負け越しているのは、リアン
「行ってみたいの! レオンだって6歳でじーじと離れたんでしょ!?」
「俺は俺、キャスはキャスだから、めっ!」
「嫌っ!」
「い、嫌って……キャスっ……お前、そんなこと……」
「レオン嫌いっ!」
「なああっ……!? きゃっ、キャスぅー!?」
キャスが飛び出して行ってしまい、レオンが取り残された。悲しみに暮れるレオン。がっくりと膝をつき、頭を垂れながら拳を床に叩きつける様は正しく、敗北者という言葉がふさわしかろう。そう、彼は実の娘のように可愛がってきた少女に心を奪われているのだった……。
次回、最終回キャスの旅立ち。乞うご期待!
と、勝手にモノローグをつけながらふざけておいたところで。
「陛下、お仕事ですよ」
「リアーン……キャスがっ……キャスがぁっ……」
「人生は旅のようなものですから。出会いがあれば別れがあるものですよ……」
「別れを前提にするなっ! 俺は認めないぞ、キャスが一人旅なんて認めないっ!」
「書簡が届きまして」
「仕事できねえよぉ……こんなメンタルで仕事なんてできやしねえよぉ……リアーン!」
しがみついてくるのをあえて気にせず、言葉を続ける。
「ジョアバナーサのヴァネッサ女王より届けられました」
「は? あの女王さんから?」
「文化交流を目的に、交換留学をしたいという申し出でした。現在、我が国は製鉄技術がとても弱く、自前で鋳造をすることなどがさっぱりできていません。ジョアバナーサは古くは鉄の産業によって栄え、それを国力の基盤といたしましたから、良い申し出ではないかとわたしは考えています。ジョアバナーサとしては単純に、エンセーラム王国の風土などに興味があるようです。どうです?」
「……任せた」
やれやれ……。
頼りにされることは悪くないが、こうも丸投げにされてしまうと顔を立てることも難しくなってくる。
「陛下、お言葉ですが……」
「陛下ってよせよ……」
「いえ、そうは参りません。今はご職務の最中ですから」
「…………」
「この国は君主制を取っております。陛下がこの国の心臓であるのです。だというのに、だというのにその心を、どうなされたいかなどということを、お伝えしてくれませんことにはわたしも身動きが取れなくなってしまいます。感情と理性があり、人があるのです。この国も同様です。あなたという心臓があり、わたしという頭脳が働き、全体を動かしていくのですから、心ここにあらず、といった具合では困ります。ご理解いただけますね?」
「……ハイ」
分かっていただいたところで。
「それで、どうお考えになられますか?」
「……考える時間くれ……」
「分かりました。では今晩、またお尋ねいたしますので」
「時間少ないな、おい……」
「それだけあれば、あなたの悩みを解決する時間に充てられるでしょう?」
「リアンっ……!」
「おっと、わたしにはロビンがいるので勘弁してください」
抱擁しかけてきたレオンをさっとかわすと、ぐしゃっと顎から倒れた。
「相変わらずラブラブか、お前ら……」
「ロビンが熱烈なんですよ」
レオンが座り直したところで、話を始めた。
「キャスがさ、一人旅したいって言い出したんだ」
「ほほう」
「でも、あいつはまだ15歳にもなってねえしさ、まして女の子だ。なのに一人旅って危険だろ?」
「そうですね。この島はかなり平和ですから忘れかけてしまうこともありますが、この海の向こうでは慢性的に奴隷狩りも行われて、飢餓に苦しむ人々もおり、追いはぎなどもよくあります。キャスはそういった悪党にとっては、良いカモでしょう」
そうだろう、そうだろう、とレオンは腕組みしながら頷く。
「だから俺はキャスの一人旅なんて反対だ。断固反対、許さん」
「しかし、レオン」
「ん?」
「わたしの個人的な意見としては、彼女の意思を尊重させてあげたいものです」
「何でだよ。カモになるって、今――」
「よろしいですか、レオン。目下の者を慈しみ、守る。それは年長者の大切な役割であり、あなたはそれをまっとうしています。けれどそれは決して、自由意志を縛りつけて、小鳥のように鳥かごの中で愛でるということではないはずです。わたしにはどうも、愛しさがまさりすぎてレオンがキャスの想いにさっぱり目を向けていないように感じられました。いかがでしょうか?」
つい先日も、同じようなことをロビンには伝えたけれど、まさかレオンにまで言うことになるとは。
メーシャが一人暮らしをしたいと言い、わたしはそれを応援しようと思った。が、ロビンは今のレオンのように断固反対という姿勢を崩さなかった。
レオンからわたしに、メーシャの一人暮らしを認めさせてやるようロビンに言ってくれと頼んできたはずだというのに、もう忘れてしまったのだろうか。それとも棚上げしているのだろうか。どちらの線もありだろう。
「別にそんな、鳥かごとかじゃなくてだな……」
「では何です?」
「何て……何かあったらマズいだろ?」
「それで思考停止しているだけでしょう」
またレオンが言葉に詰まった。
「危険だというのはキャスとて、百も承知でしょう。あなたは学校で、彼女に何を教えたんです?」
「そりゃ……まあ、うん……」
「でしたらあとは、いかにして危険を減らせるようにするか、ということに思考を費やした方がよろしいのでは? 一人旅が危ないならば護衛をつける、という手もあります。もしくは自衛手段を身につけさせるという選択肢もありますし。……もっとも、キャスが甘い考えや気持ちを持ち合わせていない、というところも多少は突ついて確かめるべきでしょうが、ただ頭ごなしに反対したところで相互理解は得られませんよ」
「……考える時間をくれ……」
「分かりました。では、また夜に参りますので。
キャスのことも、ジョアバナーサからの交換留学の申し出についても、よく考えてくださいね。あなたの仕事は決断を下すことと、その決断に責を負うことですので、ゆめお忘れなきよう」
王宮を出て一旦、家へ帰ることにした。
そろそろ洗濯物が乾くから取り込まなければならない。そう思って帰宅したのに、庭へ干していた洗濯物が綺麗になくなっていた。
「おかえり、リアン」
「ただいま帰りました。……まあ、また行くんですが」
「じゃあ、一旦、おかえりだね」
「ええ。一旦、ただいまです」
家の中へ入ればロビンが洗濯物を畳んでいた。丁寧に畳んでくれていて、もう終わりかけだった。3人分の衣類を分けて畳んで積み上げている。畳まれたものを収納するのは手伝って、それからふと思い立って簡単な焼き菓子を作ることにした。キッチンに立ったわたしをロビンは尻尾を緩く揺らしながら見ていた。あれはリラックスしている時の動きだ。
菓子が焼き上がるのに合わせてお茶を蒸らす。茶器もよく温めておいた。
焼き上がった菓子をささやかなオーブンから出し、あら熱を取りながらお茶を淹れた。
「おやつにしましょう」
「うん」
ロビンはおいしいものを食べると尻尾が面白いほど揺れる。浅い海の底でたゆたう海藻のように。それを見ていると、何だかこちらまで嬉しくなる。
「おいしいですか?」
「おいしいよ、今日も」
折角なので向かい合わせには座らず、距離を詰めて隣り合わせに。
「わたしの分もよろしければどうぞ」
「食べないの?」
「ロビンが食べているところを見ているだけで、お腹がいっぱいになりそうです」
「甘いものは頭にいいらしいから、ちゃんと食べた方がいいよ」
「じゃあ食べさせてください」
「……はい」
「ノン、ノン」
「何?」
「口移し希望です」
露骨に癒そうな顔は、照れ隠し。
じっと見つめるとロビンは口に焼き菓子をそっとくわえ、顔を近づけてきた。おいしくそれをいただき、至近距離で見つめ合う。ふふふ、この困っているような顔がかわいらしい。
「まだ、明るいから……ね、リアン……」
「時間なんて関係ないでしょう?」
背筋を伸ばし、顔の位置が高いロビンの唇を奪う。甘い、香ばしい味がする。時間をかけてロビンと互いの呼気を共有する内に、ロビンが昂ってきたようで激しくなる。ここで腕を回して、尻尾の付け根をそっと撫でればリュカに電撃を食らったかのようにロビンはビクッと大きな反応をする。そして、押し倒される。
「今日は、どちらが主導権を握れますかね?」
心理戦から開始しようとしたが、駆け引きに入るより早くロビンに攻め立てられてしまった。
敗因は誘い方にあったのだろうか。これでまた白星の差をつけられた。
「痛い……?」
「いえ、この程度。愛情の証、なのでしょう?」
済んだ後、ともに体を洗い流すとロビンは自分で噛んだわたしの首筋をそっと触れた。痛みはあるが、激痛にはならない。が、むず痒いという程度でもない。絶妙な噛み加減で、ロビンは昂ると噛んでくる。獣人族の本能というところらしい。
「ちょっと……位置が悪かったかな……? それ、服着ても隠れないんじゃない……?」
「襟の高いものを着ますから、ご心配なく」
「回復魔法――」
「消すなんて心外ですね。あなたの愛情はわたしが全て受け止めますよ?」
またキスをして、本日二度目の出勤をした。
とろけすぎた気持ちを引き締めてレオンともろもろの話を詰めなければ。