れない。
だが、後ろ向きでありながらもそうマオライアスは選んだ。
「だとしても、俺は……認めない」
「だけどどうしたらいいか、分かんないよ、レオン」
「…………」
「マオが帰ってく時、元気出せって言ったんだ」
「言ったのかよ……」
空気の読めないやつだな。
そんなもん地雷を踏み抜くようなもんだろう。
「そしたら、マオが……俺のこと睨んで、悲しそうな顔してから、怒って、行っちゃった……」
ほら地雷だった。
「……拒否されてんだよ。放っておけ、って」
「でも放っとけない」
「嫌われるだけだぞ」
「……だけど」
知ってるさ。
お前はそういうやつだ。
「胸張れよ、神官なんだろ」
「レオン……?」
「お説教してやれ。雷神はお前のこと見込んでるんだろ? だったら、お前がそうしたいってことをすりゃいいさ。雷神様お墨付きで、認められてんだ」
俺はそこまで踏み込むことはできない。
多分フィリアが俺にそうしたように一歩踏み込み、それでダメならば――もう見捨てるしかできないだろう。薄情だとは我ながら思うが、もう燃えない炭を火にかけようとするような虚しさばかりで匙を投げるだろう。
「正義の味方なら、どんな状況のやつだろうが助けてやれよ」
無責任なことを言ってるんだろうか。
だけどリュカならやるだろうと信じられる。
暗い夜空を見上げているリュカは、ずっと黙っていた。