アインス
王宮の中庭へ、レストで降り立った。
横へユベールとウォークスまで降りてくると、マノンが出てきた腰を抜かしかけた。
「ただいま、マノン」
「おっ……お帰りなさいませ……」
「こいつはユベール。カスタルディ王国ってとこの王子だ。来たいって言うから来た。客として迎えてやってくれ」
「はひっ!? お、王子様……ですか……」
「随分とこの王宮は静かだな」
「あんま人いねえんだよ。で、フィリアもただいまってしろ」
フィリアをレストから降ろすと、やっと俺から離れられるとばかりにぱたぱた走って行ってしまった。切ない。
「エノラとディーは?」
「今、ディー坊ちゃんがお熱を出してまして……」
「熱っ? 大丈夫なのか?」
「ただの熱かとも思っていたんですが、少し様子がおかしいと……」
「ユベール、まあ適当にくつろいでてくれ。あと、この島の密林はできれば入るなよ。何かありゃ、マノンに言いつけろ」
熱を出してるなんて穏やかじゃない。
急いで王宮内に走っていった。ディーの部屋の前にフィリアがいて、扉の隙間から中を覗いていた。俺に気がつくと逃げるのかと思ったら、意外なことに動かない。
「中入らないのか?」
声をかけたが無言だった。
まあいいやと思ってドアを開き、中に入るとベッドの傍にエノラがいた。
「ただいま、エノラ。ディーが熱出してるってマノンに聞いたけど……」
「レオンハルト……おかえりなさい。おかしな熱が出てる」
「おかしな熱?」
「解熱剤も効果がなかったし、ずっと……もう5日も熱が下がらないでいる」
寝かせられているディーの汗をエノラがそっと拭いた。顔を赤くし、今は眠っているようだ。
「変な病気か……?」
医者はすでにこの国に何人かいる。
エノラも多少の診断は下せるし、処置も知っている。だから俺は他の医者にこの島で世話になったことはない。それに頼ったらどうだと提案してみたが、すでに診せた後だったと言われた。それでもよく分からない熱だと言う。
うなされるように顔を歪めて眠っているディーを見ると、無性に不安に駆られる。たまに具合を悪くすることはあったが、それでもこれほどというのは初めてだった。
「ディー……」
「……ところでレオンハルト、その膨らんでいるお腹は?」
「え? あっ、これワイバーンの卵。もらってきた」
何か言いたげなエノラに見つめられた。妊婦がそうするように服の上から、卵をさする。温めなきゃいけないのだ。でも空を飛ぶ必要があった。高度が高ければ気温も下がって寒くなる。その対策として服の中に卵を抱えながら飛んできたのだ。
「まあ、今はいいんだよ」
「……分かってる」
とりあえず卵を出して、マントで包んでおいた。
ノックの音がして振り返るとイザークが粥のようなものを持ってきていた。昼時か。かなり煮込まれてどろどろになっていた。イザークの足にひっつきながらフィリアも部屋に入ってきて、ベッドを挟んで俺達とは反対側に回り込んでディーの顔を覗き込む。
「ディー、だいじょぶ……?」
エノラがするようにフィリアがディーの頭をそっと撫でて声をかける。お姉ちゃんの自覚があったとは。いつも悪戯なんかしちゃあディーを泣かしてたのに。
うっすらとディーが目を開き、フィリアの方を見た。
「……おねえちゃ……おかえりなさい……」
「……ただいま」
「俺も帰ったぞ、ディー」
「おとーしゃ……」
かわいい。
けど見てると辛くなる。弱々しい。
「ディー、ご飯。食べられる?」
「……ん……」
エノラが息を吹きかけて匙ですくった粥を冷まし、ディーの口元へ運んだ。
「あのう……レオンハルト様」
「んっ?」
「ロビン様とソロン様が、レオンハルト様が帰られたら来てほしいと……」
「……分かった。行く。エノラ、ディーのこと頼む」
こくりとエノラは頷き、それから口を開きかけ、つぐんだ。
「どした?」
「……何でも。行ってらっしゃい」
「ああ。ま、すぐ帰るさ」
ロビンの家へ向かった。
地下室に連れられていくと何やら紙がいろいろと散乱していた。几帳面なロビンだが何かを始めて夢中になると片づけながら何かをするということがなくなる。ロビンとソロンはそこまで俺を連れてきてから椅子を勧め、すぐに話を切り出した。
「レオン、確認したいことがあるんだ。ナターシャっていう人のこと。僕は前にジャルを従えていた海賊の船長から、その名前を聞いてた」
「ほんとか?」
「その人がカルディアを船長に渡した……って。でもそれを言ってすぐ、船長は死んじゃったんだ。多分、情報を吐くのと同時に死んじゃうように魔法をかけられていたんだと思う。カルディアについて、推測も混じるけど分かったことを教えるよ」
ロビンは調べて分かったことを説明し始めた。
カルディアはこれまで、ジャルに言うことを聞かせるための道具として認識していたが、それよりも重大なものが隠されていた。カルディアと赤魔晶には多くの類似点があり、今のシオンはヤマハミにとても近い存在になっているとも言った。
「膨大な魔力を身に宿した生命は体のどこかに、それを制御するための器官を作り出す。それが赤魔晶だと思うんだ。レオン、赤魔晶はヤマハミのどこから取れる?」
「……目玉だろ?」
「そう。眼球を除くとそれが赤魔晶に形を変える。眼球を通じて魔力に転化されていたのに、それを供給する肉体がなくなって赤魔晶になるんだ。どうして形を変えてしまうのかは分からないけれど……。ソロンから又聞きしたことで、気になることがあった。ヴラスウォーレン帝国で、マディナっていう女性の心臓からカルディアみたいなものが取り出された……って言ったでしょう?」
「ああ」
「確認のためにミリアムからも話を聞いたよ。そのマディナっていう女性は女神シャノンの加護をほぼ一身に集めてヤマハミのようなものになっていた。だから眼球が赤魔晶になるように、心臓がカルディアになったんじゃないかって思ったんだ。ただ……本当にそうなるかっていう確証は得られてない。ヤマハミにまず遭遇することができないし、ヤマハミから心臓を抉り出したことがあるっていう人がいるかさえ分からない。だけど僕の予想では……カルディアは心臓なんだ」
「そのカルディアが、どうしてジャルに言うことを聞かせられる?」
「カルディアはずっと調べてきたんだ。ジャルを従えられるカルディアには一方的な契約を記した魔法紋が刻まれてた。僕が保管しているカルディアはジャルの心臓そのものだよ。だから、あれを傷つければジャルは苦しむ。でも逆にジャルは……多分、カルディアさえあれば、今のシオンのようにどれほどの苦痛を与えられても不死身なんだと思う」
不死身、か。
地下室の奥には鎖で雁字搦めにされているシオンがいた。赤い目だけが闇からこちらを覗いて輝いている。
「シオンとジャルは違いすぎてハッキリとはしないけれど……シオンにも心臓がなかったということと、不死身であること。それとあの赤いヤマハミみたいな目から、カルディアで操られているような感じがするんだ」
「でもシオンはナターシャが現れて、それからいきなり豹変したんだったよな?」
「……そうだ」
「元々、シオンとナターシャは関係があったのかもね……」
「で、偶然にもこの島に流れ着いて……記憶をなくした……。って風にはちと考えづらいな」
何らかの意図があって、ナターシャがシオンを送り込んできた。
『アインスは利用をさせてもらいました。使い勝手はいかがでしたか?』
ナターシャの言葉が蘇る。
アインス――というのはシオンのことだろう。
それを、利用をさせてもらった、だったか。利用させてもらった?
「……でも、偶然なのか……?」
「レオン?」
「いや……分かんないか」
「そもそも、あのシオンというのはどこからきた?」
「海から流れ着いたんだよ」
「海から……?」
「で、えーと……しおんって言葉を覚えてたみたいだから、シオンって名前にしておいて……それが、アインスだもんな」
「アインスって?」
「ああ……ナターシャがそう呼んでたんだ」
「アインス……1号?」
「ん?」
「……アインスって、最初の番号って意味の言葉だよ」
「番号」
「1号ってことは、2号や、3号もいる……っていうことになるんじゃないのか?」
ソロンが声色に不安を滲ませた。
「……死なない人をさして、1号」
「死なない、兵隊……?」
「ロビン……シオンみたいな存在を、魔法やら何やらで作り出すことって、できんのか?」
喉を鳴らしながらロビンは唾を飲み込んだ。
その尻尾はピンと立ち、ロビンは険のある顔をしていた。