今は喜ぼう
「レオン……飲みすぎだよ……」
「うーるーへぇー……」
すっかり荒れちゃってる。
晩餐会から帰ってきたかと思えば、レオンもマティアスくんも魂が抜けたみたいに呆然としていた。時間が経ってくると、レオンは重力に押し潰されるみたいにどんどん萎んでいき、マティアスくんは無言で弟のガルニくんを抱き締めたり屋敷の中をスキップしながら、あちこち行き来したりと正反対な動きを見せていた。
で、とうとうレオンが僕に泣きついてきて酒場に来た。話を聞くには晩餐会で、いつの間にかお膳立てされてマティアスくんのプロポーズをミシェーラが受けたそうだ。ディオニスメリア王家の3人がしっかり聞いちゃった以上、もう誰も邪魔をすることはできない。
ミシェーラが結婚してしまうのがレオンには堪え難いショックらしい。そんなに大事に感じてるならお祝いしてあげたらいいのに。
酒に溺れて、すっかりレオンは泣き出している。小さいころは全然泣くこととかなかったのに、大人になってからレオンは何だか泣くことが増えた。直近ではユーリエ学校の最初の卒業式だっただろうか。
自分のことでは、レオンは泣かない。他人が関わったことでしか、レオンは泣かない。いや、他人に泣かされてしまうということだろうか。
でも、何だか……今回のはものすごく、恨めしそうな感じだ。
「そんなに、レオンってミシェーラのこと……好きだったの?」
「大好きだよぉ……天使だろうがよぉ……」
「天使……」
「ミシェーラぁ……」
ジョッキ樽を煽ってレオンはまた鼻をすすった。もう顔が涙やら鼻水やらでぐちゃぐちゃだ。ハンカチで顔を拭いてあげると僕にしがみついてくる。
「ロビーン……」
「う、うん……」
「尻尾……」
「ダメ……」
「今日だけっ……今日だけでいいから……」
「ダメです」
「うぉぉぉん……」
またレオンが泣いてしまった。
連日連夜、レオンは涙とアルコールに浸りながら過ごしている。
僕を誘ったり、ミリアムを呼びつけたり、メーシャを連れていったり、ひとりでふらっと消えてしまったり、とにかく誰かを傍に置いて飲むようだった。帰りが遅くなって迎えに行けば、知らない人と飲み比べをしているところも目撃した。
一方、マティアスくんは今後のことについて、色々とやるべきことがあった。内乱という事態にまで発展した、カノヴァス家とボーデンフォーチュ家の婚姻問題。内乱が終わったから良し、ということにはできないようだった。カノヴァス領と、ボーデンフォーチュ領の解体と再編成が決定された。
マティアスくんはとうとう、カノヴァス領の領主になることはできなかったのだ。
けれど本人は案外、さっぱりしたものだった。
『今さらだ、こうなる公算は大きかった。それに殿下の温情で、エレキアーラだけは引き続き領地にして良いとお言葉をいただけた。あとはガルニに任せるとするさ』
本来、カノヴァスの当主となるのはマティアスくんだった。けれどやめてしまった。弟のガルニくんに任せてしまった。
『エンセーラムに僕も住もう。ミシェーラも迎える。あの国はまだまだ弱いが、僕とミシェーラが行けばディオニスメリアにも一目置いてもらえるようになるだろう。それにロビン、こうなればキミだって何の後腐れもなくリアンと暮らせるだろう?』
僕はそれでもいいんだけど、レオンはどうかなあ? ただでさえ、マティアスくんとの結婚にショックを受けてるのに、それをこれからずっと見なきゃいけなくなっちゃうっていうのは……。でも逆にミシェーラがいることでレオンも落ち着いたり――いやっ、でもレオンがそんなにミシェーラに傾倒しちゃってるのをエノラが見たら、どう思うだろう? ミシェーラには尻尾があるわけでもないのに、酒浸りになるくらいショックを受けてるんだからエノラは不愉快になっちゃうかも知れない。
「ミシェーラぁぁ……」
別に欲情してるわけじゃあないんだけど、どうしてレオンはここまでミシェーラのこと好きなんだろう。不思議だ。
「あいあい、お元気ですかい、元少年?」
と、酔い潰れていたレオンの隣に騎士がいきなり座ってきた。僕の方へ向けていた顔を反対へ動かし、レオンが体を起こす。
「オッサン……?」
「そうよ、オッサンよ? どしたのさ、そんな潰れて」
「……オッサァーン、飲もうぜ? もう誰でもいいから、どうでもいいから飲もうぜ。俺のおごりだから、飲もうぜ、オッサン!」
「お、おおう、いいわよ? いいけども、どしたのよ?」
「いいんだよ、んなもん!」
オッサンと呼ぶ騎士に酒をすすめてレオンは乾杯した。今日、何度目だろう。騎士の人からは知っている匂いがした。僕らを国内で尾行していた人の匂いと同じだった。いや、尾行というか、行く先々にいたとした方が正しいか。
ぐちぐちと、レオンは世の中の面倒臭いことを語り出した。
穴空きだからこその苦労だとか、特別に偉い人がいるからそれに合わせて飾り立てなきゃいけないことの気だるさだとか、自由に好き勝手するだけして責任を放棄することができないだとか。愚痴をこぼしていた。すると、オッサンと呼ばれた騎士の人も、うんうん、と同調しながら色々と似たような愚痴をこぼす。王都ラーゴアルダじゃあ酒を片手にぶらぶら散歩することも許されていないとか、折角の湖があるのに釣り糸を垂らすにはこそこそしなくちゃいけないとか、大して綺麗でもない貴婦人でも尊重してやらないと総スカンを食らってしまうとか。
次第に笑い話になって、レオンとオッサン騎士はゲラゲラ笑いながら互いの方を叩き合うようになっていた。どういう知り合いなんだろう。
「おっぱいだろ、オッサン!?」
「いいや、尻だよ、元少年!」
そして下ネタ。
女性のそそられるポイントが、胸か、お尻か、という議題になっている。もう帰っていいかな。
「おっぱいはなあ、母性の象徴だろう!? おぎゃあと生まれりゃあ吸いつくのはおっぱいだ、赤ん坊にとっちゃおっぱいこそが生命線だ! それを求めるように人は最初っから、いや、全てのほ乳類があらかじめ設計されてるんだよ! だから男はいつまで経っても、自分にはないおっぱいを求めるんだ!」
「違うね、元少年。それはおたくが指摘した通り、生きるべく仕方なしに組み込まれていることにすぎない。その点だよ、尻というのは男の下心に直結する魅力を持っている。ぷりっとした小尻、どしんとしたビッグヒップ、色々あるけれども、そこに生尻があれば目で追いかけるだろう!? おっぱいは生きものとしてそう作られているから仕方がない、だがしかし! 尻はそういうものを抜きに、男の目を惹く、つまりは尻こそが女の魅力であるのだよ、元少年!」
よし、帰ろう。
無言で席を立って、盛り上がっている2人を置いていった。
マティアスくんの屋敷へ帰る。
もう何日かして、マティアスくんがミシェーラとの結婚に関連する諸々の準備をしたらエンセーラム王国へ戻る。帰りも船で、今度はジャルがいないからダイアンシア・ポートを経由して行くことになる。帰るのは次の季節になってしまうだろう。
どうにか騒動が終わった。最後は夥しい数の死者が出てしまったけれど、顔を見知った人が命を落とすことはなかった。それだけを今は喜ぼうと思う。それにマティアスくんが長年の恋をとうとう実らせた。友達として僕は祝福したいし、マティアスくんもエンセーラム王国へ移住することになったから、僕も心置きなくリアンと結婚できる。
これで良かったんだと思う。
ふと空を見上げれば、丸い月が輝いていた。
うずくものを感じ、周囲を見てからさっと屋根の上まで登らせてもらった。
ご近所迷惑になったらごめんなさい、と内心で呟いてから月に吠えた。




