ソーウェル家
懐かしい景色が見えてきた。
幼かったころに駆け回った緑の野山、鉱夫に混じって何度も探検した禿げた鉱山。山ばかりでアップダウンが激しい道なり。大きく息を吸い込めば新鮮な緑の息吹を感じられる。
「懐かしいものですね」
「はい、そうですね、姉様」
馬車から外を眺めながら呟くとセシリーが頷いた。
エンセーラム王国からここへ来るまでに想定よりも長い時間がかかってしまった。立ち寄った港ではユーリエ学校の卒業者を見習いとして働かせるための準備を整えた。同時にマレドミナ商会を退くことを告知し、後はセシリーに任せるとも言い聞かせてきた。
それからマレドミナ商会を目の敵にする商人とも約束を交わしてきた。わたしが退くことでもう邪魔をしないようにと、契約の穴さえも徹底的に潰すような内容で書面を確認させた。
セシリーにはずっと、わたしの後任にするとは告げていなかったからひどく驚いてはいた。
だが、説得をするまでもなく覚悟を決めた顔で了解した。この数年、わたしの手伝いをさせながら肝が据わってきたようで頼もしく感じられた。もうセシリーはわたしの後をくっついてくることだけが生き甲斐というような女ではなくなった。この成長は喜ばしい。
やがて馬車が懐かしい屋敷に到着した。屋敷の中から使用人が駆けて出てきて整列して迎えた。顔を見ると皆、少し老けていた。知らない新顔もあったし、辞めてしまった者もいるようでいなくなってしまった者も分かった。
「おお……リアン、リアンか……? 夢ではないのか……?」
「はい。現実ですよ。長らく顔を見せられずに、申し訳ありませんでした。リアン・ソーウェル、帰りました」
「リアンっ……!」
お父様が思った以上に老けていた。挨拶するなり抱き締められてしまった。どうやら相当、寂しい思いをさせてしまっていたらしい。
「この屋敷にいるのは……」
「今はリジーの産んだ双子の弟だけだ」
「そうですか」
姉妹はもうセシリー以外、全員嫁いだらしい。
リジー姉さんが産み、ソーウェル家に引き取られて養子となったわたしの甥であり、弟でもある男の子はダリウスと名づけられたそうだ。騎士魔導学院にやるのは寂しいという理由で通わせなかったようで、家庭教師をつけ、今はもう父が領地運営についても補佐をさせて教えているのだという。
「今はダリウスは鉱山に行っていていないが、後でゆっくり話しなさい」
「分かりました」
「ああリアン、リアン、帰ってきてくれたのね。嬉しいわ、リアン。ああ、わたしのリアン……」
「お母様、あまりそうべったりされると窮屈なのですが……」
「そんなこと言わないで、もう少しだけ。いえ、今日だけでいいわ」
「今日だけと言われましても……」
「そうだ、やめなさい。お前ばかりがずるいではないか」
「まあっ、あなたは男性でしょう。あなたがリアンにべたべたするなんて見ていられませんから、代わりにわたくしがこうして……」
「リアンはお前の子であり、わたしの子だ。親が子を抱擁して何が悪い」
「お父様、お母様、わたしを巡って争わないでもらいたいのですが……。セシリーからも何か――」
「お母様、お父様、申し上げますわ! リアン姉様はわたくしのお姉様なのですから、親よりも娘を優先してわたしにお譲りになってくださいまし!!」
ダメだこりゃ。
これだからあまり帰ってきたくなかったのだが……少々、来なさすぎて余計に酷くなってしまったんだろうか。
右腕をお母様に、左腕をセシリーに引っ張られ、正面からはお父様が2人にわたしの身柄を寄越せとツバを飛ばして訴えている。一旦収まるまではされるがままになっておこう。
2時間ほど拘束され、疲れてきたころにダリウスが帰ってきた。居間に入ってきて、わたしを巡って喚き合っている両親と姉を見て何を思っただろう。現実逃避に走って一度、ドアを閉めた行動はよく分かる。が、すぐにお父様に呼ばれてドアを開け、顔だけ覗かせた。
「あの、何なんですか……? それは」
「それとは何だ、ダリウス」
「いえ……状況と言いますか」
「はじめまして、ダリウス。リアン・ソーウェルと申します」
お母様とセシリーを振り払ってソファーからダリウスのところへ逃げ出すことに成功した。名乗るとダリウスは何度かまばたきをし、わたしを凝視してきた。
わたしも観察させてもらう。14歳だったか。思っていたより顔つきは幼いが、ジリー姉さんに耳の形が似ている気がする。まだあまりヒゲなども生えていないようで産毛がある。背もわたしよりまだ低いようだ。
「リアン……兄様?」
「一応女なのですがね」
「あっ、そうでした。すみません、セシリー姉様達が、ずっと兄様、兄様とお慕いしていたので、つい……」
「いえ。わたしも男として振る舞ってきましたからいいんですよ」
良かった。ダリウスは初対面ということで変に慕ってくることはなかった。セシリー達の影響で変なことになっていたらどうしようかという懸念が払拭された。
「ずっと馬車だったので体が鈍っていまして。ダリウス、少し体を動かしたいのでつきあっていただけますか? 剣は習いました?」
「はい、一応ですが……」
「それは何より。では稽古をつけてさしあげましょう」
「まあっ、リアンがダリウスに稽古? 皆、お庭にテーブルと椅子を用意しなさい!」
「お母様、ちょっとした運動なのですからそのようなことはされなくても――」
「あなたがここを出ていってからの14年の成長を目に焼きつけなくてはなりませんもの。これは当然のことよ。ねえ、あなたは?」
「うむ」
「大袈裟な……」
「……や、やっぱり、大袈裟ですよね……」
「ダリウス、あなたにも苦労をかけていましたか?」
「い、いえ……苦労という、ほどでは……」
苦い顔をわたしは見逃さない。
何かしらはあったのだろう。申し訳ない。
そして彼はまともな感性を持てているようで本当に良かった。
ダリウスの剣はわたしに言わせれば稚拙極まりないものだった。恐らく、基本だけを教わってあとは自己鍛錬をしていたのだろう。だが、競い合う相手もおらず、ひとりで剣を振るうのみではあまり上達も見込めなかったというものだ。
わたしが教えてやる度に庭へ出したテーブルでお父様達がわいわいと話し合う。ダリウスはそれに呆れ顔をしつつも、素直にわたしから剣を教わってくれた。
その間に夕食の支度ができて、汗を流してから食事となった。
ダリウスに稽古をつけてあげる前に渡しておいた、マレドミナ商会で扱っている品を使った料理も出てきた。レシピ通りにできたようで山鳥にスパイスをつけて焼いた料理をダリウスは気に入ったようだ。食後にはエンセーラムの砂糖を使った菓子も出た。
いちいち説明してやるとお父様とお母様の表情は曇った。わたしを嫁がせることに決めているのだから、これからの展望なんかまで語ればそれを邪魔するようで親心が苛まれるのだろう。
食事が済んだところで、お父様がその話を切り出してきた。
「実はな、リアン……。お前には思うままに、自由に生きてもらっても良いと長らく思い、尊重しようと思ってきた。だが、どうしてもそれを改めねばならなくなったのだ」
「ええ、聞いていますよ」
返すとお父様が目を大きくし、お母様と目を見合わせ、それからセシリーを見た。
「どうやらわたしの商売でお父様にご迷惑をかけてしまったようで。気をつけていたのですが、甘い見立てでした。すみません」
「わ、分かっていて、来たのか……?」
「すでに終わらせておきました」
「はっ……?」
「身を固めます。ですから、もう邪魔をしないでいただきたいと、念書も取り交わしてきました。わたしはマレドミナ商会を辞めます。それでもまだこのソーウェル領に手出しをしてくるのであれば、それは違約とみなして強く申し立てる準備もあります。学院で友情を誓ったカノヴァス領の長男であるマティアスにも、その際はとりはからってもらえるでしょうし、他にもレヴェルト卿にこの取り決めの仲立ちをしていただきましたから、ここは守られます」
「……すまない、リアン……」
「お父様?」
「わたしが不甲斐ないばかりに、お前に……」
お父様が顔を歪ませる。肩も震えていた。お母様がそっと寄り添うように、テーブルの下でお父様の手を取ったようだ。
「望まぬ結婚をするわけではありません。……相手は、ロビンという誠実な男性です。
少々厄介な問題はありますが……それでも、これは良い機会になったと考えていますから、ご自分を責めないでください。
お父様にも、お母様にも感謝しています。これまでわたしを自由にさせてくれたこと。女に生まれながら、男として育ててくださったこと。文を送るのみで、顔も見せられずにずっと過ごしてきたこともお許しください。
お父様とお母様の子に生まれ、わたしは幸せなんですから」
お父様とお母様に号泣されてしまった。
本当に良い両親と家族に恵まれた。ただ――少し、この溺愛ぶりは長続きされると辟易としてくる。




