戦略魔法
「レマニ平原でカノヴァス家とボーデンフォーチュ家の婚姻を巡って、内乱が起きる可能性が高いことは分かっているな?」
第八魔法隊の研究所へお父様が突然、訪問してきた。僕が使っている研究室に入ってきて、計算式ばかりを書き込んでいる紙を一瞥してからそんなことを言った。
「はい。もしも婚姻が果たされたならば、ディオニスメリア南部はボーデンフォーチュ卿の意のままになってしまい、それを阻止するために反対する貴族の勢力があるのだとか……。本部はすごい騒ぎのようですね」
「内乱が起きてしまった場合、可及的速やかにそれを鎮圧する必要がある」
研究室の隅で丸くなっていたバースがお父様を睨んだ――ような気がした。なだめるためにバースの方へ歩いていき、首を撫でてあげるが気が立っているようだ。ポケットから出した干し肉をあげ、丸まっているバースをクッションへするように座ってお父様に襲いかからないようにしておく。
「戦略魔法の試用実験をする」
「へっ……?」
「騎士団の呼びかけのみで止まらぬのならば、その威力を見せつけて戦意を削ぐ」
「そ、そんなの……できません。まだ、試用実験ができるほどの制御能力がありません! 最悪、制御できずに人死にを出してしまいます」
「ならば制御できるように急がせろ」
「無茶です。考え直してください、お父様!」
バースが唸った。ハッとして黙らせるために顔を撫でようとしたが、噛みつかれる。すごい激痛がして手を引っこ抜くと、小指のつけねが噛みちぎられかけて肉でわずかに繋がっている状態だった。回復魔法をかけて治す。
「そんな猫をいつまで飼うつもりだ?」
「猫じゃなくてバースです」
「猫だろう。主人であるお前を噛む、どら猫だ。……5日後、レマニ平原へ第八魔法隊を派遣する。第二大隊との合同任務となる。それを試用実験の場とする。これは決定事項だ」
「待ってください、お父様!」
「今は父でなく、団長としろ」
言い捨ててお父様は研究室を出て行った。
まだ唸り、毛を逆立てているバースの胴体にしがみつく。その毛に顔をうずめる。
こんな早期で試用実験だなんて無茶苦茶だ。
もしも制御ができずに暴発をさせてしまえばどんな被害が出てしまうかも分からない。戦略魔法は竜のブレスにさえ対抗できるほどの威力を目的としている。強大にして危険な力だ。もしも、制御できなかったら……。
最悪の想像が脳内を駆け巡る。
バースの毛皮でその不安を和らげ、深呼吸する。
「やらなきゃ……」
きっとお父様はこの決定を覆さない。
だったら失敗しないように、少しでも制御能力を高めなければならない。
バースを連れて屋敷に帰ったのはそれから3日が経ってからだった。根を詰めすぎて倒れてしまって、強制的に屋敷に帰されてしまった。それでも寝室のベッドにバースと一緒に転がって、まどろみながらも頭だけは動かし続けた。のろのろのろのろと、戦略魔法の制御についてのみ、思考は動く。
夢と現を行き来しながら、気がついたら朝になって朝食に呼ばれた。目をこすりながら食堂へ行くと姉様がいた。
「おはよ、ロージャ」
「おはよう……姉様。今日は……お城には行かない日?」
「うん」
「そっか……」
「ロージャ、ムリしたって聞いたけど大丈夫なの?」
僕をたしなめるように姉様が言い、目を逸らしてしまってから――失敗に気づいた。姉様がじとっとした目を向けてくる。
「ダメでしょ、ロージャ。ちゃんと休まなきゃ」
「でも時間がなくて……」
「それでも適度に休みながらやるの。ずっと続けるより、ちょっと休んでリフレッシュした方が効率は良くなるんだよ」
「はい……」
朝食が運ばれてきた。
ちゃんとしたご飯を食べるのも、久しぶりな気がした。
研究所へまた向かう前に姉様が僕の部屋へやって来て、バースをもふった。姉様にも多少は心を許したようでバースはされるがままにしている。そろそろ、ブラッシングしてあげた方がいいかな。
「ねえ、ロージャ」
「うん?」
「最近何か、物騒なことになってるんだよね……」
「カノヴァス家とボーデンフォーチュ家のこと?」
「うん」
「……あそこのご長男が、姉様のお友達だものね」
あえてプロポーズのことは触れないでおく。
姉様がどう思ってるのかはまだ分からないけれど、僕はやっぱりちょっと嫌だ。ムリをして結婚する必要なんてない。
けれど姉様は……。
「大丈夫なのかな、マティアス……?」
「心配……?」
「うん。だって……こんな大事になってて、マティアスが何かしてるって話は聞こえてこないし」
騎士団内には、すでにカノヴァスさんの情報は伝わっている。
一度は国外に出ていったはずなのに、また入国しているのだと。それでエレキアーラに拘留していたけれど脱獄をし、内乱を起こさないために動いているんだとか。騎士団はすでに内乱に備えて、鎮圧するために動き出している。
カノヴァスさんは嵐の目となりうる存在だから、勝手に動いている状況は良くない。けれどどういうわけか、脱獄されたというのにまた捕まえようとはしていない。お父様には何か企みがあるんだろう。だから泳がせていると考えられるけれど――どうしようかというところまでは、分からない。
「……ロージャ」
「うん」
「忙しいっていうのは……このことと、関係してるの?」
「……うん」
やっぱり、気になっちゃうみたいだ。
でも姉様には関わってほしくないことだ。人の争いなんて姉様は好まない。いや、争いを好む人なんてそうそういないはずだけれど、目的のためならば積極的に身を投じるという考え方をする人は少なくない。今回のことなんて、そういう人が大勢いてしまったために起きてしまったことだ。
そんなところを姉様には見せたくない。きっと悲しむし、自分に直接関係がなくっても姉様の心は傷ついてしまうだろうから。
「そっか……」
「うん」
姉様が僕の部屋を眺めた。すでに出かける準備を始めている。荷造り途中の荷物を見て、姉様はバースから離れて僕の方へ来た。
「ロージャ、お願いがあるんだけど」
「姉様をこっそり連れていくなんてできないよ」
「うっ……」
「大体、姉様だってリーゼリット殿下の近衛侍女っていう仕事があるでしょ?」
「だけど放っておけないよ」
「姉様が行って何かできることがあるの?」
厳しい言い方をしてしまったけど、姉様は口をつぐんでくれた。赴くのは戦場だ。実際に戦う任務で行くわけではないけれど、鎮圧のために有機的に動く必要はある。血迷って騎士団に敵対してくるとも考えられる。危険な場所へ姉様を連れていくなんて考えられない。
「……食事の支度とか」
「やってくれる人がちゃんと騎士団にはいるよ。姉様がすることじゃないよ」
それに――姉様がお料理をしているところは見たことがない。ちゃんとできるかどうかも僕には怪しい。
「さすがに任務へバースを連れていくことはできないから、その間はバースのことをお願いしてもいい?」
「……うん」
「よろしくね、姉様。じゃあ、僕はもう行かなきゃいけないから。おいで、バース」
バースの世話を頼んでおけば姉様もムリしてやって来ることはないはずだ。
研究所で試用実験のための、最終調整に取りかかった。魔法士20人がかりで発動をさせる。無数の魔法を組み合わせることで威力を引き上げて発動する。僕が担当をするのは、その集積された魔法を調節する部分だ。これが失敗してしまえば、戦略魔法は発動されないか、暴発をするか、中途半端な威力となってしまう。もっとも重要なところだと言っても良い。
調整でも問題点がいくつも挙がってしまった。お父様に危険すぎると進言しても、取り合ってもらうことはできなかった。その日は調整のために時間を費やして、いよいよ、レマニ平原へ向かうこととなった。




