2人の距離感
「ザラタンヤじゃねえか……」
「……知ってるところ?」
「ちょっと、な……」
町並みはあまり変わっていなかったが、雪の季節ではないらしくて景観は違って見えた。ザラタンヤではリュカが家出したことがあった。厳密には家出とも違うか。
俺が人間不信だとか何とかエノラに指摘されたっけ。そんな気はさっぱりねえってのに。何でもかんでも、俺がひとりで片づけようとするのを、他人を信じてないからだなんて言われたって……。そりゃ人間不信とは違うだろう、合理的な判断っていうやつだ。俺だけをベットして勝って見せれば周りを巻き込まずに終われるっていう寸法だ。
まあ、それが良いか悪いかについちゃあ、触れないでおくけども。
とりあえず、ちょっと懐かしい。
「こっからリュカの反抗期がスタートしたわけか……」
「……反抗期?」
フェーミナには眉をひそめられたが、若かりしころを暴いてやったって誰も得しないだろう。
日は暮れかけていた。
宿屋で部屋を取った。路銀はあまりないらしいので2人で1部屋。まだ色気づく年頃でもないってことなんだろう。俺の見た目が子どもすぎるってのもあるだろうし。でも不用心だなと、思わないでもない。若い女だろうに。
「リュカが反抗期とか言っていたのは、一体、何?」
「お前、リュカのことも知ってるの?」
「……知ってる。あなたの、右腕だった」
「そこまで大層なもんじゃねえよ……」
「四天王最強だったとか」
「四天王?」
「……違うの?」
30年で一体どんな風に俺は語られちまってるんだ?
「まあいいや……」
「リュカ・B・カハールのことについて詳しく」
「……俺がここに来た時、リュカも一緒にいたんだ。あと、エノラっていう……俺の、後の嫁も。3人で旅をしてたけど、最初はエノラと俺が折合い悪くて、それがリュカは気に入らなかったんだ」
「気に入らなかった……?」
「俺を……あいつが大好きな正義の味方として見てた――ってことなんだろうな。何でもできちゃう、無敵のヒーロー。だけど、そんなじゃないし、エノラには出会い頭でしてやられたから……まあ、ちょっとな。それがリュカには気に入らなくて、拗ねて、宿屋から姿を消した」
懐かしい話をかいつまんでしてやった。
このザラタンヤの出来事をキッカケにリュカは成長していったように今は思える。ジョアバナーサで別れるまでは敵視――でもないけど避けられがちだったし、あのころは寂しかった。まあでも、神殿とやらから帰ってきたら立派になってたな。ちらほら目を覆いたくなるところはあったし、ヘタレたとこまで見せてきはしたものの。
宿屋で夕食を済ませて寝た。
以前にザラタンヤに宿泊した時、リュカがずっと帰ってこなくてひとりで部屋で待ってた。だが今はすぐ隣のベッドで無警戒にフェーミナが眠っている。
フェーミナの寝顔も、何となく、誰かの面影があった。
やっぱり誰かに似ている気がする。でも分からなかった。
「……つか、蹴っ飛ばしてるし」
寝相が悪かった。
蹴っ飛ばされて床に落ちたシーツを拾ってかけてやった。何か目が離せないんだよなあ……。
ザラタンヤは翌日に発ち、港町へ向かった。
道中には魔物が当然のように出てきて、ニゲルコルヌで薙ぎ倒していった。ちょろかった。
なかなかフェーミナも旅馴れていて魔物との戦闘中に観察をしてみたが、ひとつ驚かされたことがあった。魔技を使っていた。どうして使えるのかと尋ねたら、本を読んで覚えたとか言っていた。まさか俺が読んでたのと同じものがあったとは、と驚いた。
しかも魔法も問題なく使えて、リュカのように魔力容量や魔力変換器などといったものまで発達していて、さらにはリュカと違って外部から魔力を取り込むことさえできていた。これはもう、完璧に俺の上位互換かも知れない。得物までフェーミナは槍も剣も使うという被り方だった。
「お前……俺のこと、調べたとか言ってたよな……? それで、なのか?」
「……そう、と言えるかも知れない……? けれど偶然が重なった結果、こうなってしまったというだけであなたを意識していたわけではないから変な勘違いはしないでほしい」
「どんな勘違いだよ」
「どんなもこんなもない」
にべもねえ。
まあでもヘタに魔法戦もできる分、ただただ純粋な槍の腕前だけなら俺の方が上だろう。そのはずだ。やたらフェーミナの振るう槍が速いと思ってしまうのは、きっと気のせいってもんだ。速かろうが重さがないといけないわけだし。うん。
歩くのがだるくて、途中何度かレストの笛を吹こうかと思った。
だが来なかったら寂しくなりそうで、吹く勇気がなかった。30年。ワイバーンの寿命を考えれば余裕なのだが、クライテの森からしっしと追い払っておいてそれきりだ。さすがにもう、どこへなりとも行ってしまっただろう。笛を吹いたところで聞こえないだろうし、聞こえたところで今さら来てくれるものかどうか。
感覚としてはついこの前、聖竜祭に参加をしたばかりだがレストにとっては30年も前のことだ。
ワイバーンは特別の情愛を示した相手を乗せて飛べば空の壁を破るとロベルタが言っていた。レストは俺を乗せて空の壁を破り飛んでくれた。だと言うのに、30年間も放ったらかし。
幻滅されてても仕方がない。今さら笛を吹いて、もしやって来たとしても噛み殺されるかも知れない。そうなっても俺は文句なんて言えない。
ほとんど重さなんてないはずのレストの笛が、指でつまんで持ち上げればやけに重く感じてしまう。
気が滅入る。
ふとしたことで嫌気の差す旅路だった。
それでもたまに、楽しくなることはあった。フェーミナがその原因だった。
ザラタンヤを出て数日した日のことだった。林の中を歩いていた時、いきなりフェーミナが足を止めてまばらな低木の茂みの向こうをじっと見据えた。
「どうした?」
「しっ」
口を押さえた。
それから目を凝らせば、茂みの向こうに茶色の毛に覆われたオオツノウサギの子どもがいた。角なんてちょこんと数センチしか額から生えていない、仔ウサギだった。フェーミナは荷物を下ろして何かを取り出して撒いた。乾燥した何かの木の実だった。木の香りがするものだった。仔ウサギが匂いに反応したのか鼻をひくつかせ、警戒しながら少しずつ寄ってきた。
取っ捕まえて食うのかと思ったが、フェーミナはさらに10センチ四方くらいの木の板と細い筆と黒い棒を取り出した。木の板には薄い布を張って留め、黒い棒をその上でなぞり出す。と、黒い線が引かれる。
そうしてフェーミナは撒き餌をぱくつく仔ウサギを描き始めた。うまかった。仔ウサギは撒かれたエサをさっさと食べるとどこかへ消えてしまったが、木の板にはすでにその姿が描き残されていた。
「……うまいな?」
「それほどでも、ない。それに、絵具はない」
「色つけたことはないのか?」
「ない」
「ふうん……」
木の板に息を吹きかけ、その出来映えをしばし鑑賞するのを待ってから、また出発した。何枚か描いた絵が手元にあると言うから見せてもらったが、色々と描いていた。魔物の絵も多いが、風景画も多かった。
黒一色で描かれた絵だ。筆代わりの黒い棒は、木炭ということだった。つまりこれは、木炭デッサンだったわけだ。この木炭も自作したとか言っていた。木炭を作るには火をずっと燃やし続けなければいけないが、それだけの木を集めるのが面倒だからずっと魔法を使い続けて絶やさないようにしたらしい。
するとつきっきりにならないとならず、しんどかったとも言っていた。
ズレたやつである。
でも魔技が使えるからこその荒技なんだろうと笑ってやってから思った。
俺にはよく分からない感覚だが魔法を発動し続けるというのはしんどいらしい。短時間ならまだしも、木炭ができるまでずっと、というのは常人にはできない。思い返してみれば日常的に火を点けたりするシーンを見たことはあるが、木の枝なんかにいつも移していたし、そういうことなんだろう。
フェーミナの絵はどれもこれもよく描けていた。
でも画家になりたいわけではないと言われた。何となくやったら楽しいから続けた、というだけのようだ。
「何で、絵を描こうとか思ったんだ?」
この世界では絵描きなんて上流階級の人間くらいのもんだ。それか職人だ。大工だとか、そういう職人がやることはあるが、画家という職業人は見かけたことがなかった。
「……絵は見たものがなくなっても、手元に残しておけるから」
「ふうん……」
片言節句から、何となくフェーミナも天涯孤独の身じゃないかと推察している。
どんな事情を抱えているのかは気にしないでおいた。フェーミナも何かしらを俺に隠しているのだから、あまり踏み込まない方がいいだろうと思えた。