スキヤキだ
「いい加減、レオンと口を利け……。こっちまで居心地が悪い」
「……でも……」
「確かに彼は素行と口の悪さこそ折り紙付きだが、理不尽は嫌うし、義理堅いところもある。それは僕ではなく、ロビンの方が知っているんじゃないのか?」
レオンに殴られてから、ずっと口を利けていない。
手を触れれば弾けるホウセンカを何万倍と危険にしたかのような、近寄りがたいものをレオンに感じてしまう。怖い。
マティアスくんがいなかったら、多分、誰かと喋ることもなくなっていた。
「レオンはもう……怒っちゃったから……」
「あいつが怒るのは日常だろう」
「でも、普通の怒り方じゃない……」
レオンはよく怒る。でも同じくらい笑う。
げらげらと気持ち良さそうに、小さい体で豪快に笑う。
僕より小さくて、年も下なのに、まるで――童心を知る大人みたいに見える。
そのレオンが、激怒した。
僕が虐められているのを隠したから。
「模擬戦はもう、3日後だ」
「…………」
最初は嬉しかった。レオンと授業が一緒なら、安心できると思った。
いつもレオンが僕に話してくれていた、マティアスくんも偉い貴族だから怖かったけどやさしくしてくれる。レオンに聞いていたよりもちゃんとしているし、人間族の貴族だというのに友達になってくれた。
だけど。
ううん、だから……。
「僕、模擬戦……出ない」
「ロビン?」
「そうすれば……2人は、誰かと組めると思うから……」
友達だから、迷惑はかけちゃいけない。
僕は獣人で、人間族の社会では嫌われ者だから虐められる。
2人にだって火の粉が飛ぶ。
それが嫌だから、レオンにもマティアスくんにも言わなかった。心配をかけちゃいけない。
薄汚くて卑しい獣人だから、一緒にいない方がいい。
「……ロビン」
「最初に僕に、魔法の才能を見出してくれたお師匠様にも、言われてた……。
ここでちゃんと勉強をすれば、きっと僕は立派な魔法士になれるって。でも、難しいんだって。
ここは人間族の社会で、僕は獣人族だから。ちょっとくらい大丈夫って、思ってたけど、甘かった……」
最初はただ、じろじろ見られるくらいだった。
後ろから押された時は、前を見ていなかったからって謝られて、いいよ、って許してあげた。でも、その人は何度もぶつかってきたし、階段を降りる時に突き飛ばされたこともあった。
前を見ていなかった、ごめん。
その言葉に本来含まれているはずの意味は、何ひとつなくなっていた。
でも、お師匠様には言われてたことだったから、我慢した。
これくらいなら大丈夫。
そう思って、耐えてた。
エスカレートしたのは合同授業が始まってからだった。
レオンとマティアスくんと一緒になって嬉しくて、はしゃいでいたから目障りになったんだと思う。
ネグロくんと、騎士養成科のジェルマーニくんがきっかけだった。
あの日から――レオンとマティアスくんと、3人でおいしいご飯を食べた、その翌日から始まった。
魔法士養成科は騎士養成科ほど貴族の人が多くないから、些細なことしかなかったはずだった。
でも一変した。
レオンが尻尾を触らせてくれるお礼にってくれた、綺麗な羽根ペンがダメにされた。
羽根の部分はぐしゃぐしゃにされて、ペン先は折られていた。鞄の中が荒らされていて、物がなくなっていた。誰がやったんだろうと思って教室を見渡せば、反応は2つに別れた。
目を逸らす人。
そして、にやにや笑っている人。
僕は獣人だから、仕方ない。
そう思えば、少しだけ楽になった。
何も悪いことはしてない。獣人だから、ってことにしておけば……ここを卒業した後は、故郷に帰って、もう嫌な目に遭わない。我慢していればいいんだって、言い聞かせた。ずっと続かないんだから。
でもレオンは、そうじゃなかった。
僕のされていることを知って、怒った。
誰にやられたかを言ったって、レオンがその相手を攻撃する。
でも僕はやり返すことはできないから、レオンの知らないところでエスカレートする。それが怖くて黙って、でもレオンはそれを許してくれなかった。
だから、答えたのに。
獣人だから仕方がないって、言ったのに。
『んなこと、二度と同じこと言うんじゃねえっ!!』
火花が散った。
本当に一瞬のことで、頭の中のものがパーンと吹き飛ばされたかとも思った。
気がつくともうレオンは部屋から消えてて、殴られたところがじんじんと痛んだ。痛くてたまらなかった。
ショックだった。
レオンにぶたれたことが。怒らせちゃったことが。
同時に怖かった。
折角友達になれたのに、もうレオンは僕を嫌いになった。それが悲しかった。
次の日からもレオンは、僕に何も言わなかった。
朝早くに授業が始まるより早く出て行って、夜遅くに帰ってくると眠ってしまう。
合同授業はあったけれど、何も言われなかった。
僕から何かを喋るには、勇気が出ない。またレオンを失望させたらと思うと、身がすくんだ。
レオンは僕の意気地のなさに怒っている。
でも僕は――これが、僕の処世術で、どうしようもできないところだから。
「ロビン、キミは思い違いをしていないか?」
静かな声でマティアスくんが言う。
嫌味の利いた――けれどバカにするようなものではない、棘のある、親しさ。
「レオンは年の割にかなり大人びた考えをするし腕っ節もある。
でもな、ロビン。彼は――レオンハルトは、とんでもなく不器用なんだ」
「えっ……?」
「一度こうと決めたら、それ以外のやり方をしようとしない。失敗すれば奥歯を噛む。
それで、マイナーチェンジするかのような方法で別のことをしようとするが、根本は変わらない。
頑固で柔軟性がなく、その上、選ぼうとする手段はゴリ押しで、愚直というのが似合いの考え方だ」
マティアスくんは呆れるような言い草だが、目だけは緩く、ほほえみさえ見て取れる。
「だから、あいつはジェルマーニとネグロを模擬戦で叩きのめすことを諦めてない。
喧嘩を売られた僕と、レオンと、ロビン。この3人で、あのジェルマーニ達と叩きのめすと。
そこでキミが降りるなんて言ってみろ。それこそ、レオンは怒り狂って手を出すぞ」
すでに手は出されているけれど。
でも――レオンが自分から手を出すなんて、あまり聞かない。
「僕が間に入ってやるから、レオンと仲直りをするんだ。
いいか、ロビン。レオンが怒っているのは、ロビンが卑屈になっていることなんだ。
……難しいことかも知れないが、レオンの前でだけ、強がってみろ。まずは一歩を踏み出せ」
「一歩を……」
「スキヤキだ」
あの歌が好きなのは、何故だろう。
最初にレオンが聴かせてくれたからなのか、泣いていたって上を向けば涙がこぼれないと教えてくれたからなのか。
「手回しをしていてな、レオンは人と会う約束がある。
その相手に話をつけているし、キミも関わらねばならないからそこでレオンとちゃんと話すんだ。いいな?」
拒否権は、なかった。
マティアスくんに連れられて行ったのは、学院の空き教室だった。
「お待たせしてしまったようで。申し訳ない、ミス・ミシェーラ」
そこでぽつんと待っていたのは、僕とは違うクラスの魔法士養成科の女の子。
確か、名前は――ミシェーラ・クラシア。優秀な子だって聞いている。
「紹介しましょう、彼はロビン・コルトー。レオンのルームメイトで、模擬戦でともに戦う仲間です」
「え、あ……マティアスくん?」
「じゃあ、わたしとも仲間ね。よろしく、ロビン」
ミシェーラさんはにっこりと笑って手を差し出してくれた。
いいのだろうか。この手を取ったら、彼女まで誰かに悪さをされて――
「えい」
「ひゃああっ!?」
不意に、背筋がぴんと――反射的に伸びてしまった。
尻尾をミシェーラさんが突ついたからだ。慌てて尻尾を自分で握り、壁際へ下がる。
「あ、ごめんなさい。かわいい尻尾だなって思って」
「……お、おおお、おん、女の子なのに、そんなっ、そんなことしちゃ……」
「ミス・ミシェーラ、どうやら獣人族の尻尾は気軽に触れてはいけないらしいです」
「あ、そうだったの? ごめんね、驚かせるつもりはなかったんだけど……気をつけるね」
そう言いながら、僕の尻尾へ熱心に注がれる視線は――どこかレオンを彷彿とさせる。
その違和感に浸っていたら、ガタと音がしてドアが開いた。レオンが半目の疲れた顔で、部屋に入ってきて――僕を見た。
「っ……」
「…………」
及び腰になる。尻尾が勝手に、ピンと固くなる。
マティアスくんが僕とレオンの間へ立って、レオンの方を見た。
「レオン、ひとつずつ処理していこう。
まずはキミとロビンの、僕がいたたまれない空気を払拭するところからだ」
そう言って、マティアスくんは僕に視線を投げた。




