マティアスの誤算
「場外! 321番の勝利とする!」
2回戦は勝ってもスカッとするものじゃなかった。
相手には悪いが、生憎とこんなことをしている場合じゃない。
八百長を持ちかけ、応じないのであれば他人を利用する。最低のやり方だ。
言うことを聞かせるためにそこまでするのか。
本気でやってるやつを卑劣な手段で屈服させてまで勝ちたいのか。
野次も耳に入らず、すぐにさっきの女の先輩を探す。覚えておいた彼女の番号を掲示板で探して名前を探し当てた。それから、当てずっぽうじゃ見つからないと踏んで足を向けたのは学院内の救護室。降参も言わせてもらえないように痛めつけられていた学生は、確か彼女の弟だとか言っていた。
剣闘大会は怪我がつきまとう。回復魔法なるものはあるが、万能のものでもなく奇跡のパワーでどんな重傷者もたちどころに復活するわけではない。ただ体の内外の傷口をある程度まで塞ぎ、痛みをある程度まで緩和する。だから安静にする必要もあるし、よほど重篤だと治しきれない。
そういうわけで剣闘大会が行われている学院の救護室は賑わっていた。昨日、頬に傷を負ったせいでここへ行けと言われて足を運んだが、その時よりも人が多い。野戦病院――というほどでもないんだろうが、簡素なベッドがカーテンのような仕切りもなくずらずら並んでいるとすごい光景だ。
その合間を縫って歩きながら探すと、彼女と、その弟はほどなくして見つかった。
「イレーネ・ヒンメル……先輩」
声をかけると彼女は晴れて赤ぼったくなっている目を俺へ向けた。
「誰よ……?」
「レオンハルト・レヴェルト。……さっき、脅されてたのを聞いた」
ベッドに横たわっている彼女の弟は目を覚ましていない。そっちは名前を確認していなかった。
イレーネは俺が名乗ってから、目撃したと告げると怒りに顔をしかめた。俺に対するものではないだろうと思う。
「……それで、おチビさんが何かご用?」
「ああいうのは前もあったの?」
「ええ、あったわよ。前回は出なかったからここまでとは思ってなかったけど。それが何?」
「首謀者とかはいるのか?」
「それを知ってどうするの?」
「ぶちのめす」
「……やめときなさい。
そんな正義感でどうにかなるんなら、とうの昔に消えてるわ、こんなこと。
それに、誰が首謀者かなんてあたしは知らないから教えることもできないわ」
どっかへ行けとばかりにイレーネは手を振る。
構ってもらいたくない時っていうのは誰でもあるだろう。惨めな時、怒っている時、やり場のない感情をついつい発散したい時――。
「……お大事に」
大人しく退散する。
ちらほら、イレーネの弟のような状態になっている者がいる。
複数犯というのは明らかだったが、いやに大々的だ。
これだけの被害者がいるということは、それだけ勝ちを獲りにいきたい連中がいるということか。だとしても変だ。
誰かひとりを勝ち上がらせたいのなら分からないでもない。
でも実態は散発的にあちこちで八百長を持ちかけられているやつがいて、それを断ろうとして重態の者を出している。どんな手を使っても勝ちたいというバカが複数いるにせよ、手口は同じに見える。
組織的に、あえて勝敗を左右させたい試合がある――のか?
でもここまでめった打ちにできるほどの力を持ってるやつだっている。おかしい。奇妙だ。
でもピンとこない。
違和感があるのに、何がどうなっているのかが分からない。
こういうのはマティアスに聞いた方がいいのかも知れない。あいつなら詳しそうだ。
「どいたどいたっ!」
救護室のスタッフらしい学生が担架を運んでくる。何気なく目を向け――見たものを疑った。
「マティアス……!? おい、マティアス!」
担架に乗せられていたのはマティアスだ。
常に身なりに気を配り、毎日スカーフを取り替えて、武具の手入れも完璧にやっていたはずのマティアスが見るも無惨な姿で運び込まれてきた。
寝台へ移されると小走りで来た救護室の魔法士が魔法をかける。
それで表面的な傷は薄くなるが、それだけだ。指示が出されてマティアスの服が剥がれ、手当てをされていく。
何でマティアスが、こんな目に遭ってる?
ヤツらの手口は――親しい相手のむごい姿を見せて、八百長に応じさせようとすること。
マティアスの、親しい相手は、俺と――ロビン?
ロビンが試合をやっている会場へ駆け出していた。確かあいつは上層階の修練場だ。階段を駆け上がり、その広間を目指す。野次や歓声が突き抜けてくる、そこのドアを開ける。
「場外! 244番の勝利とする!」
試合が丁度終わっていた。
教官の宣言で歓声が、罵倒が飛ぶ。
指笛が鳴らされる。興行ショーそのもの。
舞台外に、ロビンがいた。
ぺたんとほぼ無傷なまま尻餅をついていた。うなだれた耳。垂れ下がる尻尾。
下がれと教官に命じられ、のろのろと戻っていくロビンに飲み物の入っている陶器の壜が投げられた。当たることはなかったが、すぐ近くへ落ちて割れる。
急いで控室に走っていくと、まだ舞台へ続く通路のところをロビンは呆然と歩いていた。
「ロビン!」
「っ……レオ、ン……」
「お前、まさか八百長で、マティアス――」
言葉の途中でロビンは泣き崩れた。
嘘だろ、嘘だろう、おい、何の冗談だよ。
「マティアスくんは……大丈夫だから、乗るなって……だから、僕……っ……でも、でもぉ……」
ロビンを鬱陶しそうにしながら、剣闘大会の参加者がすれ違って歩いていく。
嫌なものを見る目を一瞬だけロビンに向けていた。あれは獣人蔑視じゃない。そう確信があった。じゃあ、何なのか。
常態化している、この剣闘大会の暗部に対してだ。
救護室でマティアスは眠ったまま、目を覚まさなかった。明日には意識も戻るだろうと言われ、マティアスの傍から離れるのを嫌がったロビンを半ば強引に寮へ連れ帰るのは手間だった。
「何があったか、まず落ち着いて話せ」
空気の読めていない寮の先輩にもらったワインを使って、ホットワインにしてロビンへ飲ませたところで切り出した。
「知らない先輩に、話があるって言われて……呼び出されたの。
ついて行ったら次の試合で負けろって。でも、わざと負けるのはヤだったから、そう言ったら……」
「マティアスがどうにかなるって?」
「……うん」
イレーネ先輩と同じような感じだろう。
彼女のパターンと少し違ったのは、ロビンはすぐにマティアスに相談したことだ。
だがマティアスは判断を誤った。
『姑息な手だが、対処法はある。要は僕が負けなければ良いだけだ。
ロビンは何も心配する必要がない。どうなろうが勝つからロビンは首を縦に振るんじゃないぞ』
マティアスは善戦した。
実力差はロビンの目にも、観客にも明らかだった。相手は最上級生。50番台の実力者。
マティアスの方が弱かった。
それでも果敢に戦い、手傷を負わせた。
剣技も、魔法も相手の方が上回っていたにも関わらず、マティアスにも勝ち筋があるようにも見えたらしい。だが突如としてマティアスは体の動きを鈍らせ、そこをやられた。
そこからも粘りを見せ、ロビンはマティアスの勝利を最後まで信じようとした。
――が、結果としてマティアスは負けた。
大小無数の裂傷が全身に41箇所。打撲痕50以上。火傷も負った。腕の骨も折れた。
粘りすぎたことが仇となったのだ。
担架で運ばれていくのをロビンは呆然と眺め、さらなる脅し文句が告げられた。
『お前が負けなきゃ、次は穴空きだ』
ロビンは八百長に従うほかなかった。
そのせいかは分からないが、3回戦も俺は勝てた。わざと負けられた感じはなかった。危うい勝利だった。それに、一方的になぶり、影で誰かを恫喝をするタイプの相手とも思えなかった。
最初はやり口が見ていられない程度だったが、本格的にこれは見過ごせない。それどころでも済ませられない。
必死にやっている人間の邪魔をするばかりか反吐の出る方法で負けを強要する。
大嫌いだ。クソミソ以下だ。
人の夢を邪魔する権利は誰にもない。
人の努力を踏みにじる権利は誰にもない。
道理を外れたゲスどもは潰す。
キツく拳を握り、そう決意した。