識別は香りにて
聖女に興味を持っていたフィリアは、ソロンに彼女のことを尋ねた。
しかし、すでに聖女は死んでしまっていると返された。見せしめのように聖女の遺体は首を刎ねられ、ライゼル王国の広場に捨てられていたそうだ。しかも、そのライゼル王国も聖女の死後に他国へ侵略されてしまっているとも。
そして恐らくはナターシャの仕業であろう、ともソロンは付け足した。
ナターシャの拠点へ乗り込むのは2ヶ月後ということとなった。
それまでに準備を済ませ、転移の扉を使って乗り込む。拠点が大陸ではなく島にあるということは、その島に通じている転移の扉もあるだろうとフィリアとファビオは睨んでいる。それを使えばすぐに踏み込めてしまう。
それまでに、しなければならないことがある。
「本当に、挑むの?」
「ああ」
クライテの森へ行くとフィリアに告げた。
恐らくアイナはそこにいる。まだ生きているはずだ。
「過去へ帰った時、俺はアイナと戦わないとならない。でないと、戦略魔法を止められたとしてもディーの死を避けられない」
「……なら、わたしも一緒に」
「ダメだ」
「どうして?」
「過去に帰る時、お前もついてくるんだろ?」
「そのつもりでいる」
「だったら、お前はすぐにエンセーラムへ行かないとダメだ。それで戦略魔法を止めろ。俺がアイナをやらなきゃいけなくなる。俺がひとりで殺せないといけない。あの女との因縁を残しておけない」
例え数の暴力でこの時代のアイナに勝てたとしても、それじゃあダメなのだ。
再び負けることは許されない。ひとりで勝たないとまた失ってしまう。
「けれど、すでに一度敗れた身で……また、勝てる見込みがある? お父さんが死んでしまったら、それこそ……」
「エノラはお前らの前で、一度も魔法を使って見せたことはなかっただろ? 魔法を使えばアイナに居場所を知られちまうからだ。そうしてずっと……10年近く、魔法を使わずにエノラは過ごしてきた。俺は元々穴空きで魔法なんか使えなかったから、不自然に思うことはなかった。けど……それってどんだけ大変だか想像もついてなかった。ずっとエノラはアイナから逃げ続けてきて、俺が一度退けても、魔法を使わないって方法で逃げ続けてた。あの島の穏やかな暮らしにあっても、ずっと、アイナに恐怖を感じてたはずだ。そんなのにも気づいてやれなかったのが、今さら……何か悔しい。もっと早く、アイナが動き出す前に叩いておくべきだった。その気配がねえからって目を逸らしてた、俺のせいなんだ」
だから、俺の手で決着をつけたい。
勝ち目があるとかないとかじゃなくて、勝たなきゃいけない。早くアイナとの因縁を断ち切っておけば、こうなることもなかった。
「多分アイナも、ナターシャにそそのかされたはずだ。アイナが俺を島から呼び出して離れさせたところで、エンセーラムに戦略魔法をぶち込んだ」
「どうしてそんなことをする必要があるの?」
「魔剣がすでに一度、規模は違うだろうけど……戦略魔法から俺を救ってくれた。国の全員を皆殺しにするために、俺さえも殺す理由があって、そういう手段に出たんだ」
どうやってアイナと俺の因縁を知ったかは分からないが。
「まだ、アイナとナターシャが繋がっていたら、俺達が乗り込んだ時に現れる可能性もある。ただでさえ、向こうの戦力は強大なはずだ。そこにアイナまでデバってきたらヤバいし、潰した方がいい」
避けられない戦いなのだ、これも。
もう後回しにして後悔するなんてことにはしたくない。
「それでも危険すぎる。お父さんを……殺した相手なのに」
「そこでだ、フィリア。ちょっと知恵を授けてくれよ、俺がアイナに勝つためのさ。生きて帰るって、エノラとの約束は破っちゃったことになってるから……今度はお前に約束して、絶対にもう破らない。そのために知恵を貸してくれ」
両手を合わせて頼む。
文句を言いたげな顔をしつつも、フィリアはため息をついて頷いた。天使だ。
「勝ち筋は、魔技だ。魔力を取り込む要領で、加護の力を奪ったことがある。やったことあるか?」
「ない」
「俺の感覚としては魔力よりも扱いやすくて、その時は魔力中毒があったんだけど、その負担も感じられなかった。アイナは恐らく、エノラも殺したことで泉の神の加護を最大限に発揮できる状態にある。それだけ強力だけど、その分だけ力を奪い取れれば俺にも勝機が見えてくる。問題は……」
「どうやって加護の力を奪うか、ということ?」
「その通り。向こうだって警戒はするはずだ。それで一度負けてやがるんだからな。だから、確実に近づいて、アイナの体に触れなきゃいけない。その方法が問題だ」
魔法が使えれば戦い方にも幅を持たせられる。
だが、生憎と俺は穴空き。魔石はキャスに1つあげちゃって、2つしか持っていない。使える魔法は2度のみ。
「魔剣の炎は加護の力で打ち消されちまう。だけど黒い炎を吹いたことがあって、そいつだけは消せなかったはずだ」
「黒い、炎……」
「よくは分からねえけど……。フィリアは魔剣とニゲルコルヌを見つけてから、ずっと使ってきたんだよな。見たことはあったか?」
「ない……」
「そうか。あの炎を自在に使えるようになればって考えてたんだけど」
「その黒い炎はどうやったら出てきたの?」
「……アイナと戦ってる時だったな。加護の力を奪って、それで魔纏をかけたら急に噴いて出てきて、まあ……そのまま俺を介して無尽蔵に魔力を食いまくろうとしてきて、死にかけたんだけど――って、あっ、じゃあ加護の力を奪わねえ限りは出てこねえのか? 参ったな……」
自己完結してしまうとフィリアにじとっと睨まれた。目を逸らしておく。
「ま、まあでもっ、ほら、アイナから魔力を奪う方法だ、大事なのは」
「……お父さんは身の守りが疎かに見られる」
「そうか? 魔偽皮使ってりゃあ、大体、反応してとっさのガードってのが――」
「物理的な攻撃ならばそうだろうけれど魔法にまで反応することは困難のはず。まして、加護の力を使ってくる」
「……仰る通りで」
「まずは防御に徹すること。その上で、加護の力を奪う。首尾よく加護を奪えたら、そこから先はお父さんの素の戦闘能力で敵を倒さないとならない。使えるカードの全てを切って、まずは身を守ることを最優先させる」
「分かった。……で、どうやって?」
「気になるものがある」
「気になるもの?」
「雷神の守り? 赤魔晶あれば作れるけど……」
いきなりちょっと頼りないことを言われた。
フィリアは身を守るための術として、リュカが作る雷神のお守りを挙げた。持っている者の身を守ってくれるアイテム。小娘もそれでことなきを得たことがあるらしいし、何よりただ身を守るだけではなく敵に反撃をしてくれる。アイナは泉の神の加護を得ているが、ドマイナーだとしても神の力。それに対抗するのであれば同じく加護をもってすれば良いという発想だ。
「ないの?」
「……持ってきてはいたんだけど、もう、換金しちゃったから」
金になるんだもんなあ、赤魔晶って。
「赤魔晶がねえと、作れねえの? 魔石とかじゃダメか?」
「ダメだって」
「そもそもどうして赤魔晶なら作れるんだよ」
「知らないよ、理屈なんか」
いきなりフィリアの提案がくじけた。
どうにかして赤魔晶を調達したいがヤマハミなんてそうそうお目にかかれないし、赤魔晶は希少価値が高いからなかなか出回らない。その上、金に換えるやつも多くて冒険者ギルドにばかり集まる。冒険者ギルドが赤魔晶をどうしているかなんて知らない。
「……フィリア、次の作戦は?」
「正直、雷神の守りを要に考えていたから……」
「そうか……。そういう時は」
「何?」
「気を取り直して、うまいもんを食おう。昼飯だ。リュカもメシの時間だろ?」
「食う!」
赤魔晶が出回ったりしていないかと、淡い期待を持って冒険者ギルドに行った。
しかし、当然だったがなかった。仕方ないので、そのまま冒険者ギルドの安メシを食う。
本当にもう、どうしたもんだか。
格好をつけてアイナとは俺がやる、なんて言っときながら――ちと情けない。何度目か分からぬため息を漏らした時、冒険者ギルドの入口のバタ戸が開いた。やけに風格のある冒険者が入ってきたかと思ったが、すぐ、目を奪われる。
「……いい尻尾だ」
「うん、いい尻尾」
獣人族だった。
しかも、あのふわっとさらっと長い稲穂を思わせるような毛と色は――金狼族?
帽子を被っていて、疲れているのか俯き加減だから顔まではよく分からないが、風格よりも尻尾の方が立派だ。フィリアと揃って、その尻尾が揺れ動くところを見ていた。受付で報酬を受け取っている。
その冒険者が報酬を入れた革袋を腰に提げながら振り返ったかと思うと、ピタっと固まった。あれは何かの匂いに気づいた時のロビンの反応にも似ている。冒険者が顔を上げると、俺達のいる卓をまっすぐ見た。女だ。すらっとしていて、凛々しい。
ぽとんっと帽子が落ちた。耳が動いた拍子に落ちたらしい。観察していた尻尾がぶんぶんと振られ、こっちに走ってくる。
「レオンと、フィリアと、リュカっ!?」
「へっ?」
「誰?」
「……もしかして、メーシャ?」
「何でいるの!? 嬉しいっ!」
綺麗に成長したメーシャが、一番近くにいたフィリアをぎゅっと抱き締めた。その尻尾の振られようと言ったら、もう歓喜極まりないといった様子だった。




