マティアスの想い
「ヴィクトル・デューイの老婆心、か……」
「で、その内容ってどうなんだよ? 俺じゃ、ちょっと判別つけづらい」
「騎士団の内部資料だという証明の印があるからな、これはハッキリした証拠になりうる。こんなものを寄越すとは……」
メーシャとレオンの手引きで脱獄をした。見張りをしていた騎士の顔は潰れるだろうが、災害に遭ったものと思ってもらうことにした。ステラの居場所はいまだに掴めず、ロビンは捜索に出ているということだが動き出さねばならない。
「それで、これをどうするんだ?」
「ボーデンフォーチュについている有力貴族に見せびらかすのさ」
「は?」
「それで企みから退くならば良し、ボーデンフォーチュの耳に届いて接触してくることも考えられる。そこで穏便にことを運ぶことができても良し、という寸法さ」
「……色々焦っちゃうとか言ってたのは、そういうことか……」
「メーシャが僕に教えてくれていた情報によるならば、すでに両派閥が動き出している。その集結地点を掴めればいいが……」
「レマリ平原」
「レマリ平原?」
「そこでかち合うだろうって、オッサンは言ってた」
「……そうか。よし、では動くとしよう。ウドン2号店とやらにロビンへの伝言を残してすぐに発つぞ」
エレキアーラを出る前に本邸を眺めた。下から眺め上げると、昔はよく自分が偉い存在なのだと奮い立った。父がいなくなったという本邸の前には篝火を持った人々が今も押しかけていて、その明かりに照らされている。それを見ると今は――何故だか胸に穴が空いたような心地がした。
すでに父が殺されていたと知った時は信じられなかった。他人を支配し、自らの野心の火を燃やし続ける人だった。それでもカノヴァス領を発展させるべく、豪腕を振るい続けていたのだ。
ボタンを掛け違えてしまったように僕と父は袂を違ってしまったが、死んでほしいとまで思ったことはない。
「マティアス……悲しいの?」
メーシャが僕に尋ねてきた。
また自慢の鼻で僕の気分を読んできたのだろうか。
悲しい。悲しいとは、少し違う気がする。
いや、もしかしたらこの感情は悲しいというものかも知れない。
超えるべき存在だったのだ。
あの人の言うことに従い続けようとは思えなくなった。
それは反抗心だったかも知れない。父の教育で抑圧されていた自立心が、レオンとの決闘にみっともなく敗れたことで芽生えた結果だったのかも知れない。父の用意した道をただ進んだところで、最後まで父の操る駒でしかないと気がついたから、それに反発をして、自らの力で己を立てて、父に認めてもらいたかったのかも知れない。
その父が、もういないと言う。
ずっと領主として、カノヴァス領を栄えさせたいという願望は己の中から生じたものと思っていた。けれど、父が亡くなった今――僕はその熱意がどこか削がれているように感じる。
「悲しくはないさ。……悔しいだけだ」
強がりの匂いというのは、どういうものだろう。
メーシャはそれさえも敏感に嗅ぎ取ったんだろうか。
父上、あなたは無念だったのでしょうか。
ボーデンフォーチュに己の野心を利用され、謀殺されたことが。
父上、あなたは怖れていたのでしょうか。
言うことを聞かず、力を身につけ、名声を得て王都へ帰還した僕を。
父上、僕はあなたにとって、どのような息子に見えていたのでしょうか。
ボーデンフォーチュの野望を僕が摘み取ることができたら、見直してくれるでしょうか。
レマリ平原へ向かいながら、途中でボーデンフォーチュに与する貴族の屋敷を訪ね歩いた。
私兵を差し向けて僕を殺そうとしてきた者もいたが、全てを返り討ちにしてやった。いかにも普通の行商人といった風体の者が、ごく自然に毒を混入したものを分け与えてくれたが、メーシャの鼻が嗅ぎ取ったことで難を逃れることができた。夜中に賊を雇って闇討ちをしてくる何者かもいたが、僕を阻むほどではなかった。
レマリ平原に近づいてくると、貴族の一軍が見えた。
仲間の貴族の領地を通りながらやって来たようだ。見えているのは婚約賛成派――ボーデンフォーチュに与する陣営の軍だ。総数は500人ほどだろうか。想定していたよりも人数が多い。
「どうするんだよ?」
遠巻きに観察していたところでレオンに尋ねられる。
「ここへ来るまでに幾度となく、ボーデンフォーチュ側に告発の準備があると見せびらかしたにも関わらず、あの行軍は止まらなかった。鑑みるに、まだボーデンフォーチュにそのことが届けられていないか、リスクを犯すだけの旨味を狙っているんだろう」
「旨味?」
「……それが何かは、分からないが」
しかし、妙だ。
あまりにも不自然だ。
いよいよ、カノヴァスとボーデンフォーチュの婚姻を巡って内乱にまで発展しかけている。事態があまりにも大きくなりすぎてしまっている。双方とも、退くべきタイミングはいくつかあったはず。だと言うのに争う方向へとずっと突き進もうとしているような印象さえ抱かせられる。
「とっとと、ボーデンフォーチュんとこに行っちまった方がいいんじゃねえか?」
「居場所が分かっているのか?」
「……いや」
最悪、ボーデンフォーチュのところへ乗り込んで息の根を止めてやってもいい。
だがそれは最終手段だ。ボーデンフォーチュの死亡によって、賛成派が動きを止めるならば良いが暴走を始めてしまったらもう止めきれないだろう。不可解なのだ、この一連の騒動は。
もしかすれば影で糸を引いているのではないかとさえ思える。全てを俯瞰しながら、何かを狙っているようなそういう何者かが。
「あっ」
「どした、メーシャ?」
「ロビンの匂い!」
メーシャのズボンの、尻のところがもぞもぞと動いた。中に隠している尻尾が揺れているんだろうか。ほどなくしてロビンが僕らが身を潜めている茂みに顔を出す。
「ロビン、おかえり!」
「わっ……ただいま、メーシャ」
飛びついたメーシャをロビンが抱きとめて帽子の上から頭を撫でた。
「伝言は聞けたか?」
「伝言?」
「エレキアーラ行かなかったのか?」
「寄ってないけど……何かあったの?」
「いや、何かって……色々だよ」
「それより、マティアスくんの妹の居場所が分かったよ」
「本当かっ?」
ステラを教会へ駆け込ませれば、縁談を白紙に戻すこともできる。考えてもいなかった騒動の収め方だった。だが望みは薄いだろうと思っていた。ボーデンフォーチュがステラをそう簡単に手の届くところへ置くはずがないのだ。ステラに何かがあればどうにもならなくなってしまうのは当然なのだから。
「どこにいる?」
「トーネリアスの麓にある保養地だって」
「トーネリアス……! そんなところにか!」
「どこ?」
ミリアムが首を傾げた。レオンの弟子ならば、レオンが教えるべき――だとは思ったが、その師匠の方を見てやればわかってなさそうな渋い顔をしていた。
「トーネリアスはディオニスメリアの神聖な山だ。トーネリアスより流れ出た水が川となって、ラーゴアルダの湖まで続いている。本来は王族しか立ち入ることのできぬ場所だが、麓の一部のみ、保養地として開かれている」
「へえ……」
やっぱり分かっていなかったか、レオン。しっかり学院でやったことだろうに。
「それを知って……何で、ここに俺らがいるって分かったんだ?」
「途中で匂いがして追いかけてきた。何かあったんだろうなって思って」
さすがだな、金狼族の嗅覚というのは。
それで追いついてきてしまうのも驚愕だ。
「んで、どうするよ? お前の妹が結婚したくねえって言えば、それで終わらせられるんだろ?」
「また2つに分かれよう。一方は内乱が始まらないように立ち回って時間稼ぎをする。そして、もう一方はステラを取り戻しに行き、この内乱を止めるために両軍の前で結婚はしないと宣言させる」
「どう分ける?」
「レオン、時間稼ぎはできるか?」
「俺、そういう頭使う系はムリ」
「だったら僕が引き受けるから、キミはステラを連れてきてくれ」
「オーケー。そしたら、とりあえず小娘、来い」
「小娘じゃなくて――」
「ロビンは僕といてくれ。何かと狙われることもある、キミの鼻があるのは有り難い」
あとはメーシャだが――と目を向けると、また尻のところをもぞもぞと忙しなく動かしながら僕を見ていた。レオンに肩を叩かれる。ロビンの獲物を狙うような視線が痛い。
「……メーシャも、僕と一緒にいてくれ」
「うんっ」
あとは内乱を起こさせないように工作しつつ、少しでも賛成派の貴族に圧力をかけて退かせられればいい。その間にステラをここへ連れてこさせて、内乱を回避。
しかし、不安はある。
もしもこれで止まらなかったら、という懸念だ。
「んじゃあ行ってくるわ」
「可能な限り、急いでくれ」
「あいよ」
レオンとミリアムを送り出す。
ステラはどのようなレディーに成長したのだろう。昔のように可憐なままでいるだろうか。少々、逞しくなる分にはいいが――いや、きっとステラならば麗しく成長しているはずだろう。こんな時でなければ、もっと再会を喜べたかも知れないな。




