セラフィーノとマオライアス
「何か、変なのがいるらしいから気をつけろよ」
「変なのだけでは伝わらない。ちゃんと言うべき」
「……悪い野郎だ。ダメだ、っつうのに勝手に島の農作物とか盗んでるらしい。気をつけろよ」
レオンに頭をぽんと叩かれて頷いた。
ファビオからもらった剣を腰に提げたまま、王宮を出ていった。掃除をしていたマノンが「行ってらっしゃいませ」と言った直後、何か物をひっくり返していたけど見ないようにした。
王宮前の水夫のおじさんにマオのところまで、と伝える。
「坊ちゃんはきれえな顔してんなあ……。うちの坊主なんて、年中、顔が鼻水だらけで。坊ちゃんみたいにしっかりしてくれりゃあいいんだが」
おじさんはそんなことを言いながら舟を漕いだ。
マオの家に着くと、イザークがいてマオのお母さんと一緒に地面をほじっていた。
「あ、セラフィーノ。いらっしゃい。マオと遊ぶ約束してたんだっけ?」
頷くとマオを呼んでくれた。家の中からマオが出てくる。一緒にマオのお父さんも出てきた。
「作物泥棒がいるらしいから気をつけるんだぞ。何かあったら、すぐに空へ緊急報告用の魔法を打ち上げるんだ。いいな?」
「うん」
「……マオ、うん、じゃなくて、はい、だ」
「……はい」
「セラフィーノも、分かったな?」
頷いておいた。
「……お前は声を出せ」
「はい」
「よし。行ってらっしゃい。気をつけろよ」
マオと一緒に今度はユーリエ島の南端に向かった。
川のような内海があって、ベリル島の裏側が見える。そこは切り立った岩壁になっているけれど、一部分だけが階段のようになっていた。
今日の目当てはこれだった。
僕は自分で見るまでは信じられなかったけれど、本当に階段だ。傾斜がついていて、一段ずつも細く狭いけれど確かに階段だ。
「本当にあったでしょ?」
「うん」
「どうしてこれがあるのか、って学校の皆も気になってるから……この理由が分かったら、シオン先生にもオーケーもらえる記事になるよ」
「上れるのかな?」
「えっ?」
「上ろう、マオ」
「あ、で、でも危ないよ? ほら……海も、あるし」
「たった50メートルくらいだ」
「でも……」
「上ったら分かるかも知れない。シオン先生に今度こそ、壁新聞に掲載してもらうんだろう?」
「……うん」
「じゃあ上らなきゃ」
壁新聞クラブにマオが入ったのは、ちょっと嬉しかった。
でも何を書いてもシオン先生は壁新聞に載せる許可を出してはくれなかった。手直しをしたり、場合によっては記事の内容がダメっていうのが多い。今まで一発オーケーをもらった人はいない。だから、僕とマオで一発オーケーをもらえるものを書こうっていうことにした。
ベリル島の裏にある階段の謎を暴いたら、スクープになるはずだった。
剣を鞘ごと外して置いた。上着だけ脱いで海に飛び込む準備をする。泳ぎきって、向こう側に辿り着いて階段を上る。きっと景色がいい。
「マオ、早く」
「流れも強いし……危ないんじゃないかな……?」
「こんなのどうってことない。先に行くから」
息を吸い込んでから、海に飛び込んだ。
波の流れに負けないように泳いで、ベリル島の岩壁を目指す。どれだけ水をかいてもなかなか進まない。後ろからマオが僕を呼んで戻そうとしている。聞こえないふりをして、前を向いて泳いだ。
これくらい、どうってことはない。
ファビオに海へ投げ落とされて魔法でわざと波を荒立たせられながらずっと泳ぐということをしたことがある。その時に比べれば、この程度の波はさざ波でしかない。
「ぷはぁっ……着いた」
どれだけ泳いだか、ようやく手が岩壁について、そこから生えていた細い枝を掴んだ。枝に体重をかけながら体を持ち上げて、岩壁によじ上る。水を吸ったズボンは重いけれど、それだけだった。
「マオっ……」
振り返ると、まだマオはユーリエ島の岸にいた。
ぽかんとしている。
「マオも早く!」
「む、ムリだよっ!」
岩壁にしがみつくようにしながら階段の方へ移動して、ほとんど幅のない階段へ腰掛けた。
「大丈夫だから、来て」
「でも……」
「溺れても助けてあげるから」
「本当に……?」
「本当に」
それでも、マオはためらっていた。
上だけは脱いだけど、飛び込む決心がつかないみたいだ。もどかしい。
「早くしないといっちゃうから」
「ま、待ってよ、セラフィーノ……」
「はーやーく」
「うぅ……」
急かしたらマオはようやく海に飛び込んだ。あっぷあっぷと危うく海面から顔を出しながら、ばしゃばしゃやっている。
「……進んでない」
溺れてる?
そういう顔には見えない。
「マオ……泳げてない!」
「だってっ……うぷっ……得意じゃ……っぷは……ない……」
もしもマオがファビオに僕と同じことをされたら20秒で音を上げるかも知れない。
レオンには気づかれないようにと言われているから、周囲を警戒しておいた。マオと、あとは水棲生物しかこの近辺にはいない。これならいいと思う。
「引っ張る」
「何かっ……あっぷ……言ったぁっ?」
「引っ張る!」
魔力を、魔力変換器も、魔力放出弁も介さずに使う技術を魔技と言うらしい。
エンセーラム王のレオンと、その従者でありエンセーラムの神官であるリュカしか使っている人はいない。けどレオンが昔に、この魔技のことをお父さん達に喋ったらしくて、それをファビオとソルヤが覚えていた。そして僕に教えた。
魔技は不思議な魔法だ。魔法に分類して良いかどうかに頭を悩ませてしまうが、魔力を用いているから魔法の領域にあるだろうと考えられている。
魔力を伸ばし、マオの方へ放った。魔力を魔力のままに制御をするのは、魔法の感覚とは似て非なる。毎日の訓練を欠かしたらいけない、とはこの国へ来る時にファビオと交わした約束。魔力の糸をマオに巻きつけて、一気に手繰り寄せた。海面を滑るようにしてマオは引きずられてきて、魚のように釣り上げられた。飛んできたマオを両腕で抱きとめる。
「えっ……?」
「今のは秘密の魔法だから、誰にも言わないで。絶対、誰にも」
「うん……。秘密の魔法って?」
「秘密だから秘密。階段を上ろう」
四つん這いになるようにしなきゃ上れないほどの階段をマオと一緒に上っていく。途中でふと下を見たら、その高さに目を見張った。レストに乗った時の方が高いけど、下がすぐ海というのがぞくぞくさせられる。このまま手足を放したら真っ逆さまになって落ちるという想像が働く。それがちょっと怖いけど、そのまま海に飛び込んだら気持ちが良さそう。
「セラフィーノ、早く行ってよ」
「…………」
頷いて上った。
「怖いの、マオ?」
「こ、怖くないもん」
「怖いんだ?」
「怖くないよっ」
「あっ、足が滑った」
「うひゃああっ!?」
わざと足を滑らせて階段を削るとマオはすごい声を出して驚いた。階段にしがみつくようにしながら震えている。それにくすくす笑うと、マオが僕を見上げて耳まで赤くする。
「は、早くいってよ!」
「マオ、怖いんでしょ?」
「怖いよっ、早くいって!」
マオって臆病だ。
階段を登りきると、見晴らしが良かった。ベリル島の小高い山も眺められるし、他の島も見下ろせる。
「た、高い……」
マオも僕の横へ立って眺めるけど、腕を掴まれる。ひょいと振ったらマオは慌てるんだろうな。高いところなんて見晴らしが良くていいのに、どうして怖がるんだろう。
「降りる階段は……ないんだね」
「うん。それに穴が空いてる」
岩壁を登りきって現れたのは、穴だった。
周りを岩壁に囲まれた円形の空間が下にあった。だけど、そこに降りていくような階段はなかった。
「あそこって、何だろうね……?」
四つん這いになってマオが下を覗き込んだ。お尻を押したら慌てるんだろうな。落ちちゃったら絶対に怒るからやめておこう。
「この階段と関係があるのかなぁ……?」
「あそこに用事があって、階段ができたのかも……」
「どういうこと?」
高いところから飛び降りることはできるけど、低いところから高いところへ飛び上がることは難しい。だって重力というものがある。上ってきた階段は降りることを全く考えていないものだった。こんなのを降りようとしても、危なすぎる。上がる分にはどうにかなるけど。
そう噛み砕いた説明をすると、マオは僕と下の空間を交互に見た。
「でも……あそこにどんな用事があるの?」
「調べてみる?」
「でも……降りる階段はないよ?」
「いいから立って」
マオをその場へ立たせて、後ろから脇の下に両腕を入れて押さえた。体を密着させるとマオは後ろに下がろうとしたけど、構わずに僕は前へ飛び出した。
「うわぁあああああっ!?」
「エアブロー!」
地面にぶつかる前に風魔法を発動して、強風で体を浮かび上がらせる。真下から吹きつける風で落下速度を減退させて、地面に着地した。どれくらい落ちたんだろう。100メートルとかかな。
「セーラーフィーノー……」
「楽しかった?」
「バカっ!」
怒られちゃった。




