察しの悪いやつ
ぼろぼろの、最早、服とは呼びがたい粗末な布切れだけを着た原始人みたいに見えた。
赤い瞳が闇の中で輝いている。
だが、その風貌はまるで違うが。
やや癖のある茶色の髪や、上背のある体格や、腹が減ってると訴えている時の目つきの悪さが、一致する。
「……リュカ」
フィリアが呼んだ。
眩しそうに目を手で覆いながら、相手がちょっと首を前に出した。見てきている。
「……?」
が、首が傾げられていった。
この察しの悪さ。
でもどうして地下から――そうだ、礼拝堂には地下室があった。礼拝堂そのものが消し飛んでも、地下室は無事だったから、とかか? でもおかしい、こいつはただの人間族だ。だっていうのに、老けたように見られない。30年経ってるなら、もうこいつだって50台のはずだ。身につけている服みたいなものがズレる。あらわになった胸が、抉り消えていた。
「……あっ、ファビオ?」
「…………」
俺とフィリアのことは分からなくても、ファビオのことは分かったらしい。見た目の変化がほとんどないし、当然か。でも、そうだ。
「リュカっ!」
フィリアが俺との再会でもしなかったことをした。
何とリュカに飛びついていったのだ。仰天しつつもリュカは飛び込んできたフィリアを拒まず、とりあえず受け入れている。いや、確かにリュカに懐いちゃあいたけども、そこまでですか? 何か違うんじゃねえ?
「だから……誰?」
「分かれよ、察し悪いな」
「何だとっ!? お前だな、いきなり上から魔弾みたいのバンバン撃ってき――魔弾? レオン?」
「……俺の娘から離れろ」
「娘ぇ? ……じゃあ、フィリア? ……えっ、レオンとフィリアっ!?」
にぶいやつ。
持っていた食料全てを食い尽くされた。
にも関わらず、まだ足りないとばかりに腹を撫でさすっている。
「どんだけ食っても……何か、食った気がしなくなるんだ……。前はこんなことなかったのに……」
いや、前からだろう、お前は。
あっ、でも一応は満腹もあったっけか? 滅多にないけど。
汚いから洗ってこいと海に投げ込んだら、すっかり見違えていた。元のリュカになった。年を取っているようには思えない。それに、胸だけはぽっかりと抉れている。噂になっていた死人というのもリュカのことだろう。目が赤いのを見ても、シオンと同じようなのになっていると考えられる。
地味に肌が少し白くなったようにも見えたが、けっこう地下の居心地が良くて外に出たり出なかったりしていたから、だったようだ。
「でも良かった、レオンもフィリアも生きてて。俺、ずっとこのままひとりなのかなあって、ちょっと思ってたし」
いや、30年もぼっちだったんだろ?
それをちょっと、ってどんだけお前が気が長いんだ?
「足りないなら、今からまた作る?」
「ほんとに? じゃあ――」
「いいから。フィリアも近すぎ、リュカから離れなさい」
「別に普通」
「そうじゃん。前からこんなだったし」
「…………」
フィリアが、リュカにべったりである。
そいつに尻尾はないんだぞ? なのにどうして、そんなべったりなんだ? そりゃ、懐いてたのは覚えてたけど、何で? どうして?
「でさ、何があったの?」
「こっちの台詞じゃあっ!!」
マイペース野郎め。
リュカから話を聞いた。
エンセーラムが滅んだ日、リュカはロビンの家にいたらしい。リアンのお産が始まってしまい、うろうろしていたらシオンに施してあった雷神の紋が発動されたことを感知し、地下室に駆け込んだ。だが、シオンに騙されてやられたと言う。
死んだと思っていたのに、目が覚めたんだとか。
自分の胸がぽっかり消えていたのに気づいたものの、生きていた。不審に思いながら外へ出たら、もうそこは焼け野原だった――ということらしい。島中を探しても人はおらず、唯一見つけたのはエノラの遺体。丁重に葬ってくれたそうだ。
立てて並べられていた墓も、エノラの遺体を見つけたことで人が死んだのだろうと思い至って作ったそうだ。他にやることもなかったとかで。
たまに島に人がやって来たが、それが明らかにエンセーラムの人間ではなかった。
それで勝手に何かしようとするもんだから止めさせて追い返し続けていたらしい。あの風貌じゃあ、ゾンビと勘違いしても仕方がない。しかも、心臓までないときている。動く死体だ。
「そんで……俺達が来た、ってことか」
「もっと早く、来ていれば良かった……」
「しかし、30年もただひとりでこの島に取り残されていたとは……」
「30年って?」
まあ、たったひとりじゃあ分からなくなるもんか。
あれから30年が経っているんだよ、と今さらに告げるとめちゃくちゃ驚いていた。
「俺、全然おじいさんになってないよ!?」
「いちいちズレてやがんなあ、お前はっ!?」
「あっはははっ! レオンが怒った!」
「何がおかしいんだよ!?」
ちょっとおかしくなってんじゃねえかな、こいつ。
「っはぁ……お腹痛い……」
「何がおかしいんだよ?」
「だって、すっごい久しぶりに人と喋ってるんだもん」
島からの脱出をはかったこともあるそうだが、諦めたらしい。
さすがに泳いで出ていくこともできないし、船なんてリュカには作れなかったそうだ。
そんな孤独な生活を続けてきていたからか、妙なところですぐに笑った。つまんない小咄でも笑った。悲壮感の欠片も感じさせないのに、その笑う理由については笑えない。逞しいやつだった。
リュカは目の色が変わっているのも気づいていなかった。
フィリアが水魔法で鏡のようなものを作って見せ、初めて分かっていた。礼拝堂の地下室で暮らしていたのも、雨風を凌げるし、暑くもないし、寒くもない環境だったかららしい。あと孤児時代の体験が原因なのか、暗くて狭いところをけっこう好むから、というのもあったかも知れない。
俺がゾンビかと思ってしこたま魔弾をぶち込んでやったことは触れないでおいたし、触れてこなかった。忘れてるならいいや。いやー、うっかりでもトドメを刺さないで良かった。
リュカから話を聞いてから、こっちも話してやった。
どこまで理解したかは分からないが、即決でついて来ると言った。構わないどころか、リュカは戦力だ。むしろ来い、と言うところなのだが――フィリアの様子がちょっと気になって、試してみた。
「お前は残れ」
嘘である。
「何でだよ? 連れてってよ」
「理由が分からない。わたしにも説明してほしい」
「だってバカじゃんか、お前」
「はあっ!?」
これは事実である。
「30年も手をこまねいてのろのろ暮らしてたんだから、そのまま残ってろ。変なやつが島に来ても、好き勝手されないように」
「これからナターシャを追いかけて倒さなければならない。リュカは強いと聞いている。だからリュカも一緒に来てくれた方がプラスになる」
やっぱり、肩を持ってくるのか。
「……分かったよ、軽い思いつきだから……そんなに睨むなって」
そうか、リュカなのか……。リュカのどこがいいんだ。
バカなところか? まっすぐなとこか? 考えなしのところか?
その夜は毛布代わりのマントを濡らして眠った。
ずっとフィリアがリュカと喋っている声が聞こえて、ジェラシーファイアーがメラメラだった。
自分の父親とそう年の変わらない男なんだぞ、それは。あわよくば一夫多妻を成立させようとしていたようなやつなんだぞ、リュカは。それでもいいのか、うまくいっても3番目になっちゃうのがオチだっていうのに、それでもいいのかよ……。
とうとうと、フィリアをそう諭したかった。
でも嫌われそうだからやめておいた。