未来はまだそこにある
「あそこがマレドミナ商会の支部。クセリニア大陸のアイウェイン山脈から東側を担当している」
「丸ごとか?」
「丸ごと」
港町に立ち並ぶ商店。
その端っこにマレドミナ商会のものだという建物があった。3階建ての石造りの建物だった。1階が商店として解放されている。マレドミナ商会の看板も出ていた。
「その姿ではすぐに、あなたがあなたであるとバレることはないと思う。それでも用心したいのであれば用意はある」
「用意って言うと?」
「独自に作り出した魔法で、髪の色を変えることができる。赤、茶、金、白、青、黒で対応可」
「んな魔法作ったのか……。使い道あんのか?」
「使わないなら構わない」
「……キンパで頼むわ」
かくして、金髪デビューした。
頭皮がやたらむずむずしたが、見事に金髪になった。どうしてこんな魔法を作ろうと思ったんだか分からないが、染髪なんて発想はこの世界になかったはずだ。髪の色が違えばどんだけ似てようがまず別人だと思わざるをえないだろう。
倉庫の隅で髪の毛の色を変え、ニゲルコルヌにも布を巻いてそれと分からなくしてから、下見のためにマレドミナ商店に入った。
ボコロッタで見た店とは、当然だが品揃えは違っている。主力商品であったはずのジャムや砂糖なんかはなくなっていた。エンセーラム王国で作っていたものは消えてしまっていた。
それでもスパイスは各種取り揃えられていた。あれはヴェッカースターム大陸で生産していたから免れたんだろう
「……何か、別の店みてえだ……」
「30年前は……どんなものが置かれてたの?」
「甘いものとかさ。あと米とかも流通させようって計画はあった。魔法で低温管理した箱に品物を詰めれば腐らせずに長距離を運べるだろうって……。エンセーラムの船はどこにも負けない速さと、安全性があったはずだったんだ。船大工とロビンが最初の一隻を作るのに、ずっと試行錯誤をして……。ゆくゆくはさ、船の中に直接、氷室みたいな部屋を作っちまおうって。海の彼方までエンセーラムの食べものを運べるようになればいいってリアンが言ってた。そうすれば特産の豆腐だとかも遠くで口にできるだろうって……」
もう、できないだろうけど。
「トウフ……」
「味がないって最初は不評だったけど、好きなやつは好きだった。冷やすとさっぱりしてて、柔らかくて。ほんのちょっと甘味があって醤油をたらして食うんだ。ほとんど味はないから。エンセーラムは暑かったから、冷やしたのをご馳走みたいに喜ぶようなのもいてさ」
給食でも、暑い日に冷たい豆腐を出してやれば子どもらは喜んで食ってたっけ。
「いらっしゃいませ。何か探してるならお手伝いしますよ」
店のやつが出てきた。あまり人のいない時間帯だったのか、閑古鳥が鳴いている店なのか、客らしいのは俺とフェーミナしかいなかった。
「ちょっと覗いただけだから気にすん――ん?」
手を振って店員から離れようとしたがフェーミナに肩をそっと押さえられた。何なのかと目で問うが、店員の方へ目配せしてくるばかりだ。
「……?」
とりあえず、ちらっと店員を見る。
もう四十路に近いような男だった。が、見覚えがあるような、ないような……。
「……ジェネ……?」
「えっ?」
ジェネだ。
ボコロッタでハメられかけ、濡れ衣を着せられかけた……。
「何でお客さん、俺の名前……?」
「あっ……いや、名札っ、名札、つけてんじゃんか」
「ああ、そっか――って、字が読めるんだ、僕? 偉いな」
そういや俺、ガキだった。
でも教え子を見上げることになるとは。ていうか俺は客なんだから、接客敬語を使いなさいっつうの。頭を撫でるな。
誤摩化せたからいいんだけど。
「そうだ、新商品があるから見ていって。面白いから。ええと……これこれ」
あ、客として捕まってる。
すっかり中年になったジェネが店内の一隅から何かを持ってきた。箱だった。蓋を開けると小さな、小さな4本の弦が張られた楽器が置かれている。共鳴孔がある、40センチほどの長さの弦楽器。ギター作りをしている時、一緒に製作していた職人にコストと金属弦を作る工程の難しさから提案しておいたものだった。その名も――
「ウクレレ……」
「知ってる、の……?」
「えっ? あ、いや……別の店で、見たっていうか……?」
「ああ、そっか……。エンセーラム王国っていうのが昔あって、そこの王様が考案してた楽器なんだ。本当はもっと大きくて、金属の糸を張ったものだったんだけど……こうやって、この長い部分の上にある線を指で押さえて、こっちの穴のところを指で引っ掛けると……ほら、こうやって音が鳴って」
「ガットは、羊の……腸か?」
「え、ああ……。詳しいなあ……」
「ちょっと貸して」
横からフェーミナが手を出し、ウクレレを持った。
すると、ちゃんとフレットを押さえてコードを鳴らし出す。ジェネも目を大きくしていたが、俺も口が開いた。軽やかな音をフェーミナは綺麗に鳴らした。
「弾けるの、お前……?」
「これほどちゃんとしたものは作らなかったけど、似たようなものは自作したことがある。あれはすぐに調弦がズレて使い物にならなかったけど」
「今なら銀貨1枚と銅貨25枚を、銀貨1枚ぽっきりにしとくよ。買ってってよ。音楽家優遇なんだ、うちの商会は」
音楽家優遇。まだ、やってたのか。
旅の音楽家とは仲良くなることが多かった。でもほとんどが貧乏旅をしていたから、マレドミナ商会で支援ができないかと考えてリアンに頼み込んだことだった。
もう、国がなくなって、俺も死んだことになって30年が経ってるのに……。
「あと、待ってて! まだあるから、面白い楽器!」
さらにジェネは少し埃を被っていたカホンまで持ち出してきた。箱の形をした打楽器だ。上に座り、床についた足の間から面を叩く。真ん中に近いところほど、低いドンという音が鳴り、ヘリに近いところほどハッキリしたパンという音が鳴る。
ジェネはドンドンパン、ドンドンパン、とゆっくり叩き、それに乗せて歌い出す。
俺の大好きだったバンドの、超有名な歌。歌詞は勝手に改変しておいたが意味自体はそれほど変わってないと思いたい。英詩だったからあやふやだが、そのリズムと、歌のメロディーは変わらない。
驚かせてやる、あっと言わせてやる、と挑発的に歌う歌。
その力強さに奮い立たせられる歌。
もうずっと前に、俺がユーリエ学校で子どもらと一緒に歌った。
その中にはもちろん、ジェネもいた。
息づいていた。
エンセーラム王国があったということが、俺がそこでやっていたことが、30年の時を経ても確かに残っていた。歌とも相まって衝撃的だった。涙腺が緩くなっててたまらない。だが、涙はこぼさなかった。
歌の途中で早足に店を出ていった。
ダメだ、たえらんない。もう、エンセーラム王国はなくなった。消えてしまった。それがまた、たまらなく悔しくて、打ちひしがれそうになる。
「……また、泣くの?」
「泣いてねえよ……」
建物の陰でしゃがみこんでいたら後ろから声がして言い返した。フェーミナだ。
「取り返しがつかないから、泣くの?」
「泣いてねえって言ってんだろ」
何もかも、今さらなんだ。
戻れる保証はない、戻ったところでどうにかなるはずもない。
八方塞がりだ。
どん詰まりだ。
未来はすでに失われ――
「未来はまだそこにある」
フェーミナを振り返った。
確信を持った瞳だった。そこには希望の灯があった。
「何で……言い切れる?」
「そのために、生きてきた」
「何なんだよ、それは?」
「まだ、あなたに言うつもりはない。だけどいちいち、ぐずついてる暇があるの? 過去に行くことはできる。あなたが戻れれば、この未来を回避できる」
「どうやって……。俺にやれることなんてないんだよ……。負けたんだ、死んでたはずだったんだ」
「あなたがこの時代へ来たことには必ず理由がある。わたしはそれを、この未来から免れるためだと信じている。取り戻したいものがあるから、例えそうならないと決まっていたって抗う。そうでないと、やっていられないから」
誰だ、こいつは。
知っていそうなのに、知らない。
引っかかるのに掴み取れない、誰かだ。
「上を向いて歩けばいい。あなたの涙は、安くない」
何だそりゃ。
いじけた子どもの手を引くように、フェーミナは俺の手首を掴んで立ち上がらせてくる。
「これ以上、レオンハルト・エンセーラムという王を貶さないでほしい。わたしが尊敬する、王を」
俺は偉大な王様なんかじゃない。
誰かが支えてくれたから、そうしていられただけの傀儡の王だった。調べたというならそれくらい分かりそうなものなのに、フェーミナの言葉を否定することはできなかった。
俺は偉大な王様なんかじゃないから、誰かが俺を王なのだと言うのなら――応えないといけない。