諦念のロビン
「マズいぞ、レオン……」
「マズいよなあ……」
合同授業は、もう10回を数えた。
だと言うのに、ジェルマーニとネグラと模擬戦をする最前提の準備が整っていない。
俺とマティアスとロビンの輪に入ってくれそうな、魔法士養成科の学生がいないのだ。何人かに声をかけてもやんわりやんわりと、断られた。ロビンを通じて、誰かいないかと頼もうにも、ロビンは魔法士養成科ではけっこう孤立していた。
優秀ではあるらしいが、ネグラを始め、貴族出身の学生に虐められているらしい。獣人族であることと、それなのに成績が良いことが原因なんだろう。あまりにもくだらないが、ロビンは俺と違って喧嘩っ早いわけでもないし、臆病なところもある。
魔法士養成科の学生が俺達と組んでくれないのも、そいつらが手を回しているんだろうとは想像に易い。
「このままでは、僕かレオン、どちらかがパートナーを見つけられずに不戦敗となる……。ヤツらの狙いはそこだったんだろう」
「アホなことばっかに頭使いやがって……。このサンドイッチ、うめえな……」
「……おいしい、のか? ぽろぽろこぼれて、手を汚しているのに?」
「ロビン手製のサンドイッチだぞ、マズいはずねーだろ」
「キミは、たまに……ロビンに恋してるんじゃないかと思うような発言をするな」
「恋してんじゃねえよ、愛してるんだよ。あの尻尾に」
「…………まあいい、一口」
「やらねーよ」
「ケチ臭いことを……。今度僕もロビンに頼んでみるか」
「それよか、合同授業だろ」
「ああ、そうだった」
サンドイッチを食べきり、こぼれてしまった具もテーブルからつまみ上げて食べる。指を舐める。うまい。
ロビンが授業の一環とやらで、魔法を使って育てた野菜を持ち帰ってきたから、それで作ってくれたランチだった。ちなみにマティアスは学食のランチを食べている。貴族の利用率は高くないが、裏を返せばここにはあまり寄りつかない。だから、嫌がらせを避けてのんびりするには丁度良い場所だった。
「ネグロという家は――」
「ストップ」
「何だ、いちいち話の腰を折るやつだな」
「……いや、ネグロって、俺、ファーストネームかと」
「家名だ。続けるぞ。……ネグロという家は、カノヴァスほどではないがそれなりに有力な貴族だ。彼の父は騎士団所属の魔法士で、ネグロ自身もなかなかの使い手らしい」
「威張るだけじゃねえのか……」
「家柄もあり、実力も備えている。ネグロはどうやら、魔法士養成科の2年では現在トップに立っているようだ。やつにも取り巻きはいるしな。そして、ネグロが僕らと組むなと命令をすれば――背けばロビンのような目に遭わされると知れば、協力者が出てこないのは必然だ」
小汚いことをしてやがる。
寮に帰ったらたっぷりロビンを可愛がってやろう。もふもふとなでなでの比率を変えて。
「だが」
「ん?」
「ブレイズフォードという貴族の娘が、魔法士養成科にいるらしい」
「ブレイズ、フォード?」
そうだ、と神妙な顔でマティアスは頷いた。
ブレイズフォードというのはかなり有力な――カノヴァス家よりも上の貴族らしい。ただ、そういう偉すぎる立場の貴族は時折、それを伏せて在籍をしているようで、彼女もブレイズフォードという家名を偽っているのだとか。
「もしも、彼女と接触をできればジェルマーニだろうが、ネグロだろうが、もう覆すことはできないだろう」
「でもそれってよ、貴族様のやり方だろ? 何か納得いかねー」
「たしかに権力を振りかざすやり方をレオンは嫌うだろうが、そもそも権力というのは後ろ盾を与えるためにも必要なものだ。傲慢を通すのではなく、弱者に庇護を与えることもまた貴族の務めのはずだ」
ほんとに立派な考え方をするようになったな、こいつ。
俺とのファーストコンタクトは一体全体どういうことだったんだ。あれはこいつの黒歴史にでもなるのか。
「ロビンにそれとなく尋ねて聞き出せないか? ロビンが表立って動けば、またいらぬやっかみを彼が受けてしまう。あたりをつけたら、僕らで彼女に接触すれば良い」
「……まあ、訊いてみるくらいならいいけど、隠してるんじゃ分からないんじゃねえの? それに、同じクラスってことはロビンが虐められてることも知ってるんだろ?」
「今さらか、レオン……」
「何が?」
呆れられたように言われる。
やれやれ、と嘆息しながら行儀悪くマティアスは俺にフォークを向けた。
「あの合同授業は騎士養成科2クラス、魔法士養成科2クラス、合計4クラスで行われているんだ。ロビンと同じクラスでなければ、虐めのことなんて知るまい」
「……マジか」
「本当のことだ」
「でも、ネグロが手を回して、2クラス分に脅しかけてるんだろ?」
「そこは貴族の手口があって、口八丁でどうにかしているんだよ。真正面からずけずけと、あいつに関わるな――と言われれば、顔をしかめる貴族だって中にはいるんだぞ? キミは本当にそういうのに疎いな」
「悪かったな。……でも、ロビンともクラスが違うんじゃ、接点ないんじゃね?」
「レオン、キミってやつは……。僕らだって、他のクラスのことを少しは知っているだろう。何でそういう機転が利かないんだ」
「…………生憎と漁師のじーさんに育ててもらったんでね」
てゆーか、俺はよそのクラスどころか、自分のクラスの連中さえ把握してねえよ。
そんな作戦会議があって、一日の授業を終えて寮に帰ると、まだロビンは帰ってきていなかった。
山のように課題が出されたり、予習をしなくちゃいけなかったりと、魔法士養成科は何かと忙しいらしい。ここのところは毎日、俺ばかり先に帰ってくる。ロビンもくたびれて、落ち込みながら帰ってくる。
今日も、夕食の時間が過ぎてからロビンは帰ってきた。
「ただいま、レオン……」
「おかえり。メシは?」
「疲れちゃって、食欲ない……」
「それでも食っとけ。食堂にお前の分確保しといたから」
はあい、と疲れた声で返事をしつつロビンは肩提げの大きな鞄を自分の机に置いて、本やらノート代わりの羊皮紙やらを出していく。秀才だ。――が。
「先にメシ。でなきゃ、寝かさねえぞ今夜」
「うぇぇぇ……寝かしてよう……。最近レオン、手つきがすごくて……僕、何か……」
「じゃあメシ食って来いよ」
「むぅ……分かった……」
ロビンを無事に追い出す。一度始めるとロビンは長い。取っておいてと言っても、あまり遅い時間になると酒を飲む先輩が肴にして食うことがあるから安全ではない。
机に広げられたロビンの勉強道具を眺める。えらく使い込まれた羽根ペンは、もうぼろぼろだ。
前に俺がもふらせてくれるお礼にと綺麗な羽根ペンをプレゼントしてやったのに、大事にしまいこんでるのかも知れない。
「にしても、ブレイズフォード……か。そう簡単に分かるとも思わねえけど……」
少し冷たい風が入ってきたから、窓を閉めた。
そうするとふと、ロビンの大きく開いている鞄の口が見えて、その中も目について――目を疑った。ロビンらしくもない、雑然とぐちゃぐちゃした中身だった。
それくらいなら意外くらいで済むが、白いペンキみたいな乾いた何かと、黒い豆みたいなものが付着していたり、そうした汚物にまみれたいくつかの道具もある。鳥の糞尿をここへぶちまけられたかのような……。
「ただいま、レオン――」
食事を済ませてきたロビンが戻ってきたが、部屋に入って、足を止めた。
床には布を広げ、その上にロビンの鞄の中にあったものを出している。それを見て、ロビンの尻尾がピンと立った。顔よりも、尻尾を見た方が分かりやすい。
「誰にやられた?」
「え……あ、ち、違うよ……そういうんじゃ、ないから……」
「んじゃ、これは何だよ?」
「え、えっと……魔法の、練習で—ー」
「じゃあ使ってみろよ、今ここで」
言い返すとロビンは押し黙る。尻尾がふらりと、力を失ったかのように垂れ下がる。
さすがにここまでとは、思っていなかった。俺があげた羽根ペンも、使ったような形跡はあったが、美しかった羽根はぐちゃぐちゃに握りつぶされていたし、そこにも鳥の糞尿がこれでもかとついていた。
「……ネグロか?」
「…………」
尋ねても、ロビンは黙っている。
じっと待つが、ロビンは無言を貫く。
何をためらって言えないんだ。
こんなことまでされてて腹も立たないのか。
それとも自分が怒ったところで、どうにもならないと打ちひしがれてるのか。
重い沈黙。
1秒ずつ刻まれているはずの時間が停滞したかのように、長く感じた。
あるいは本当に長い、長い、沈黙だったのかも知れない。
「…………僕は……」
やがて、ロビンがか細い声を絞り出した。
「獣人、だから……仕方ない……」
その諦念の言葉で、頭の中が急速に沸騰した。
それを認識するよりも早く俺はロビンに大股で近づいて行って、握り拳を振るっていた。
「んなこと、二度と同じこと言うんじゃねえっ!!」
殴って、怒鳴り散らしても、収まらなかった。
入口に立て掛けて置いている銛を引っ掴んで、外に出た。寮の裏手で、銛をどれだけ振り回しても、怒りを発散するよりも腹に込み上げてくる量の方が多かった。