キャスとメーシャの旅立ち
「第二ラウンド突入は止めましたが、勝手に人の妹を利用するなとロビンは激怒しまして」
「ロビンを怒らせるとは器用なことをするな、レオンも……」
「でもメーシャが、乗り気になってしまったので……拗ねちゃいました」
「ロビンがか?」
「ええ。……ご迷惑をおかけしました」
マティアスの家で潰れていたロビンを回収しにきた。
ここまで酔い潰れるロビンは珍しい。というか、初めてかも知れない。肩を貸しながらどうにか立たせた。
「メーシャは随分と大事にしているんだな、ロビンも。集落へ行った時はそれほどでもなかったように思えたが」
「ロビンはまだ、心のどこかで引け目を感じてるんじゃないでしょうかね?」
「引け目?」
「ええ、故郷を出てきてしまったことに。そこへまだ幼かったメーシャが来て、彼女を守るという使命を得た。罪滅ぼしというほどではないにしろ、ロビンにとってはメーシャが故郷との繋がりのような存在になっているのかも知れません。……実際は分かりませんがね」
「……何にせよ、過保護はほどほどにしろと言ってやれ。見送りはいらないな?」
「ええ、もちろん。それでは。……ロビン、歩いてください。行きますよ」
連れ帰るのはちょっとした手間だった。途中でロビンが戻してしまったし、それで体力を持っていかれたのか、立ち上がることもしようとしなくなってしまった。言葉がちゃんと通じているかも怪しかった。どれだけ飲んだのやら。後日改めてお詫びに向かうとしよう。
どうにかこうにか連れ帰ってきてベッドへ放り込むと、メーシャがそっと覗いてきて鼻をつまんだ。
「お酒臭い……」
「メーシャは愛されてますね」
「ふふーん、リアンにも負けないかもね」
「おやおや、小姑さんがライバルだったとは」
小さくメーシャが笑った。
「しかし、どうなるか分からないものですね。あんなに小さかったメーシャが旅に出るとは。キャスをちゃんと守ってくれます?」
「もちろん。それにね、旅ってちょっと憧れてたから」
「そう言えば、そうですよね……。金狼族の集落から外の世界を見るために出てきていたんですし」
「うん。ロビンとリアンと偶然出会えた時も嬉しかったし。……マティアスが結婚しちゃったのはちぇって思ったけど」
「まだマティアスのこと好きなんですか?」
「まっさかあ……。もう大人になったもん」
ふふーん、と得意そうに尻尾を揺らすメーシャがかわいらしい。
「どこへ行くとか、考えました?」
「ディオニスメリアはいいかなあ、って……」
「ほう。となると、クセリニアですか?」
「うん。あ、でもキャスはどうなのかなぁ……? それにクセリニアって言っても広いし……」
「まずはジョアバナーサなんていかがでしょう? 交換留学をしないかという話がありまして、正式に開始する前に少人数でやり取りをしないかということでして。1年か、2年ほどを予定しているんですが、ずっと旅歩きを続けるのも大変ですし、まずはジョアバナーサへ2人で向かって、そこで交換留学生として最低1年ほど過ごしていただいて、その後はお好きに……という形にできたら、わたしとしてはとても助かるんです」
数日、ロビンは不貞腐れたが気持ちを切り替えたようでメーシャの気持ちを尊重させるのだと、自分をどうにか納得させられたらしい。最初の交換留学生としてキャスとメーシャをディオニスメリアから派遣することが決まった。マレドミナ商会を通じて先に書簡を届けさせておいた。
キャスはレオンからピアノの弾き方を教わっているし、メーシャは航海魔法に優れている。どちらもジョアバナーサからすれば欲しがるものだというのは分かっていた。拒みはしないだろう。
2人の出発の日取りも決まった。
レオンはキャスを心配し、あれこれと何を持たせたら良いかと相談をしてきた。ロビンはメーシャを心配して、どれだけ絞っても覚えておいた方が良い魔法が多くなって出発までに教え込めないと相談をしてきた。
大切にするのは良いのだが、少々、いきすぎである。
から、突き放しておいた。
そして、あっという間に出発の日となってしまった。
クセリニアへの直行便に乗ってキャスとメーシャは出発する。マレドミナ商会のルートを使えば危険はあまりないのだが、それは旅じゃないと彼女達が嫌がったので、せめてアイウェイン山脈は海路で迂回してもらい、そこからは好きなルートでジョアバナーサ王国へ向かっても良いということにしておいた。
アイウェイン山脈を越えるとなれば日数もかかるし、危険も多い。ちゃんとジョアバナーサ王国に辿り着いてもらわなければ困ることになるので、そこだけは了解をしてもらわなければならなかった。
「キャス……ほんとに、行っちゃうのか……? ジョアバナーサなんて、海はねえんだぞ?」
「大丈夫だってば」
「メーシャ、みだりに尻尾を振っちゃダメだからね?」
「そんなことしないよ、もう」
みだりに尻尾を振るな、というのはどういう意味の注意なのだろうか。心配性なレオンとロビンはいつまでも別れを切り出そうとはしないから、2人の後ろ襟を掴んで引っ張って下がらせておいた。
「帰りたくなっても、なかなか帰れない距離になってしまいますが……挫けそうになっても、忘れないでくださいね。ここにはレオンもロビンも、他の皆もいて、どんなに辛いことがあったって帰ってくれば笑顔で迎えますから。この国から見える海の色も、この国にある人の笑顔も、変わらずに待っていますから」
「はい」
「うん」
「なあロビン……リアンがすげえ立派に見える……」
「そうだね……」
そう見えるなら、少しは見習っていただいてもいいのに。
小声でぼそぼそ言うくらいなら、ピシっとしてもらいたいものだ。
「これ、お守りね」
「ありがと、リュカ」
「雷神のお守り?」
「いいことあるかもだから」
リュカが2人にお守りをあげていた。マティアスは路銀に困れば、と装飾品を与えていた。確かレオンは、虎の子である魔石をキャスにあげていた。ロビンはメーシャと抱擁して匂いを嗅ぎ合っていた。何故か、見送りにきていた別の獣人族がその姿でほろりと感動していた。そんなに重要なことなんだろうか、あれは。
「行ってきまーす!」
「元気でねー!」
船が出港し、甲板から2人は手を振った。
遠ざかっていくのを、レオンとロビンは突っ立って眺めていた。水平線に消えてしまうまで。
「今生の別ではないんですから、いいじゃありませんか」
「手紙……書いてくれっかな、キャス……」
「でも一方通行の手紙って、寂しいよね……」
やれやれ、である。
「さあ、ほら。陛下、お仕事がありますから王宮へ戻りましょう。ロビンも、お仕事してきてください。先月はわたしの定額のお給料の方が、あなたの収入より多かったんですよ? 甲斐性を見せてくれても良いでしょう」
発破をかけたにも関わらず、数日間、レオンとロビンは気落ちしたままだった。
エンセーラム諸島の開拓からいたキャスとメーシャが、彼女達の知らない世界へ歩み出した。喜ばしいことだ。女は飾り物ではない。やりたいことを見つけ、邁進する輝きは男女を問わない。2人が帰ってきた時はもう少女という年ではなくなっているのだろうが、それだけ大きく成長しているだろう。
それを想えばこそ、一抹の寂しさなどは感じなくなる。