イグニアスの啓示
「イグニアスの神官、マルタだ」
「よ、よろしくお願いします……エンセーラム王、ジョアバナーサ王。灯火神イグニアスの神官、第七階梯のマルタと申します……」
希望と導の神様。灯火神イグニアス。
割とマイナーな神様のようだし、少なくともエンセーラムでこの神様に祈祷を捧げたっていうことはなかった。知名度と人気がある、いわゆる一線級の神じゃあない立ち位置だとか。でも神官以外にもたまに姿を見せて、道に迷ってる人なんかを救うこともあるらしい。
自ら草の根活動をするとは、神様だっていうのに偉いな。
マルタと紹介された、灯火神の神官は少女だった。
くすんだ赤茶色をした髪を二つの房に分けて低い位置で結んでいる。背もまだまだちっちゃい。だってのに第七階梯か。リュカが第三だとか言ってたし、ちっちゃいのにリュカ以上とはな。それともリュカが特別低いのか?
「いくつ?」
「8歳です」
「……大丈夫か?」
「神官に年齢などは関係ない」
少し心配になったが女王さんにぴしゃりと言われてしまった。
「んで……俺、よく灯火神って知らないんだけど、探しものが得意な神様ってことでいいのか?」
「そのようなものだ」
ロベルトに肯定された。でも、カスタルディって聖竜信仰――だっけか。竜を信仰してるんだよな。なのに十二柱神話の神官なんかいていいんだろうか。いいか、考えないで。
「あの……レオンハルト王、る、ルールがございます」
「ルール?」
「イグニアスは人の心を暴くことはしません。道に迷った人を導きます。ですから……そのぅ、は、犯人は誰なのかというような問いには答えられないのです……」
「ほうほう」
「イグニアスの加護によって探索をすることができるのは……物質的なもののみですし、往くべき指針を示すことは得意ですけれど、本来は物を探すというのはその延長上のことですので……ちゃんと、お役に立てるかどうかは……」
「あいよ。あんま緊張しなくていいから、気楽にやってくれ」
さて、じゃあどこから何を探すべきか。
まずはジャムとかに混ぜられた毒物を調べることか? でもそれってイグニアスに分かるんだろうか。
「……とりあえず、毒から見てみっか」
そう決めてボコロッタ城のやつに昨日、押収したという物品のところへ案内をさせた。
まあ、ただ見たってさっぱり分かりはしないけど。ジャムはガラス瓶に入っている。気泡なんかも入っちゃってて、あまり良いガラスじゃあないが密閉できれば良いだろうということでガラス瓶入りだ。ベリージャムだった。
「うまいのになあ……これ」
「ならば食べてみろ」
「死ぬだろが、無茶言うなよ。……マルタ、これに入ってたっつー毒のこととかは、分かるのか?」
「や、やってみます」
お、やるだけやってくれるのか。
けっこう頼もしいじゃねえの、イグニアス。
マルタが蓋を開けたジャムの瓶を両手で持って、目を閉じた。加護の力と思しき燐光が発生する。薄いグリーンの光だった。
「……ヤブヤドゥー……?」
「ヤブヤドゥー?」
燐光が消えてからマルタが呟く。
「ヤブヤドゥー……です」
「って、何だ?」
「それ以上は……すみません……」
「植物だ。膝ほどの高さにまで伸びる。根に毒性があるが体内に摂取しなければ人に害はない。この辺りでヤブヤドゥーが自生するのはディミトライア山脈の周辺だろう」
「博識だな、ロベルタ……」
「常識だ」
女王さんに言われてしまった。
「何で毒が常識なん――お前ら生まれついての王族か。だからか。でも、ディミトライア山脈ってこっからそう遠いってわけでもないし……言っちゃえば誰にでも入手可能ってことだよな」
「そうなるだろうな。つまりまだ、貴様がやっていないという証明にもならないわけだ」
「ああそうですか……。次だ、このジャムが納品されてから、ダンスホールに辿り着くまでに触れたやつを探してくれ。できるか?」
「やってみます」
またマルタが目をつむると燐光が現れた。
ふらふらとマルタが目を閉じたまま歩き出す。ドアにぶつかりそうになって、慌てて開けてやるとそのまままた歩いていく。ついて行けばいいってことなんだろうか。
「城を出てっちまうぞ……?」
「つまり、外部の人間が怪しいということだろうな」
「もっと早く歩けんのか、この娘は?」
「せっかちだな、お前……」
マルタについて行くこと十数分で辿り着いたのは高級宿だった。俺が泊まってるところとは別だが、来たことはあった。ここはソロンが泊まっている宿だ。マルタが歩いていく通路にも見覚えがある。ソロンの部屋へと向かっている。
じゃあ、ソロンがやらせたってことなのか?
だが様子を見ていた限りでは、そう思えない。どういうことだ。
「入るぞ」
声だけかけて、ドアを無遠慮に開けた。
いきなり入ってきた俺達を見て、中にいたソロンの従者らしい連中がぎょっとしていた。マルタの歩みが止まる。
「……この方達、です」
マルタが指し示したのは、室内にいた5人ほどの従者全員だった。ソロンの姿も、シオンの姿もない。
「お前ら、ソロンの従者だったな? このジャムに見覚えあるか?」
「っ……」
「答えろ。でなければ嫌疑が晴れぬぞ。貴様らがだんまりを決め込めば疑惑を向けられるのは、貴様らの主の方だ」
ジャムを見せるとたじろがれた。
女王さんが威圧するように言うと腰が引けたのが見えた。
「怪しいな……。ソロンはどこにいるんだ? 会議にも欠席してて、お前ら従者はのうのうとここで待機かよ。一体どうした? 何してるんだ、あいつは」
「…………」
「……ヤブヤドゥーってのに、心当たりは?」
「…………」
「マルタ、釜だ。ヤブヤドゥーは釜で煎じなければならない。釜を探せ。この部屋から釜が出てきたのであれば言い逃れはもうできん」
「分かりました、陛下」
ロベルタの命令でマルタがまた燐光を発すると、いきなり従者達が腰にしていた剣を引き抜いた。
「かかれっ、数で圧せ!」
従者のひとりが叫ぶ。
尻尾を出しやがったな、とうとう。
「ほう、面白いではないか」
「剣を向けた相手が誰か、分かっていような?」
「タダで済むとは思うんじゃねえぞ」
魔弾でまずひとり、額を撃ち抜いた。威力は控えめにしておいたが、ひっくり返って後頭部を床に打ちつけて気絶をした。女王さんが引き連れていたシェルパから剣を取り上げて、一振りすると斬りかかっていた従者の剣が派手な金属音とともにぶった切られた。さらにもう一閃すると胴切りにされて倒される。ロベルタも同様に引き連れていた部下らしい男から剣を取り上げ、思いきり抜き放った。すると突風が吹き荒れて部屋にめちゃくちゃな爪痕のようなものが刻まれて向かいの壁を抉り取った。
「手応えのない連中だ……」
「生き残りを縛り上げろ」
「陛下っ、釜がありました」
「……クロか。でもソロンとシオンはどこに行ったんだ……?」
生きていたソロンの従者4人が縛り上げられた。女王さんにやられたやつは死んでいた。手加減ってのをしない女だな。
「アニューラの王子に話を聞かねばなるまいな」
「従者って……もう何人かいたはずだな……。どこにいるんだか……。マルタ、場所とか分かったりするか?」
「はい、やってみ――えっ?」
「どうした?」
「……イグニアスが、すぐに会議場に戻れと仰っています!」
「何で?」
「イグニアスの啓示は無視できん、行くぞ」
ロベルタがマルタを脇に抱えて、自分でぶち破った壁から飛び降りた。4階のはずだと言うのにためらいはなかった。女王さんもそれに続いたので、俺も一緒に飛び降りた。まあ、多少高いくらいで余裕だった。女王さんとロベルタの従者はついて来られていなかったが、無視して俺達は城へ走って戻る。
「何で戻れなんて言われるんだよ!?」
「わ、分かりません……ごめんなさい……」
「だがイグニアスの啓示ならば従った方が良かろう」
「そうなの?」
「イグニアスは導の神だ、示された道以外を選べば非業の死を遂げるというのは有名な話だ」
城に戻り、百国会議の会場まで駆け抜けた。
通路に阿鼻叫喚が聞こえてきた。女王さんもロベルタも剣を持ってるが、俺は丸腰だ。それだけ、少し不安になる。ロベルタが会議室のドアを蹴り開けた。赤いものが見えた。血だ。
刀のような片刃の剣を持った男が、会議室の中央にいた。返り血を浴びている。その目は赤く妖しく輝いていた。
「シオ、ン……?」
シオンが返り血を浴びていた。
足元に倒れているのは、ソロンだった。まさか、俺をハメようとしたソロンに行き過ぎた忠誠心から――? いや、それにしてもおかしい。姿形はシオンだが、とてもシオンに見えない。血走った目をしている。人が違うように、形相が変わっている。
「――また会いましたね、レオンハルト・エンセーラム」
シオンの傍らに、すうっと姿が浮かび上がるようにして白金の髪をしたエルフの女が現れた。
「ナターシャっ……!?」
「アインスは利用をさせてもらいました。使い勝手はいかがでしたか?」
「貴様の従者だとて、見過ごせはせぬ。死んだとて恨むな!」
「待てっ、ヴァネッサ――」
女王さんがシオンとナターシャの方へ突進するように駆け出した。
「やりなさい、アインス」
ナターシャが言うとシオンが剣を振るって血を払い、女王さんの剣と切り結んだ。
「てめえは何者だ!?」
ナターシャ目掛けて魔弾を放つ。だが、何かした素振りもなかったのに魔弾は弾かれた。一瞬だけ半透明のバリアみたいなものが見えて、それが魔弾を弾き返したのが分かった。まるでマディナが神とやらにされていた時の――。
「知る必要はない。アインス、皆殺しにしなさい」
「かしこまりました」
アインスと呼ばれたシオンは返事をすると、女王さんを薙ぎ払った。ナターシャはほほえみ、姿を見せた時のように消え去った。