追いついた悪意
カルディアについての、分かっていることは把握したと言ってソロンはクセリニアへ戻ると言い出した。アッシーみたいで悪いとは思ったがユベールに頼んで、ソロンを送ってもらった。今、国を離れるのは心情的にできなかった。
ディーはまだ高熱にうなされている。
シオンは厳重に拘束しているがどうなるか分からない。
帰ってきた翌日、ディーに栄養のあるもんを食わせたくて漁に出た。白身魚を仕留めて、イザークに渡しておいた。それと豆腐とあといくつかの野菜でイザークは煮込みうどんもどきを作っていた。セラフィーノを預かる代わりに、ということでオルトが醤油作りの職人を寄越してくれていたから、その副産物で味噌も得られるようになっている。味噌煮込みうどんをイザークは作り上げてしまったのだ。心底驚かされた。
どうもディーが気になって仕方なく、気を落ち着けるためにリュカのところへ行った。リュカと割と本気の稽古をすれば発散されるだろうと思った。の、だが先客がいた。
フィリアだった。
「あ、レオン」
フィリアはリュカに懐いてる。
何がいいのかは知らんが、ひとりで王宮から礼拝堂まで来たらしい。礼拝堂の前でリュカはフィリアと遊んでくれていた。俺に気づくとフィリアはリュカの後ろに隠れる。
「フィリア、来てたのか……」
「うん。ディーのために、神様にお祈りしてって言われた」
不意打ちでじんとさせられた。
「そこまでは俺もできないんだけどね……。ソアは病気にはちょっと……」
俺の感動を返せ――とは言わないでおこう。
フィリアはちゃんとお姉ちゃんをしてるんだな。
「……でも、レオン」
「あん?」
「変なこと言ったんだ、フィリア」
「何?」
「声が聞こえたって」
「……声?」
「フィリア、言ってもいい?」
自分の足にくっついているフィリアを見下ろしてリュカが尋ねる。少し間を置いてからフィリアはこくりと頷いた。リュカの指を取って握っている。
「泉に来い、レオンを殺せ……って感じみたい」
「何だ、そりゃ……?」
「俺もよく分かんないけど、ずっと、聞こえてたんだって。ディーも、聞こえてたって……」
俺を殺せ?
泉?
「…………まさか」
アイナ。
泉の神の巫女、剣精アイナ。
「知ってるの?」
「アイナ、覚えてるか?」
「確か……何だっけ、グラトエッタの時の……?」
「アイナは生きてる。エノラも巫女だった。いや……まだ、巫女のはずだ」
王宮へすぐに戻り、エノラに詰め寄った。
リュカから、フィリアが変な声を聞いたと伝えるとすぐに目を大きくした。
「ありえるかも知れない……。いや、気がつくべきだった。忘れていた……」
「何をだよ、教えろ」
「あたしはまだ、泉の神と繋がりを持ってしまっている。加護の力も、魔法も、ずっと使ってはいないからアイナに居場所を知られずに済んでいるだけで、まだ……命を狙われている。あたしが死ななければアイナと、あたしに分けて与えられている加護の力を統合することができない。だけど、これまで巫女は役目を終えるまでに子を持ったことはなかった。それは……産んだ子にも加護が微量に分け与えられかねないから。
フィリアが聞いた声の主というのは恐らく、泉の神からのもの。だとすれば、フィリアもディーも加護を持ってしまっている。ディーの熱がひかないのは泉の神が関係しているかも知れない」
「そんなことしてどうなる?」
「泉の神がやっているのならば、止めなければディーは衰弱して……死んでしまう。そうしてあたしとレオンハルトを誘き出そうとしているのかも知れない」
10年だ。もうアイナと戦ってから、10年になる。
だって言うのに、今さら、今になって関わってくるのか。
「あたしが、気がつけなかったから……」
「お前のせいじゃねえだろ」
いつもの顔色をさらに白くさせながらエノラが震える。抱き締めても、止まらなかった。ディーがいつ体力の限界を迎えてしまうかは分からない。誘き出そうっていうことはそれなりの用意をしているっていうことだが、こっちに周到に用意をしていくような時間などはない。
「行ってくる」
「レオンハルト……?」
「いつまでも、うだうだやっちゃらんねえだろ。クライテの森だったな。ケリつけてくらぁ」
アイナとやり合ったのは10年前だ。
あのころより強くなっている。魔力中毒はない。フェオドールの魔剣の使い方を知っている。ニゲルコルヌの重量にも慣れている。
剣精とかいう二つ名持ちが相手だろうが、負けるつもりはない。
向こうが剣精ならば、こっちは穴空きだ。そう名乗っちまえば同じ二つ名持ち。いける。
一刻の猶予もない。
ニゲルコルヌとフェオドールの魔剣を取りに行こうとし、後ろから服を引っ張られて止められた。
「エノラ……?」
「……あたしが、行く」
「は……?」
「アイナと……泉の神と、戦うべきはあたし」
「何言ってんだよ。お前じゃ勝てないからって、ずっと逃げてたんだろ?」
振り返ろうとしたが、エノラは俺の背中に貼りつくように隠れてくる。何をふざけてるのかとも思ったが、そうじゃないらしい。まだ、震えている。
「最悪のことを……想定するべき。その時、行くべきはあたしの方がいい……」
声も、震えていた。
誰よりもアイナを怖れているのはエノラだ。
最悪の想定は、クライテの森へ行って死ぬこと。
アイナは俺を恨んでいる。怨嗟の声を聞いている。だがアイナがエノラを殺そうとしているのは、泉の神を復活させるため。
俺が死のうともアイナはエノラを殺す理由が残っている。
だがエノラが行き、エノラが死んだら――アイナはもう恨みを忘れるかも知れない。アイナの目的は泉の神の復活であり、そのためにエノラは殺さなければならない。
俺が行って死ねば、次はエノラ。
エノラが行って死ねば、その次という可能性はなくなるかも知れない。
「フィリアと、ディートハルトは、きっとあなたがいれば……大丈夫だから」
「バカなこと言うなよ」
「マジメに言っている」
「隠れないでこっち向けっ」
エノラの手首を捕まえて向き直る。
さっとエノラは顔を隠したが、その手も掴んだ。気丈に俺を睨みつけてきたがその目は潤んでいる。
「ちゃんと生きて帰る」
「そんなことっ……」
「そういう約束だろ。破ったことあったか?」
ないさ。
だってここにいるんだ。
「ハナっから死ぬ心配をしてるやつを行かせられるかよ」
「けれどアイナは……強い」
「俺だって強い」
「それでもアイナには加護がある」
「加護は魔剣が喰らう」
「あたしが……巫女であったことを忘れていたせいで、こうなった。だからこの責任はあたしにある。ディーが苦しんでいるのは、あたしがっ――」
みなまで言わせずに抱き締めると、エノラが鼻をすすったのが分かった。
「んな悲しいこと言うなよ……。誰が悪いんじゃない。お前が気づけなかったから? 違うだろ。それより、ディーを産んだことになる。それより、俺とお前が結婚しちゃったことになる。出会ったことになる。俺がいたから、お前がいたからになる。そうやって元を辿っていったら、途方もないとこに責任押しつけることになっちまう。人がいたのが間違いだとか、そういうレベルにまで。んなもん、どうにもならねえよ。だから責任なんか誰にもない、お前が自分を責めることもない。俺に任せろ、この無敵の穴空きレオンが解決してきてやる」
放そうとしたが、エノラが離れなかった。
青い髪の毛をそっと撫でる。腕の中の体温を感じる。俺が守るんだ。
俺の子どもを産んでくれた。
家族になってくれた。
それが嬉しい。
いつも心配かけてばかりで、ろくに父親らしいこともできてないけど、その分たまには格好をつけなきゃならない。
「……ほんの10日前後、ディーと、フィリアも頼むぞ」
「レオンハルト……」
「何だ?」
「……愛してる」
「……照れるだろ」
それに、特別なことをするんじゃない。
てめえの子どもを助けるためなら、何だってするのが親ってもんだろうよ。




