センチメンタルジャーニー
マレドミナ商会の船で、ディオニスメリアへ密航した。大きな葡萄酒の酒樽に入り込んでの密航だった。大きな樽だが、2人入れば狭くなる。体が小さくて良かったが、狭くて暗い空間でフェーミナとずっと2人というのは体が強張った。夜をみはからってこっそり樽を出て、体をほぐしながらの船旅だった。
ディオニスメリアは、今は女王が統治している。シグネアーダ女王である。
しかし、治世は荒れているということだった。あちこちに賊が出没し、畑は荒らされ、奴隷と奴隷商が溢れ返っている。騎士団はエドヴァルドが団長を退いてしばらくしてから、派閥争いが始まって足の引っ張り合いをしたということだった。それにつけこむようにして、どんどん治安が悪化していったんだとか。
騎士団の分裂によって、貴族がそれぞれの派閥についた。元々、騎士団は貴族の集まりだ。様々な思惑の下に騎士団と貴族の癒着が強くなり、かろうじてまだ国としての体裁を保っているような不安定な情勢だとフェーミナは説明した。
いつになっても派閥を作って争い合うお貴族様というのは変わらないらしい。
「あなたは奴隷と奴隷商を徹底的に憎んだと聞いている」
「徹底的……ってのはどうだか。大っ嫌いなもんの殿堂入りだけど」
「けれど……わたしは色々あって、ディオニスメリアではお尋ね者になっているから、騒ぎは起こさないでもらいたい」
「何した?」
「内緒」
「…………」
「奴隷を見かけても無視。騒ぎになっても逃げることが最優先。
これを厳守してもらわないとキャスのところには行けないし、連れていかないというのを肝によく銘じておいてほしい」
ジェニスーザ・ポートに降り立ったところで、そう言い聞かせられた。
「ウドンに、行く?」
「……まだあんのか?」
「潰れてなければ、あるはず」
「……行ってみるか」
気を利かせたのか、発破をかけたいのか。
フェーミナは煮え切れない俺を持て余しているような感じだった。
ウドン1号店は俺が最初に構えた場所に、そっくりそのまま建っていた。もう建物が古くなっているがスパイスの腹をくすぐる香りは変わらなかった。店内に入るなり、威勢の良い声。
「へい、いらっしゃい!」
カウンター越しの厨房に立っていたのは、若い男だった。
だが、その中にもうひとり、すっかり頭の禿げ上がったケヴィンがいた。
「並」
「大」
「お前、大でいいのか?」
「お腹が減ってる」
意外と食うらしい。
一言で済む注文をすると、すぐにカレーうどんが出てきた。
エノラに冷めた目を向けられながら試行錯誤して作ったっけ。変わらない味だった。味をよく守ってくれてる。だが、俺が切り盛りし、ケヴィンに店を明け渡したころより客の数が減っている。あのころは行列ができてたのに待ち時間ゼロで入れてしまった。
「儲かってるか、店長」
「ぼちぼちってとこっす」
何となくケヴィンに声をかけたのに、答えたのは若い方だった。
後進に店長を譲っちまったのか。時の流れを感じて、また何となく気が落ちた。
ウドン1号店を出て、マレドミナ商会支部の前を通りかかると馬車がその前に停められていた。あの馬車は確か、セシリーが乗り回していたやつだ。マレドミナ商会のマークもついている。
「覗く?」
「……いいや」
どうせまた、センチメンタルになるだけだ。
「覗いた方がいい」
行こうとしかけ、手首を掴まれた。
「いいっての」
抵抗して引きずるつもりで行こうとしたが、フェーミナも力が強い。
「ここの支部長は、あなたの教え子」
「尚更、いい」
魔鎧も使うが、フェーミナも魔鎧を使ってくる。
石畳に圧がかかっているのが分かる。あまり踏ん張り合うと、割れそうな勢いだ。
「悔しがるなら、悔しがれ……!」
「何でだよ……!」
石畳が僅かにずれたのが分かった。
傍目には引っ張り合って互いにぷるぷるしているだけだろうが、間にバネを挟めばすぐさまピンと伸びることだろう。
「それじゃあ、視察に出てくるから。会長が来たら収支報告書を渡して」
商会のドアが開いてヒゲを蓄えた男が出てきた。フェーミナがパッと手を放し、地面につんのめって顔から倒れ込んでしまう。
「痛って……こんにゃろ――」
「大丈夫?」
ヒゲの男に声をかけられてしまった。
渋々、その顔を見る。たれ目。このたれ目は覚えがある。ヤーゴか。こいつが、ジェニスーザ・ポート支部長に――。
「……大丈夫だから」
立ち上がって服の汚れを叩いて落とす。フェーミナを睨むとそっぽを向いていた。
「行くぞ、フェーミナ」
「……いいの?」
「いいっつってんだろ」
視線を感じながら足早にそこを立ち去った。
ヤーゴが支部長。そう言えばセシリーと一緒に視察とかしてたところに出くわしたことがあったか。スハイツはどうしてるんだ。マレドミナ商会を辞めたりしちゃったんだろうか。
そう言えばスハイツは学校の先生になりたいとか、言ってた気がする。エンセーラム王国が残ってたら島に戻ってきて教鞭を執ることもあったかも知れない。でもその夢は、もうどうやったって叶わない。
窮屈な船旅を終えたばかりだったが、ジェニスーザ・ポートには留まらずに出発した。
成長したヤーゴの顔や、ケヴィンの老けた面が頭にこびりつく。あいつらはエンセーラム王国がなくなったと知った時にどう思ったんだろう。ショックだっただろうか。ヤーゴは家族が島にいたはずだ。亡くしたはずだ。無念だったろうか。
俺がちゃんとしていれば――。
野宿の準備をした。
天幕は張らず、石ころを積み上げた簡単な竃を作って、その上に鍋を置いて火を入れた。
「……ディオニスメリアでは、マレドミナ商会は苦戦している。貴族に人気があったジャムや砂糖という主力商品がなくなってしまったから、らしい」
「だろうな……。甘味はどうしたって庶民には手に入りづらい。お貴族様の食いものだった」
「加えてディオニスメリアは貿易にも力を入れ始めて、マレドミナ商会の商売敵が増加してしまった」
「元々、目の上のたんこぶだったからな……。どうにかこうにか、甘味で優位性を持ってたから、大商人どもに睨まれてたんだ」
手際良くフェーミナは野菜の皮をナイフで剥いている。俺は皮を剥いたそれを切って鍋にぶちこんでいく。炒めて火を通していく。
「けれど、マレドミナ商会はラサグード大陸にまで流通路を拡大したと聞く。エンセーラム王国がなくなってもジョアバナーサ王国や、カスタルディ王国といった強国がマレドミナ商会の後ろ盾になってくれて、竜口大河での商売に参入することができたから」
竜口大河。
西クセリニアの竜の上顎と下顎の間にある、超巨大大河だ。あんなところまで販路を切り拓いたのか。
「ディオニスメリア、クセリニア、ヴェッカースターム、ラサグードの4大陸を股にかけて商売をしているのはマレドミナ商会だけ」
「……そうか」
ラサグードに行った時は遠すぎて商売できるような想像がつかなかったのに、やっちまったのか。セシリー様々だ。ぽんこつだったのに、リアンが築いた商売の基盤をさらに広げられたのか。
「ディオニスメリアの西部では、あまりあなたの話を聞いたことがない」
「ほとんどっつうか……行ったことがなかったからな」
「そう……。キャスは西部の、ある港町で暮らしてるはず」
もう、キャスもおばさんになってるんだろうな。
あのちっちゃかった女の子が。結婚してたりするんだろうか。じいさんは嫁にいくなら俺を納得させてからにしろ、とか言いつけてたけど、死んじまったんじゃあそんな約束も果たせないはずだ。キャスが大好きだったじいさんとの約束を破れるんだろうか。仕方ないにしろ、でも……。
キャスに会ったら、何て言おう。
俺が俺だとは明かせない。合わせる顔がない。でも会いたい。わがままだ。
「……やっぱ、会わねえ方がいいのかね……?」
悩みが口から漏れた。
鍋に水を入れたフェーミナが俺を見てくる。
何か言われるものかと目を逸らしたが黙って、鍋の中身をかき混ぜた。やがて煮えてきて、調味料とスパイスを入れた。即席カレーもどきを食って寝た。どこか懐かしい味がしたのは、やっぱりスパイスの香りによるものだったんだろうか。