剣闘大会の影
「よう、マティアス。勝てたか? んん? 勝てたかなあー?」
食堂でマティアスを見つけ、近寄って声をかけた。
相変わらず、お高いランチを食べている。ランチに銀貨1枚なんて贅沢すぎる。食堂もよくこんなのを用意してるもんだと思う。ここを利用する貴族様なんて全体からすりゃほんの一握りだってのに。
「そっちはどうなんだ?」
探るような声に、僅かにマティアスの不遜さが滲んでいる。ああ、こいつ勝ったのか。
薬草を揉みこまれた頬の傷がジクジクと痛みを取り戻したような感じがする。
「俺を誰だと思ってんだよ」
「ま、そうだろうな。僕も勝てたさ。辛勝だったが、一回戦は突破さ」
「ロビンは? まだ見てねえんだけど」
「僕もまだ――おや、来たようだ」
マティアスが片手を上げた。視線の先を追いかけるとロビンが俺達に気づく。尻尾がぶんぶん振られている。飼い主を見つけたわんこのようだ。可愛いやつめ。
「レオン、マティアスくん、僕、勝てたよっ!」
「皆、一回戦は無事に突破したようだ。誰が先に脱落するやら」
「2人も勝ったの? やったね」
「けどロビンも勝つとはちょっと思ってなかったよな」
「ああ、正直に言うとね」
「むっ……確かに魔法士養成科だけど、僕の一族は戦士の……」
「ああはいはい、悪いって。ぶつぶつ言うなよ。メシ、持ってこようぜ。俺も今来たとこだから」
席だけ取って、メシを買いにいく。
銅貨12枚の肉とパンと野菜を俺は選び、ロビンは肉と野菜をてんこもりに取っていた。意外とロビンは食う。さすが獣人だ。でも可愛くなくなってくのはあんまり喜べねえな。いい感じの男になってくと、尻尾をもふるのも何かあれだ。
「僕ら3人の初戦突破を記念して、乾杯しようじゃないか」
メシを持って席へ戻ると、マティアスが酒を用意していた。ジョッキ代わりの持ち手がついた小さな樽。樽ジョッキ。いや、ジョッキ樽、なのか?
ちょっとしたカルチャーショックだが、どうやら子どもとか関係なしに酒は飲めるようになっている。
そこら辺の水は飲めないが、魔法でいくらでも飲み水くらいは確保できるのに。一応、子どもが酒を飲むのは、何かがあった時限定という暗黙の了解はあるが、あってないようなものだ。
「何の酒?」
「エールだ。嫌いか?」
「大好き」
「まったく、キミは……」
「苦いよ、大丈夫?」
エールってことは、ビールだよな。キンキンに冷えてるのが好きだけど、生憎と常温だ。レオンハルトになってからは1回も飲んでないけど。
「初戦突破祝いと、剣闘大会の活躍を祈って。乾杯」
「乾杯」
「かんぱーい!」
樽をぶつけ合い、ぐびりと飲む。
ビールはのどごし! 苦いなんて言ってるようなもんじゃ――もん、じゃ、じゃじゃじゃ……。
「っ……うぇぇぇぇ……苦ぁっ……。こんな、苦かったっけ……?」
「はははっ、やっぱりまだ子どもだな、レオン」
「だから言ったのに……。僕、あんまりエールって好きじゃないなあ……」
あれか、俺の味覚はまだ若いのか。年を取るだけ味覚が鈍くなっていくってやつで、そうじゃないとこんなに苦いもんだったのか。
折角のビールだと思ったのにとんだことが発覚してしまった。
「大好きではなかったのか? 遠慮しないで飲め、僕のおごりだぞ?」
「こんにゃろ……」
「見栄を張るからそうなるんだ。グイッと飲みたまえ」
見栄を張ったわけじゃねえっつーの。
早くうまいビールの飲める舌になりたい。ロビンと同じようにちびちび飲みながら、メシを腹に突っ込んでいく。
そうしながら、互いにどんな試合だったかと喋り合った。
危うく場外されそうになったと言うと、どうやら2人も同じような目に遭ったらしい。
いわゆる勝利の定石のひとつなんだろうということが判明。正面からぶつかり合いつつ、うまく誘導して場外アウトを狙うのは試合数が多いから倒すよりも効率が良いのだろうともマティアスは分析した。
他にも魔法の使いどころだとか、戦闘続行不能に持ち込むためのテクニックなどなど。さすが先輩、ということで1試合の経験から2人は色々と学んでいた。ちなみに俺は、場外アウト狙い、武器取り上げでの降参誘導、魔法の使いどころ、といった3点があてはまった。78番の先輩は俺を格下に見ながらも真摯に臨んでたわけだ。あっさり負けちゃあ悪いな。
「ところでレオン、ロビン。
噂程度でしかまだ僕も知らないんだが、八百長を持ちかけられることはなかったか?」
メシが食い終わっても何やかんやと喋り、話題に一区切りついたかと思えばマティアスはそんなことを言い出した。ロビンはきょとんとし、首を傾げる。
「やお、ちょー?」
「あらかじめ、勝ち負けを決めて上辺だけで戦うという約束だ」
「俺は知らねーよ?」
「僕もだけど……それって、いけないんじゃない?」
「ああ、八百長は許されることではない」
だがな、とマティアスは目を細め、声も潜めた。
自然、俺達を顔を寄せ合う。
「だがな、どうもおかしい試合があったんだ。丁度、僕の前の出番でやっていた」
「おかしいって、どんな?」
「実力に開きがあったんだ。6年と4年の試合だったんだが、4年の方が上だった……ように見える。
剣捌き、ポジショニング、ここぞというタイミングでの魔法――あの先輩は強かった。
だが、その試合は……不自然にうっかりしたように、その4年の先輩が場外になって負けた」
「不自然にうっかり、か」
「ああ。まるで、最後はそうならなくちゃいけないとばかりに。三流以下の喜劇のようだった」
「どーせ、名誉とやらを金で手に入れようとしてるんじゃねえの、その6年が」
「かも知れないが……持ちかけられたら面倒だ」
「どうして? 断ればいいんじゃないの?」
「ロビン、分かれよ。ここの連中が、ただ金出して負けてくれ、って頼むだけで終わると思うか?」
「あっ……」
それに、不自然にうっかり負けたとかいう4年はそれなりに腕が立つとマティアスは言った。俺が相手をした78番の先輩のように、真面目なタイプだったと思える。そんな相手を、ただ買収しただけで八百長させるというのは少し穿ちすぎた見方だろう。
「オルトが――レヴェルト卿がよ、ここの学生だった時に魔法大会で勝手に恩を売られて、1番にさせられたことがあったとか言ってたんだ。中には似たようなことを考えるアホもいるのかもな」
「その可能性は否めない」
「……何だか、やだね。戦いにそういうの持ち込むのって」
「剣闘大会は騎士様養成の場でもあるってことだろ……」
「ああ。表舞台の影で暗躍しながら、利を得ようとするのはごく自然な企みだ」
「めんどくせ……」
「もしも、そういう誘いを持ちかけられた場合だが、相手はきっと学院に精通した上級生だ。
ヘタに反発をすれば危険も降りかかってくることが充分に考えられる。
レオンもロビンも、よく考えて行動した方がいいだろう。僕らはまだ2年生で、あと2回のチャンスがある」
マティアスらしくない、慎重な意見。
そんだけ警戒がいるってことだろう。
「こういう暗部に2人は慣れていないはずだ、気をつけろ」
ロビンが神妙な顔で頷いた。
それをぶちのめしいて、計画をパーにしてやれば――オルトは喜ぶんだろうな、なんてことをぼんやり考えた。
土産話は、多い方がいい。
「――嫌ね、わざと負けろだなんて」
そんな声を聞いたのは剣闘大会2日目のことだった。あまりこないところで、トイレがどこかとさまよっていたら人気のないところへ来てしまっていた。
「見返りはあるって言ってんだ、悪い話じゃないだろ」
「いいえ、悪い話よ。わたしは優勝を本気で狙っているの、あなた達みたいなのに協力する義理もないし、お金だって必要としていないから」
言い合いに耳をそばだてる。声のする方へ足音を立てないように気をつけて向かうと、角を折れた先――袋小路にその2人がいた。男と女だ。白い貴族養成科の制服の男と、黒いローブの魔法士養成科の女がいる。
「どうしてもって言うんなら考えがあるぞ、こちらには」
「考え? 何よ、試合外のこの場であたしを疲れさせるとか? でも残念、あなた程度じゃあたしは息ひとつ乱さない」
かっちょいい女だな。
こりゃ放っておいても問題ないかと、八百長はあることだけ確認して戻ろう。つか、尿意があかん。レオンハルトの膀胱はそんなに大きくない。
とっとと退散しようと踵を返した時――
「お前の弟はこの後、試合なんだろう?
で、お前の試合の後には仲良しのボーイフレンドくんが出ると。
まずは弟の活躍を見ながらゆっくり考えろよ。きっと、何が最善か、分かるぞ?」
「まさかっ、あんた――!」
不穏な会話がパンと破裂するような音に途切れた。
「おいおい、ビンタかよ……。魔法士志望のくせに」
「あの子に何かしてみなさい、あんたなんか……!」
「するかしないかは、お前次第なんだよ。暴力なんかで、解決できると思うなよ」
小便も忘れて試合会場へ向かう。
その試合は、すぐに分かった。4年らしい騎士養成科の学生を、上級生がなぶり出した。降参と言おうと口をパクパクさせても、声が出ない。降参にならない。場外へ出ようとしても、相手はそれを許さずに気絶しないように丹念に、なぶり続けた。
一方的な蹂躙は、ピクリとも動けなくなったところで終わった。
その後に出てきた例の魔法士養成科の少女は、突き飛ばされて場外に出た。