穴の底から生える白い手
扉が開くと、暑い日差しが降りかかってきた。
目の前には鬱蒼と茂る木々があった。どこか遠くで、ギャアギャアと鳥が鳴く声がした。
「あ……」
「ここ……」
この蒸すような暑さは、ここだけだ。
ツタの絡まった木々。むせ返りそうになる土や、草の香り。
「ベリル島だ」
間違いなかった。
ファビオが歩き出し、木に手を添え、空を仰いだ。
「間違いなさそうだな。どうする、この島を散策するのか?」
「……ああ。フィリア、行くぞ」
「……うん」
声をかけても、反応が少し薄い。
また手を取った。少し震えていた。怖い思いをしたからだろう。それに、焼け野原になったと言っていた。でも、木々が生い茂っている。30年の歳月を経て、自然は回復したのだ。
何を想うのだろうか。
ベリル島の小高い山はすぐそこにあった。どうやら祠はこの山の中にあったようだ。どうも地面から少しくぼんだところにあったようで、外からも見えづらかった。
山の頂まで登り、見渡す。ここから眺められるのはベリル島のみだ。自然はあまり変わっていなかった。だがワイバーンの巣があったような、島の北側の岩壁は綺麗になくなってしまっていた。戦略魔法で消失したんだろうか。ユーリエ島まで見渡せてしまっている。
それから、王宮があった方を見る。
ほぼ全壊状態の王宮が自然に飲み込まれていた。迎賓館も、音楽ホールもなくなっている。礼拝堂も。
「お母さんが、守ってくれたから……あそこだけは、原形を保ってる」
「エノラが……」
「漁に出て、戦略魔法を免れていた漁師も、大勢が津波に飲まれて死んでしまった。けれど、遠くまで出ていて助かった人が、わたしのところに来てくれて……どうにか、助かった。地面は、焦げて赤くなって、熱かった。トト島も、全部壊れていた。瓦礫さえほとんど残っていなかった。ディーは泣くこともできないくらい弱っていて、ずっと、お母さんとお父さんを呼んでた」
「フィリア……辛いなら喋んないでいい」
「お父さんには、知っていてほしい。……過去に行って、変えないとこうなる。ディーが、冷たくなっていく時の感覚が、ずっと腕に残ってる。泣いてた。可哀想で、何もできなかった自分が……恨めしかった」
「もういい」
「お父さんが……何かしてくれるって思って、探し出した」
「フィリア」
「でも――」
「フィリア、いい。もう分かった。……ごめんな」
俺の体がガキじゃなきゃ、と少し恨めしくなる。
フィリアを抱き締めてやることができない。それでも腕を回して、こぼれかけていた涙をそっと拭った。
山を降り、王宮に向かった。
もうほとんど崩れていたがエノラが守ったというところだけは残っていた。ディーの寝室だ。2階建てになっているところで、屋根は消し飛んでいた。荒れに荒れていた。それでも1階部分は想像よりは綺麗に残っていた。
「……そう言えば、エノラの、体は?」
「何もできなかったから、残っている……はず」
「でも、どこにもねえぞ……?」
「そう言えば、確かに……」
「下を見ろ、2人とも。何かを引きずったような痕跡がある」
ファビオに言われた。確かに、それっぽいのがある。それと、黒い、何かが掠れたような痕跡も。
「血……?」
「血って、これは……エノラのものとも違うよな?」
「血を流している何者かが、遺体を運んだ?」
でも一体、誰が――?
答えは分からなかったし、その痕跡も途中で途絶えてしまった。
イザークが管理してくれていた王宮周りの庭も、荒れ放題だ。とにかく、荒廃した王宮の一画に今は腰を落ち着けることにした。本当に滅んでしまったのだと嫌でも思わせられる。
こうなっちゃいけないと、確かに思わせられる。だが、俺が過去に帰ってこれを回避したって、この島はこのままで残ってしまう。フィリアはそれで気が済むんだろうか。
「……過去を変えたら、お前はどうするんだ?」
夜になり、夕食を作りながら尋ねた。
ファビオはどこかをほっつき歩いている。フィリアは浮かない顔をずっとしている。故郷へ帰ってきたというよりも、30年という月日を実感しているんだろうか。目の前で全て失って、自然だけが戻った。だが人はいないのだ。
「考えてはいない」
「……オルトが、こっちのオルトがさ、お前を次のレヴェルト領の領主にしたい、って。名付け親だから、その権利はあるだろうってさ」
「名付け、親……?」
「あれ、言ってなかったっけか?」
「そう……」
「復讐するななんて俺は言わねえけど、それだけで終わっちまっても……何も残らねえだろ? どうするとか、どうしたいとか、考えられるか?」
「今は何も」
まあ、それも仕方ないか。
「……こっちの世界は、過去が変わって、どうなる?」
「何も変わらないと思う……」
「それでも、お前はいいのか?」
「いい」
「じゃあ、何のためにお前は……やってるんだ?」
「わたしが経験したことは、何も変わらない。過去を変えても、すでに定まった世界は変わらない。それでも……ディーに未来をあげたい。エンセーラムの未来を、別の世界になってしまっても願いたい」
「……お姉ちゃんだな」
「だって、ディーには悪戯して……それきりだったから」
「悪戯?」
「何したかは覚えてないけど……」
そんなことしてたのか。
でも仲は良かったんだよな、フィリアとディー。フィリアはいっつも誰に似たのか分からないくらいぐうたらで、ディーが遊んでもらおうとしたらちょっかい出して。ディーもそれで怒るのに、時間が経つと懲りずにまた遊んでもらいたがって。
「レオンハルト、フィリア」
「んっ? おかえり、ファビオ。どうした?」
「不審なものを見つけた」
「不審な、もの……?」
「来い」
ファビオに連れて行かれたのは礼拝堂の方だった。
すっかりこちらも自然に飲み込まれてしまっている。だが、誰かが通っているような踏み固められた道ができていた。
「何だ、これ……? 人、っぽいよな……?」
「死人の、通り道……?」
フィリアがぞっとすることを言う。
まさか、ないだろう。生きてるやつに決まってる。うん、きっと……。
「……とりあえず、調べてみるか」
でも何か、ここを進むのは気が引けるから、魔影を使う。どっから湧いてきたのか分からないが、魔物やら動物やらの反応がたくさんある。識別はできない。
「ダメだ、分からん」
「行くしかあるまい」
「行くべき」
「ためらえよ……」
怖いじゃんか、何か。
そのくせ、俺を先頭にしやがって。
「何か、でっけえ……ほら、シンリンオオガザミみたいのが通ったんじゃねえか? 気にしなくてもいいじゃんかよ」
「ナターシャが、この島を滅ぼした理由が分からない。もしかしたら、ここで何かしているという可能性もある」
「だからってさあ……」
「怖いのか、レオンハルト?」
「こ、こわ、怖くなんかねえよっ!? そ、それよか、ほらっ、ちゃんと前照らせ、前!」
光源の魔法を頼りに進んだ。
と、茂みが開けた。丁度、礼拝堂があったような場所だ。しかし、その影も形もない。
「……ない。よし、帰ろう」
「待て、足跡がある」
「だからぁあああっ!」
「……あれは、何?」
「何、何を見っけたんだ、フィリア? 何もない場所とか見つめるなよ? 絶対だぞ?」
「ちゃんとある」
フィリアが指差している方を見る。
茂みのすぐ近くだった。無数の石が立てられ、並んでいる。ぞっとする。底知れぬ不気味さがある。思わず息を飲む。と、肩にぽんと――
「うおおおっ!?」
「どうした?」
「おどかすな! ファビオかよ……はぁぁ……」
「それより、見ろ。奇妙な穴がある」
いっそのこと魔物でいてほしい。ヤマハミでもいい。
とにかく、こう、亡霊みたいな、そういうのじゃないことを祈りつつ、ファビオが示した方を見る。確かに地面に穴が空いていた。
「…………」
「深そう」
「魔物の穴蔵……にしては、人工的に見えるが」
「もういいって……魔物だよ、魔も――」
いきなり、変な音が穴の中から響いてきた。
地の底から、だ。ゴォォ、とも、グォォォ、とも、グルル、ともつかない音だった。うなり声か、何か?
「……ま、魔物だって。フィリア、危ないから、あんま覗き込むな」
「……よく見えな――あっ」
「どうしたっ!?」
「……赤い、2つの小さな光」
「離れろっ!」
まさかのヤマハミじゃね?
それでいいとは言ったけど良くない。
穴を見守る。
魔影で、穴の中へ魔力を巡らせた。何かが穴から這い上がってきている。距離を取りながら、穴を見る。そこから、白い手が出てきた。
「ひっ……」
「動く、死人……?」
「まさか、そんなもの――」
「腹ぁ……減ったぁぁぁ……」
「ああああああああっ!? 逃げろ、食われるぞ、ゾンビだ、ゾンビ! 死ね、ゾンビごらああああっ!」
魔弾を撃ちまくった。
手のかかっていた地面を撃ちまくると、こぼれてその手が落ちていく。穴の上へ立って、さらにしこたま撃ち込みまくる。
「帰れ帰れ帰れ、地の底に帰れっ! 出てくんな、大人しく死んどけっ、白と赤のパラソル会社なんかねえん――あいだっ!?」
「落ち着いて、お父さん」
「何すんだよっ、フィリアっ? だ、ダメだぞ、やめとけ、ゾンビの研究なんか! それフラグだからっ! 絶対にしちゃダメだかんな、そんなの!?」
「違う」
じゃあ何さ、と言おうとしたら穴の中が一瞬明るくなった。フィリアに引っ張られて穴を離れると、そこからとんでもない火柱が沸き上がった。空が明るくなるほどの火だ。それが収まったかと思うと、何かが飛び出してくる。
「腹減ってんのに……何するんだよっ!?」
背中の銛が、また僅かに熱を持ったような気がした。
それが服越しに伝わった。




