逆風に立つ
「どうした、マティアス? ここへ来てから本当にずっと顔色がすぐれないな」
「殿下……申し訳ありません、ご迷惑を」
「何があった? 言ってみろ」
神前競武祭最終日の前夜、殿下に呼ばれた。
どうにもならない悩みを抱えたまま、気がつけば明日は本戦決勝戦となっていた。なかなかの猛者が集い、苦戦も強いられたが、相手が強くなるほどに戦いに集中ができて救われた心地で、夢中で戦った。そうして勝ち続けてきたが、一度試合が終われば、また悩みが脳内に噴出してきた。
「……大神殿で冗談を言い合ったことを覚えておいででしょうか?」
「色々と冗談ならば言っているだろう」
「僕がヴァネッサ女王に、やられたというお話です」
「ああ、子ができていたら――という、あの話か?」
「……実は、本当にそうなっていた、ようでして……」
打ち明けると、殿下が目を大きく見開いた。
それから僕の肩を叩きながら、根掘り葉掘り尋ねられた。悩んでいる全てを殿下に打ち明ける。
ミシェーラと結婚することができないのではないかということ。
マオライアスという我が子がどうなっているのかという懸念。
言いづらくはあったが、ミシェーラと結ばれないのでは何のためにがんばれば良いだろうということも、殿下に突つかれるままに漏らしてしまった。
「なるほど、確かにどうしようも身動きが取れなさそうな話だ」
「申し訳ありません、私的な悩みを殿下に聞いていただくなど……」
「俺が言えと言ったのだ、気にするな」
「恐れ入ります」
殿下は幸いなことに、僕を気にかけてくださっている。
使節団の旅で結ばれた、僕と殿下の絆と言っていいだろう。いつからか、殿下を兄のように感じている僕もいる。少しわがままなところもあられるし、面白がってこういう話に口を挟もうともしてくるが、親身に話を聞いてくださる。それが恐れ多くもあり、嬉しくもある。
本来はこのようなことは誉められることではないのだが、打ち明けられる相手がいるというのは救いだろう。
「俺がお前から最初に相談を持ちかけられた時、相思相愛になってしまえと言ったな」
「はい」
「俺はそれを貫くべきだと考える」
「ですが……ミシェーラはこんな僕に好意を抱いてくれるでしょうか? 思い返せば僕も若いころは遊びで女性と関係を持ったりする、不埒な男でした……。ヴァネッサ女王との間に子ができてしまったのも、その報いだったのかも知れません。最初からつり合わなかったのではなかったと……。ミシェーラを幸せにしてやる自信だって……」
「弱気になるな、マティアス」
肩を叩かれて顔を上げる。
「……シグネアーダとの後継者争いには敗れた俺だが、戦いには気概がものを言うものだろう。それは俺よりお前の方がよく知っているはずだ」
「気概……そうですね」
「それにヴァネッサ女王との子を得たというのも悪い話ではないだろう? このクセリニアの東では知らぬ者のいない女傑の息子が、お前の子でもあるのだ。うまく活かせばカノヴァスはさらに繁栄できる。それがお前の望みでもあるんだろう?」
「……はい」
「だったら好機と捉えろ。お前は優秀な子を手に入れ、その上、ブレイズフォードという家柄の娘まで娶るんだ。これ以上に恵まれた男がいるか?」
「しかし……ミシェーラと結ばれるのは、難しいどころか、ムリではないかとも……」
「弱気になるんじゃないと言っただろう。エドヴァルドが娘を差し出すのを渋ることは考えられるが、エドヴァルドには息子だっている。むしろ、カノヴァス家との繋がりを持とうとするかも知れないだろう。お前が有能であるほどに」
「ですが……マオライスが長男ということになっては……」
「カノヴァス卿も2人の妻を娶っているだろう。それに後ろ指を指す者はいたか?」
「……いえ」
だが、ガルニの母とは事情が異なる。
ガルニは僕とは腹違い、カノヴァス第二夫人の子ということになっているが、父がメイドに手を出して産ませた子だ。妻として迎えられはしたが、あくまで僕の引き立て役だとか、競争相手や、予備という意味合いの下で育てられてきていた。そのための体裁として、妻にしたようなものなのだ。
家の中では一段立場も劣るし、僕がどうにかなってしまわない限り、彼女の子はカノヴァスの家督を継ぐことができない。そのことで少し、精神的に弱って感傷的になりすぎてしまっているところもある。可哀想だとも思えてしまう。
もう何年も顔を合わせていないから、今の彼女がどうなっているかは分からないが……。
「勝ち取れ、マティアス。お前には期待しているんだ」
「……殿下」
「もしダメだったならリーズをやろう」
「で、殿下っ!?」
「ははは、それは冗談だ。だが、リーズには良い縁談の話もなくてな……。個人的には、お前にくれてやってもいいとは思っているが……」
「お、お戯れを……。それよりも殿下ご自身の結婚について考えてください」
「お前まで言うのか……。俺はもう子をなす必要なんてない。何もない身だ、どうだっていいだろう」
「何を仰るのですか。殿下は由緒正しきディオニスメリア王国の――」
「分かった、分かった。何もない身というのは撤回するから小言はよせ。
それよりもお前だ。俺の期待を裏切りたくはないだろう? ああ、別に脅しているわけじゃない。だが俺もお前を応援してやりたいんだ。しょぼくれてるな」
「……ありがとうございます、殿下」
神前競武祭決勝戦の相手は、ジョアバナーサ軍の若手随一の武人だった。猛禽のような翼を持った魔人族で長距離の飛行はできないようだが短時間の滑空ができるという。それを使って上下の激烈な攻撃を加えてくる恐るべき相手だ。
年頃も僕とそう変わらなかった。
ヴァネッサにも気に入られている男のようで戦いは熾烈を極めた。迸る血と汗で、否応なく観客も盛り上がっている様子だった。
アーバインの剣と青光の剣の2本を抜いて戦わざるをえなかった。一撃ごとの重い攻撃を、僕も力で対抗する。上空からの攻撃に魔法で応戦するが、地上からの対空攻撃の対処には向こうも慣れているようで華麗に避けられる。強い。
神前競武祭に2度目の参加をして判明したのだが、どうやらこの5年でジョアバナーサにも戦いに魔法を取り入れる考えが生まれたようだ。この相手も魔法を使ってきていた。厄介極まりない。
これは5年前に僕やリアンが同じ舞台で大暴れをしてきたからこその変化だったろう。過去の行いというのは未来で降りかかってくるものだとつくづく思わせられた。
マオライアスのことも、同じなのだろうか。
僕が学院で盛っていたことのしっぺ返しで、僕の望まなかった子が生まれてしまったのか。
ミシェーラはどう思うだろう。不誠実の結果とでも言うようなことに嫌悪感を抱くだろうか。彼女はやさしいから顔には出さないかも知れないが、その上で求婚したって困らせてしまうだけかも知れない。困り顔は見たくもない。マオライアスのことを隠して想い合えたとて、いずれは打ち明けねばならない。その時に彼女が裏切られたとでも捉えたら、生きていけない。
「その隙は誘いか!?」
ハッとした。
影がかかり、白刃が迫ってきた。青光の剣で絡め取ろうとしたが勢いに押し負ける。アーバインの剣を振るって遠ざけようとしたが、その前に翼を打って真後ろに飛ばれた。空振りをしたところに、無数の氷柱を飛ばされる。避けきれない。魔法で防ごうとしたが、すでに側面から回り込まれている。
両方を魔法で防ぐことはできない。
『勝ち取れ、マティアス。お前には期待しているんだ』
氷柱に撃ち抜かれ、側面から迫ってきた相手に強烈な一撃を見舞われた。舞台上を吹き飛ばされる。刺さった氷柱を引き抜く。まだ戦える。
だが。
勝てるのだろうか。
ミシェーラを手に入れられるんだろうか。
僕の恋を阻む障害を排除して進んだ先で、ワルキューレは微笑んで待ってくれているだろうか。
「これで終わりだ……!」
突風が吹きつけてきた。
荒れ狂う風を推進力に突撃をしてくる。
不意にレオンと旅をしていたころの一夜を思い出した。夜の番をしながら2人で焚き火を挟んで座っていた。エノラと結婚したら、僕のところへ来いと誘った。
そばに友がいてくれることが心強いからと、そう言った。
『お前は強いから、大丈夫だと思うけどな……』
焚き火を突ついてレオンはそう答えた。
学院で剣闘大会、序列戦と2度戦って僕はレオンに2度とも勝てた。だが、その勝敗は場外というルールがあってこその勝利だった。神前競武祭では僕が戦闘不能となって負けた。
レオンの方が、強かったのだ。
そのレオンが僕を強いと認めてくれたのが、どことなくそらぞらしく聞こえた覚えがある。あの時はまだ神前競武祭で競っていなかったが――心のどこかで僕はレオンに勝てないと思っていた。スタンフィールドで決闘をして、屈辱的なまでにあっさりと負けを認めさせられたのがずっと尾を引いていた。
だから、その時は何も言えなくなった。
でもレオンのその時の言葉に偽りはなかったように感じられた。
吹き荒れる風の中で、下肢に力を込めて立つ。
風の向こうから迫ってくる刃。
「良い風だ――」
戦いに敗れ、それを素直に認められるのか。答えは、否。
もう迷うのは終わりにしよう。どうなろうが、戦わねば勝利は得られない。ならば勝利することを信じて戦うしかないだろう。
「うおおおおおおおおおおっ!」
「魔法戦の何たるかはまだ、分かっていないようだな」
指を鳴らし、吹き荒れている風を一度に燃やした。
たちまち風は炎を巻き起こす燃料となり、紅蓮に包まれた。炎と熱に変じた風によって相手が上へ逃れようとした。だが、甘い。炎は、熱は、上にいくのだ。逃れられてはいない。
「プロミネンスロア!!」
僕の使える最大の魔法を放つ。
紅蓮の爆発が引き起こされてそれに飲み込まれた。熱に満ちた舞台を駆け、地上へ戻ろうとするところへ斬り込んだ。
アーバインの剣で一太刀、これは相手の剣で受けられた。だが、まだ僕には剣がある。青光の剣を振るい、叩きつけた。飛行のために薄くなっていた相手の鎧を叩き壊す。巨岩を落とし、同時に下からも岩棘を突き上げた。潰されまいと飛び出そうとしたところへトドメの一撃を叩き込んだ。吹き飛ばされて来賓席下の壁へめり込んだ。
「そこまで! 神前競武祭覇者がここに決まった!
戦女神の試練を突破せし勇士、マティアス・カノヴァスを新たな神前競武祭覇者として認める!!」
ガーランオーグが宣言した。
ワアッと轟音のような歓声が発せられた。
丁寧に四方へ腰を折りながら優雅な礼をしていき、最後に来賓席へ向き直って頭を垂れた。
勝ってやろうじゃないか。
僕はマティアス・カノヴァスだ。
何が出てこようとも、手に入れてやる。
ミシェーラの愛も、輝かしい未来も、何もかもを。




