ロジオン・ブレイズフォード
「……ただいま」
「おかえりなさい、姉様。あれ……その花束、どうしたの?」
「もらったの」
バースの毛繕いをしていたら、僕と姉様以外は寄りつかない屋敷の一室に入ってきた。ここはバースの部屋にしているから、使用人の皆は怖がって入ってくることもない。使用頻度が少なかった部屋をもらったのだ。高い位置にある窓から日中は光が入ってくるし、カーテンでそれを遮れば暗くなる。
置かれている家具は全て別のところへ運び出して、寮にいたころから使っていた家具をここに置いた。こうすればバースの匂いがきちんとついているだろうから、新しい環境になってもあまりストレスにならないだろうと考えた。
「綺麗な花束だね」
「うん、いる?」
「姉様がもらったんなら、姉様のお部屋に飾ったら? それにお花はバースが嫌いなのもあるから、あんまりここには……」
「あ……そっか。ごめんね」
何だか、姉様が放心してしまっているように見えた。
花束を持ったまま、この部屋に来てしまったこともそうだし、何だかいつもより……。
一旦部屋を出て、また戻ってくると姉様は手ぶらになっていた。
大きなベッドで僕とバースはくつろいで、毛繕いをしている。そこに姉様も来て、そっとバースの頭を撫で始めた。バースは興味がなさそうにしている。
「どうかしたの?」
「うん……」
「……何があったの?」
「うん……」
返事はしているけれど、多分聞いていない。
ぼんやりバースのもふもふの毛を撫でている。
「…………」
「…………」
バースが欠伸をした。
姉様はぼうっとしているままだ。
「姉様、しっかりして。一体どうしたの?」
「うん……」
「うんじゃなくって、姉様」
肩を軽くぶつけるとハッとしたように姉様が僕を見る。
「どうかしたの?」
「あのね……マティアスに会ってきたんだ。学院にいたころのお友達で、レオンとも仲が良かったの」
「あ、知ってるよ。トヴィスレヴィ殿下の親衛隊の」
最近、この王都で話題に上がることが多い人だ。
カノヴァス家の長男で、序列戦第一位になって卒業をし、5年間も旅に出た。それから騎士団へ入って、トヴィスレヴィ殿下の親衛隊に加わったのだ。そうして使節団に殿下をお守りするために同行し、帰国してからは殿下がとても頼りになさった騎士として喧伝されている。
「じゃあ、カノヴァスさんにあの花束ももらったの?」
「そう……」
「すごい花束だったね」
「綺麗だよね」
「綺麗だけど、それだけじゃないよ。ヴォーガインと、カーラと、あとライノンの花だったよね」
「詳しいね、お花」
「学院でお花の授業もあったから。花言葉はそれぞれ、あなたのことしか目に見えない、華麗なる君、この恋に気づいて……だったかな。まるでプロポーズするみたいな花束だなあって思って。やっぱりすごいんだね、カノヴァスさんって。僕、あんな花束用意するだけで恥ずかしくなっちゃいそうだけど……あれ、姉様?」
バースの腰のところを姉様が両手でもみしだくようにしていた。何かそわそわするような感じで。
「どうしたの?」
「……ロージャ」
「うん?」
「どうしよう……」
「何が?」
「わたし……マティアスに、プロポーズ、されちゃった……」
顔を赤くして、姉様が僕を見た。
僕はロジオン・ブレイズフォード。騎士に成り立ての新人。
学院時代の成績は、剣闘大会優勝経験1回、同じく準優勝1回。序列戦第一位の座に2度つけた。
現在は王国騎士団第五大隊の管轄内にある第八魔法隊に所属している。
お父様はエドヴァルド・ブレイズフォード。
ディオニスメリア王国騎士団現団長。侯爵の位を持つブレイズフォード家の現当主。
好きなものは、ふわふわでもこもこな生きものと、お日様の当たる場所での昼寝。
大好きなものは、飼い猫のバースと、姉様。
尊敬する人は、お父様。
利き手は、左。右手も使えるようになりなさいって、矯正したから両手とも使えるけど。
コンプレックスは、年齢よりも子どもっぽく見られちゃう顔。
休日の過ごし方は、バースとお散歩をしたり、戯れたり、王都に来てからは姉様とお出かけしたり。
得意なことは、魔法。
初恋の相手は、学院に行くまで暮らしていた屋敷のメイドだったマノン。告白して大人になってからってはぐらかされてそのまま終わっちゃったけど。いくつのことだったかは忘れた。小さかったと思う。
さて。
こんな僕が所属している第五大隊は騎士団における魔法隊というところだ。
魔法を得意とする騎士が多くて、魔法士の中でも特に戦いに特化した人がわざわざ入ってきたりもすることもある。任務の内容も色々あって、魔法に関連した道具の管理を請け負う備品部だとか、魔法を用いた犯罪を捜査する専門の部隊なんかもある。
剣を使って戦うこともほとんど想定されていなければ、騎士団の主要な任務である人民の守護というものから遠ざかっているなんて理由で、他の隊からは少し風当たりが強かったりもする。
僕が配属された第八魔法隊は最近になって設立されたばかりのところで、戦略魔法と分類される大人数でなければ発動することのできない、複雑で強力な魔法を研究するところだ。戦争になれば戦略魔法を用いることもあるだろうから、その訓練なんかもやっている。
戦略魔法は極めて強力な魔法だ。
個人が単独で生み出せる最大級の魔法は、色々と記録があるけれどせいぜい、100ヘクタールを焼き尽くしたという程度だろう。それでも充分すごい。けれど、戦略魔法ならば理論上はその数十倍を焦土とすることもできてしまう。敵の重要拠点を叩いて戦争を早期に終結させるという運用方法が想定されているが、この戦略魔法を持っていると、使う準備があると示すことで戦争を抑止する意味合いも強い。戦争ではなく、内乱などにも効果は見込まれている。
お父様が僕を第八魔法隊に配属したのは、この使い方を誤れば危険な力を、僕を通じて監視下に置くことが目的のはずだ。
お父様は54歳。あと数年か、長くとも十数年で騎士団団長の座を降りる。その後に待ち受けているであろう、騎士団内での権力争いを危惧し、万が一の時に僕が戦略魔法を引っさげて無用の権力闘争による規律や秩序の乱れへの抑止力になることを期待されている。……のだろうと考えている。
だから、僕は脅しの道具でもある。
戦略魔法を誰よりも熟知することが今の使命。そして、これを発動させずにして使いこなすスペシャリストにならなければいけない。
口先と態度と、背後にあるもののみで、武力的手段を用いずに相手への要求を飲ませられるような人になるのだ。
姉様にプロポーズしたというカノヴァスさんには何の恨みもないけれど、どう脅そうとも、本気かどうかを確かめなければいけない。姉様はとてもやさしいから、同情して――ということだって考えられるのだ。そんな姉様が僕は大好きだからこそ、ちゃんと姉様を幸せにすることができるのか、カノヴァス家の権力強化のためだけに姉様を娶ろうとしているのではないかと確かめなければならない。
いざ出陣。
「はじめまして、マティアス・カノヴァスさん。僕はロジオン・ブレイズフォードと申します」
「ブレイズフォード……。ミシェーラの弟か」
親衛隊の任を終えればカノヴァスさんは屋敷へ帰られる。それを王城の前で待ち伏せた。
「このような時間に、往来で待たせていただいたことをご容赦ください。本日はミシェーラお姉様にカノヴァスさんがプロポーズをされたという件についてお話をしたく思っております。お時間をいただけますね?」
カノヴァスさんは戸惑いかけた顔をすぐに引き締めて了承した。
馬車へ案内して乗せると、その顔も崩れ去って引きつった。馬車の中にはバースを乗せていた。バースはお行儀良く向かい合わせになっている座席の一方に寝そべっていて、僕は彼女と同じところへ座り、向かいにカノヴァスさんを勧める。
「ミシェーラも……尻尾を好んではいたが、まさか……こんな魔物を手懐けているとは……」
「安心してください。3回くらいしか、バースは人を噛んだことがないんですよ」
「…………」
「ね、バース? 人の指なんておいしくないもんね、噛まないよね、もう」
バースを撫でる。カノヴァスさんの顔は引きつっている。
馬車の中という空間では剣を抜くこともままならない。が、バースは噛むなり引っ掻くなり、すぐにできる。何かがあってバースに襲われて魔法を使おうとしたって、僕も魔法の心得がある。
「素敵な花束を姉様にプレゼントしてくれたようですね。聞けば……確か、カノヴァスさんの弟さんの、ガルニ・カノヴァスさんがカーチスのお嬢様に同じような花束を贈ったのでしたっけ? ご兄弟で同じような花束を用意して贈られるなんて、とてもご趣味がよく似られているんですね。でもまさか、プロポーズをするのに、そこら辺にあったもので済ませた――なんてありませんよね?」
カノヴァスさんが背筋を伸ばした。バースから距離を取ろうとするかのように。
「よく、知っているのだな……。ガルニのことまで」
「はい。カノヴァスさんほどではありませんが、僕もよく夜会にご招待をいただくことが多いものですから。そう言えば……カノヴァスさんは学院におられたころ、とても女性に人気があったのでしたっけ? まさか、幾人もの女性に手を出しておいて、それきりで関係を終わらせて悲しませてきた……なんてありませんよね?」
「当たり前だろう……。僕の美貌はよく女性から求められることがあって、数人と交際をしたことはあったが――」
「学院49層の第11魔法実験準備室」
「っ……」
「誰が、というのは存じ上げないのですが……9人もの女性とともに一晩遊んだ不埒で、不潔な色狂いの方がいたそうです。確かカノヴァスさんと同期であったように記憶していたのですが、ご存知ありませんか? 何でもその不埒者は甘く飲みやすいお酒を彼女達に飲ませて判断力を低下させ、言葉巧みに、その不埒者を入れた10人で乱れた性交渉を行ったのだとか。きっと、カノヴァスさんのようにとても容姿に恵まれた方だったのでしょうね」
だらだらとカノヴァスさんは汗を流し始める。バースがむくと太い首を動かしてカノヴァスさんを見た。
「ダメだよ、バース……。ごめんなさい、カノヴァスさん。バースはちょっと人見知りをしていて、どうも人の体臭が嫌いみたいなんです」
「気にしなくていいさ……。好き嫌いは人にもあることだ、キミの……ペットにもあって当然だろう」
「そう言っていただけると助かります。ありがとうございます。で、ご存知でしょうか?」
馬車はゴトゴト揺れながら、ラーゴアルダ西部のスラム街の方へ向かっている。
落伍者の吹き溜まり。哀れにも人の道を踏み外してしまった人々の掃き溜めへと。




