聖女の痕跡
曰く、その青年は20年ほど前にふらりと現れた。
少しだけ気が弱く、決断することが少々苦手で、重大な選択を迫られれば困りながら笑ってやり過ごそうとする。だが一度、その腰に佩いた剣を抜けば物語に出てくる英雄のごとく勇猛果敢に戦うのだそうだ。しかも剣を振るうのみならず、魔法にもすぐれる。どころか、剣を振りながら魔法を使い、鮮やかにして剛胆に戦うのだとか。
青年は聖女と出会い、いつしか聖女を慕っていた仲間達の中へ自然に混じっていたと言う。そして聖女に降りかかる数々のトラブルと戦った。聖女をよく助け、聖女もよく頼ったらしい。
そして。
その青年の容姿の特徴が、燃え上がる焰のような赤い髪の一部を女の子ように編み込んでいて、顔立ちには気品があり、しかしいざ戦いとなれば普段の物腰はどこへやらで威風堂々たる活躍を見せる。
ジョアバナーサで俺達が大暴れした時の神前競武祭以来、東クセリニアでは剣と魔法の両方を戦闘で併用する魔法戦の概念が根付いた。だから、その魔法戦をした、というだけではクセリニア出身という線も濃かった。しかし、元々はディオニスメリアの騎士が用いる戦闘スタイルである。
そこへ、赤髪が加わって。髪の毛を編んでるなんて加わって。気品があるとか言って。
もう連想されるのは2人だけだった。
しかし、その片方はいないはずなのだ。となれば、連想された内の残った方だろう、という見方が強まる。それこそが、マオライアス・カノヴァス。
エンセーラム王国にいた時は本当にマティアスと女王さんの子どもなのかと疑いそうになる、内向的でインドア派だった少年だ。それが30年の時を経た今、エンセーラム諸島からもディオニスメリアからも遠く離れたアイフィゲーラの東側へ来ているだなんて、世間というのはやはり狭いのかも知れない。
普段は気弱だとか、マオライアスっぽい。
それでいて戦いになれば――というくだりは、マティアスとか女王さんっぽい気もする。
ピラニアを調理して食ってる間に、フィリアはマオライアスであろうという入手した情報について整理しながら語ってくれた。マオライアスに会えるのは俺も嬉しいし、フィリアも覚えていたのかと思うと少し感慨深い。
が、それより喜んでいたのはリュカだった。早く会いたいから、という理由で俺とフィリアの分を忘れてピラニアをがぶがぶ食っていくほどだった。頭をひっぱたいてやめさせておいたが。
そんな夕食を済ませてから、早速、出発した。
川沿いに海を目指してレストは飛んだ。
マオライアスは今、どんな成長を遂げたのだろうか。
そして聖女というのはどういう人物だったのか。
それが同時に知れる、良い機会だ。
夜が明けきらぬ前に、海へ出た。
大河の河口に街があった。エレニオミよりも大きく、高い建物もあった。街というよりも、都と言って良いほどの規模だった。地上へ降りてから、朝になるまで休むことにした。さすがにもう眠かった。
朝になり、ひとり、またひとりと起き出して、目をこすりながらメシを食って都へ向かった。
なかなか広く、都の中に水路が張り巡らされている。水路も重要な道としての機能を果たしているようで、たくさんの果物を乗せた舟が行き交ったり、人を乗せた舟が渡されていたりと、道が2種類あるような様相だった。
「すっげえ」
「きれー……」
「こんなに栄えてるとは、想定外だった……」
水の都、とか言っても良いんだろうか。
いいはずだ。レッドカーペットはどこへ出るのだろう。
「ここにマオ、ほんとにいるのかな……?」
「マオかは分からないけれど、少なくとも赤髪で魔法戦のできる人がいる……はず」
「それがマオじゃなかったら残念だけど、少なくとも聖女のことは知ってるやつではあるはずだからな、手分けして探そうぜ」
待ち合わせ場所を決め、昨日と同じように別れた。
海に着いたら泳ぐつもりでいたが、マオライアスがいるかも知れないとなれば気も変わる。
赤い髪の男、を目印に探し、聞き込みながら歩き回った。
なかなかに都が広く、その上赤い髪というのはちらほらはいるようで何人か空振りした。だが、赤髪を編んでいるやつ、というのはどれだけ尋ねても首を傾げられた。もうあのヘアスタイルはやめた、ということなんだろうか。
どれだけ歩き回ってもマオライアスは見つからなかった。
そう言えばかくれんぼのうまいやつだったような気がする。魔影でズルして見つけるのが鬼にされた時の俺の常套手段だったけど。
「見つからねえよ……」
「こっちも同じく」
「俺も見っからなかった」
日暮れに待ち合わせ場所へ向かい合流するが、誰も成果はなかったらしい。
本当にマオライアスがいるのかという疑問が浮かんだが、他に手がかりらしいものもないので1日では諦めずに何日か探すことにした。
そう決めたところで、腹ごしらえである。
ほぼ1日中、マオライアスを探して都中を歩き回ったのでそれなりの疲労があった。海が近いのでうまい魚があるだろうと浮き足立つ。リュカの背へ飛び乗り、2人で魚の歌を歌った。ただただ「さ、か、な〜♪」と適当に繰り返すのみの歌である。
酒場は活気に満ちあふれていた。
魚の腹に色々と詰め物をして丸焼きにした料理だとか、みそ汁としか言いようのないみそ汁だとか、果てには鯛飯のようなものまであった。何とも俺の口に合う料理の数々だった。というか、ここの辺りは小麦と米と両方作って食っているのだ。
何だかもう、口に合いすぎてここは天国じゃないのかとさえ思ってしまった。
しかも、である。
「ここら辺って、料理がすげえのな? 初めて食うもんばっかだ」
そう、また店のやつに尋ねたところ。
「聖女様のご考案された料理さ。おいしいだろう?」
また聖女であった。
うーむ、これはやはり……俺も聖女に合いたくなってきたが、残念ながらもういないんだよなあ。
そして、酒。
ポン酒である。ポン酒があった。
これにはリュカも驚いていた。エンセーラムでしか見られなかった米の酒があって、しかもこれも聖女が作ったとかなのだ。あまり酒は好まないリュカだったが、島の味を懐かしみたいという気持ちはあったのか、俺と1杯やってくれた。
うまい魚料理の数々と、うまい酒を飲んで気分が良くなった。
体が縮んでからは酔いがかなり回りやすくなった。で、楽しくなって酒場にいた楽士らしいイノシシめいた獣人に絡んでいってリュートを借り、それを弾き始めた。とりあえず海の歌だろうと思って、布教活動の海は広いなを歌った。
すると、その楽士が潰れている鼻の穴を大きく広げた。
「おいおい、坊主、そりゃあ……どこで知った歌だい?」
「あん? どこで知ったも何もぉ……俺様ご考案だぜぃっ、ヒャッハァー!!」
じゃらららん、とリュートを掻き鳴らす。
「いや……そんな嘘をつくんじゃない」
「嘘じゃねえよ」
「それは聖女様の歌だ」
こりゃあ、どうあっても聖女と会いたくなってくる。
リュカとフィリアまでもが、驚いた顔をしていた。
あり得ないだろうと思っていた。だが、こうまで偶然が重なってくると、否定していた考えが本当なんじゃないかと思わされてしまう。――もしかしたら聖女っていうのは、同郷なのか、と。