言い返せない相手
目が覚める。
変な窮屈さを感じてから、お父さんにしがみつかれていたことに気づいた。まだ眠ってるけれど抱き枕のようにされている。わたしがわたしと気づかれてから、豹変した。
ずっと覇気がなく、失意の底にいたのに目に光を取り戻していた。饒舌になった。口元をずっと綻ばせて距離を詰めて鬱陶しかった。でも最初にその姿を見てから、ディーが生きていたらこんな風になるんじゃないかと思って嫌な気持ちにはならなかった。
お父さんが子どもの姿になってしまっているのは次元の穴を通過した影響だと思う。メカニズムは不明だが年月を飛び越えてきたのだから、何が起きても不思議ではないだろう。こうなってしまった原因が分かるのであれば突き止めた方が良いが、それよりもわたしが通った時にどうなるかを突き止めたり、このリバウンドを防ぐ方法を模索しないとならない。
「ふぃり……あ……」
寝言でまで呼ばれる。
これが、お父さんとはちょっと思いたくない。
フェーミナという偽名の意味にも気がつかなかったのに、置き忘れてしまったスカーフ1枚で気づくなんておかしい。クセリニアからここまで、気づく気配もなかったのに。
だけど、らしいかな、とも少しだけ思えた。確かこういう人だったと思えた。
お父さんが起きた。
大きな欠伸をしてから、たくさんの傷があるお腹をぽりぽりかいて、わたしを見てから破顔する。
「おはよ、フィリア」
「……おはよう」
朝食を取った。
食事中のお父さんとの記憶はあまりない。見ないようにしていた記憶はある。だけど、あれはどこの国だったか、白いもふもふがいたところではずっと2人きりになった。いい尻尾の持ち主はいた。あの時の食事はお父さんに食べさせてもらった気がする。
食べているところをじっと見てきていた。監視されてるような気がして不愉快だったのは覚えている。
「過去に行くって、その……例の魔法でやるのか?」
「そう。だけどリバウンド対策をしなくちゃいけない」
「リバウンド、対策……?」
「わたしまで体が縮むわけにはいかないから」
「ああ……」
「それさえ分かれば、またやる」
あまり大掛かりなことにならなければいい。
資金はどれだけ切り詰めても足りなくなるし、稼ぐというのは大変だ。
「でも……ただ戻ったって、ダメだろ」
「どうして?」
水を差してきたお父さんを睨む。
「同じことの繰り返しになるだけだ。……アイナに、俺は完敗した。エンセーラム王国へ戻ったって、戦略魔法をどうやって止めればいい? ただ戻ればどうにかなる問題じゃない」
驚いた。
「何だよ、その顔?」
「……驚いてる。まともなことを言えたのが」
「フィリアちゃん、俺を何だと思ってるのかな?」
「飾りものの王」
「……正解だけども……」
行けばどうにかなると、思っていた。
どうにもなるとさえ、思っていた。
けれど指摘されてみればその通りだ。この人をもってして勝てなかったという相手がいる。そして戦略魔法という防御不能の最強魔法が国を滅ぼそうとしている。ただこの世界を変えることしか頭になくて、そこまで考えが至っていなかった。
「だけど……どうすれば、いいの?」
「……ナターシャっていう女のエルフを知ってるか?」
「知らない」
「そいつが絡んできてるような、気がする」
「どういう人?」
「俺の命を狙ってきた。シオンを操っていた。何を企んでるかは分からないけど、何かはしてるんだ。自分は表にあまり出ないで、人を使う。……そんな印象がある」
人を使う。
ふと思いつくことがあった。
「エルフの里に侵入して、秘された魔法を探った時に……すでに誰かが荒らしたような痕跡があった。エルフの里にあった禁忌の魔法は、転移の魔法だった」
「転移の魔法?」
「瞬時に離れた場所へ行く魔法」
「それ……もしかして、消えるみたいにか?」
「そう」
「ナターシャはそれを使ってたはずだ」
「ディオニスメリア王国騎士団の魔法研究所に忍び込んだ時の記録に、レマニ平原での戦略魔法暴発事故のことが記載されてた。それによれば、暴発した時にフードで顔を隠した2人組がいきなり現れたらしい。転移の魔法かも知れないと推測が書かれていた。そして、その片方について……魔技を使っていたように思える記載があった」
「転移魔法と、魔技……シモンか?」
「シモン?」
「ヴラスウォーレン帝国で会ったんだ。ナターシャについて行って、行方を暗ませた。俺と同じで、魔力欠乏症だった。縁があって知り合って、魔技を教えてやった。魔手だけだったけど、時間さえあれば魔手から魔鎧に応用させるくらいはできるはずだ。でもって、戦略魔法の暴発現場に出てきたってことは……ディオニスメリアが研究してた戦略魔法をそこで知った可能性もある。そいつを、エンセーラムにぶち込んだ」
黒幕は、ナターシャというエルフ。その線はかなり濃いように思える。
知らないところで転移の魔法を用いてずっと暗躍し続けていたというのも考えられる。
「ナターシャだ、あの女を押さえないとどうにもならない」
「……でも転移の魔法は、万能じゃない。不思議な性質があって、転移の魔法は海を超えることができない」
「海を超えられない?」
「そう。だから地続きの場所にしか行くことができない。大陸間を股にかけて移動することはできないけど、船やワイバーンに乗って移動をするようには思いがたい」
「大陸間を、船もワイバーンも使わずに移動なんてムリだろ……」
普通に考えればムリだ。
けれど聞く限り、常識的な考えでははかれない相手である。何かあるのかも知れない。
「…………」
「…………」
過去へ行く前に、考えなければならないことができた。
「マオライアスとか、セラフィーノはどうしてる? メーシャは? 分かるだろ?」
「メーシャはジョアバナーサにいる……と思った。10年くらい前のことだから、今は分からない。マオライアスはどこかに旅に出たとしか、知らない」
「セラフィーノは?」
「レヴェルト領にいる……はず」
「レヴェルト領……そうか、もうオルトもぼちぼち年で、セラフィーノを――」
「オルトヴィーンは元気」
「…………」
お父さんが半目になった。
それでいて渋い表情をしている。
「つくづくあいつは……。でも、オルトのとこにはファビオとソルヤもいるだろうし……あいつらの知識なら何か、いいことが思い浮かぶかも知れないか」
「でもわたしは……エルフの里に無断侵入をした。エルフには、顔を合わせづらい」
「ファビオとソルヤが咎めて何かしてくるなら俺が守ってやる。オルトになら、このことを話してもいいはずだ。信用できる。レヴェルト領に行こう」
本当に大丈夫だろうか。
エルフの里から、わたしは禁忌の魔法を暴いてしまったというのに。
「ナターシャについても、同じエルフのあいつらなら知ってるかも知れないだろ? 過去に戻った時、ナターシャは必ず潰さないとダメだ。生かしておけない。俺を信じろ、フィリア」
「……分かった」
宿を引き上げた。
咎められるのに臆して使わないでいた転移の魔法を習得しているとお父さんに教えたら、それでレヴェルト領に行こうとすぐに言ってきた。
「転移の魔法は大量の魔力を使ってしまうから、連発することはできない。ここでやり残したことはない?」
「連発できないって……お前は魔力無限みたいなもんだろ?」
「それは違う。魔力だけならお父さんが言うように、何度だって保たせられるけれど魔力変換器は別。使いすぎれば体に負担がかかってしまう」
「……そんなもんなのか?」
「行っても、大丈夫?」
キャスとちゃんと話さなくてもいいのかと確認している。まっすぐ目を見ると、お父さんは少しだけ目を泳がせてから頷いた。
「……本当に?」
「くどいぞ?」
「キャスは、きっと怒らないと思う」
「巻き込みたくないし、心配もさせたくない」
「エンセーラム王は……」
「あん?」
「秘密主義だと、言われていた。肝心のことを口にしないばかりに、やらかした時のリスクが大きい」
「何が言いたい?」
「名乗らなくてもいいから、天気の話でも何でもいいから、キャスと話してきてほしい」
だってキャスはずっと、お父さんを心配していた。
どこかにいると信じようとしていた。すぐに別れることになったって、一目だけでもまた会いたいと彼女は思っている。
「でもな、フィリア――」
「わたしのお姉ちゃんのために、行ってきてほしい」
それでもお父さんは渋ったが、頭をかきむしってから気の乗らなさそうな顔でうなだれて了承した。