大神殿のマティアス
「十二柱神話、か……。興味深いな」
使節団は現在、クセリニア大陸のディミトライア山脈にある大神殿なる地にいる。記憶が正しければリュカはジョアバナーサからここへ来たはずだ。
ディミトライア山脈はクセリニア大陸中央部を隔てる山脈で、ここを境に大陸は東西に隔てられている。
大神殿はこのディミトライア山脈の北端部の一際高い山にあり、高所に街が築かれ、その頂上へ大きく構えていた。大神殿には数多の神官が修行のために訪れているし、神官でなくとも経験に神々を信奉している者が多く集まって街を形成している。
都市国家の多いクセリニア大陸でも珍しく、どこの国のものでもない土地であった。誰がここの支配者かという問いに強いて答えるならば、十二柱神話の神々と言えるだろう。
「殿下、熱心になられるのはけっこうですが、あまり長く外にいると体が冷えてしまわれます。明日にされては?」
「もう少しこの神殿を見てみたい」
「分かりました」
トヴィスレヴィ殿下は大神殿に大層、興味を惹かれたらしい。
特にこれといった神に惹かれているというわけではないが、どうも殿下は遺跡だとか、古い時代の品だとかを好む傾向にあって、800年近くの歴史があるというこの大神殿もそういう興味の対象になったようだ。
親衛隊はここへ辿り着くまで、2名が殉職した。
危険な旅だった。クセリニア大陸の北東平原部の情報がなかなか入らなかった。それでも進むということとなった道中、紛争にも遭遇した。使節団は馬車4台が連なっている。荷物は少なく、という旅の鉄則は使節団には通用せず、馬車には人も乗り込めば、たくさんの彼らの荷物も積み込まれる。旅を甘く見ていた親衛隊の荷物だって多かった。
そのせいで悪い輩の格好の的となって、幾度となく襲撃も受けた。身の程を知らぬ、小さい国の王さえも追いはぎかと思えるようなやり方で荷と命を奪おうとしてきたほどだ。
親衛隊2名の犠牲のみで済んだのは運が良かったとも言える。
そんな危険な旅で、僕は殿下の信頼を確かなものにしていった。殿下の目的は使節団の成功。殿下の身命を守ることは無論、使節団の若き才能を持った者達も守らねばならずに厳しい戦いを強いられた。だが、どうにか守りきれた。
土壇場では自分の命が惜しくなって、卑怯にも敗走しようとした親衛隊もいた。後からのこのこ戻ってきて言い訳をするのは滑稽なものだったが、恥知らずの騎士を野放しにしてディオニスメリア王国の汚名を広めるのは不本意という殿下の寛大な措置でまだ行動をともにしている。
最初こそ新参の僕を除け者にしようとしていた親衛隊の者は多かったが、今では殿下の信頼が目に見えるようになっていて媚びるような態度になってきた者もいた。エスコーダはまだ敵愾心を燃やしているようだったが、殿下は親衛隊の中では僕にもっとも信頼を置いてくださっているし、今さらどうにかなるようなものではなかった。
「お前がこの地を旅していた時に同行していたという少年は、もういないのだったな?」
「はい。話をうかがったところ、数年前に行ってしまったと」
「そうか……。まあいい」
殿下は絵をたしなまれている。おもむろにその準備を始めようとしていた。
「お言葉ですが、殿下。じきに日も落ちて気温が下がります。明日にされてはいかがでしょう?」
「酒を持ってこい。それで暖を取れば問題はないだろう」
「ですが……」
「何だ?」
「……お体に障られては大変です。どうか、ご再考を」
嫌そうな顔で殿下はしばらく考え込まれ、不満そうに分かったと返事をしてくださった。
ほっとする。
宿泊している宿へ戻り、殿下がご夕食を済ませられてから使節団の旅程についての話し合いが開かれた。ディミトライア山脈をこのまま下ってクセリニア西部に入るかという議題も出たが、現地人は南下してジョアバナーサの方から西へ行った方がいいと言った。そもそも西側へ降りる山道があまりにも険しすぎることと、ここから西へ行っても山ばかりで人がほとんど暮らしていないし、人がいたとしても賊の巣窟になっている危険性が高いということだった。
そういう理由で大神殿の後はジョアバナーサへ行くということになってしまった。
どうしても、ジョアバナーサの女王の顔が脳裏にちらつく。いきなり使節団として向かうわけにも行かないから、これが決定したことで先に使いを送ることとなった。もちろん、女王の耳にも入ることだろう。
正直なところ、顔を合わせたくはないが女王の性格上、絶対に興味を持ってしまうだろう。さすがに殿下を、僕にしたように褥に引きずり込むことはないんだろうが……。
殿下の警護を交替し、部屋に戻った。
葡萄酒を一杯だけ飲んで眠った。
翌日に大神殿の長――神殿長なる方と話をする席が設けられた。神殿長も大陸の外からやって来たという僕らに興味を持っておられ、使節団の面々は様々な話題をし、意見を交わしたりしていた。
それが済んでから殿下はまた、昨日と同じように神殿の見学へ出た。建築様式が興味の対象らしく、柱に施された模様や、十二柱の神々の像を描かれていた。僕はその傍らに控えて、不穏な輩がいないかと目を光らせる。
「マティアス」
「ハッ、何でしょう?」
「お前はこの十二柱の神だと何が好きだ?」
「わたしはジョアバナーサで開催された神前競武祭というものに参加をしました。その際、戦女神ワルキューレに見初められましたので個人的には彼女を。ただ、信奉しているほどではありません。縁を感じるという程度のものなのですが」
「神前競武祭というのは何だ?」
「ジョアバナーサ王国で5年に1度開催される剣闘大会のようなものです。参加者は十二柱神話になぞらえた、十二の試練を受け、それを突破することのできた16人が競い合います。その際、受けることになる試練はランダムに割り振られるのですが、これを突破すると、その神の試練を突破した勇士と呼ばれることになるのです」
「お前はそれに参加してどこまで残れた?」
「試練の後に行われる本戦では16人がまずトーナメント形式で戦います。そうして残った4人が、今度は総当たりで試合を行い、もっとも戦績の良かった者が覇者となります。ですが、わたしが参加した時はアクシデントがあり、途中で神前競武祭が中止となってしまいました。総当たり戦までは勝ち残ったのですが、そこで中止に」
レオンに負けたことは伏せておこう。
あの後、レオンもどこかで負けて、僕はそれ以降の試合を連勝して覇者となる予定だったのだ。ならば、わざわざ黒星を語ることはない。
「そうだったか……。それは次にいつ行われる?」
「神前競武祭が、ですか? ならば、次は……今年ですね。時期的にはまだ、開催されてはいないように思いますが」
もう5年前となってしまっていたか。時間が経つのがやけに早い。あの時から僕は何か成長しただろうか。当時のレオンは確か16歳。今は21歳か。この5年でレオンはさらに強くなっていそうだが――いや、僕だって怠けて過ごしてきたわけではないのだから、脅威に感じる必要はないはずだ。
「俺の親衛隊がどれだけ強いのか、東クセリニアで最強と名高いジョアバナーサで見せつけてやりたいものだな」
「殿下……?」
「その神前競武祭を俺も観覧させてもらおう。誰かに神前競武祭の開催日程を調べさせろ。それに間に合うようにジョアバナーサへ向かうぞ」
「し、しかし、殿下。我々が参加しては殿下の警護が――」
「ならば親衛隊の半数が出場しろ。マティアス、お前は絶対だ。神前競武祭覇者という肩書きもあれば、エドヴァルドとて、娘をくれるかも知れないぞ?」
「…………」
「返事はどうした?」
「……か、かしこまりました」
「どうした? お前はもっと不遜な男だろう。何を渋い顔をする?」
「いえ……ごく、個人的なものですので」
「言ってみろ。俺が悩みを聞いてやろうと言っているんだぞ?」
ヴァネッサ女王にされたことを打ち明けざるをえなかった。
殿下は最初こそ驚いておられたが、すぐに破顔して大いに笑われた。
「それで、子種を取られたか。剛毅だな、その女王は」
「……もしかすれば、あの晩、僕はミシェーラへの想いを余計に強めたのかも知れません。気の強い女性はそれ以来、少々苦手になってしまいまして……」
「案外、もうお前の子どもが生まれているかも知れないぞ?」
「ご冗談を……。そんなことになれば大変なことになってしまいますよ」
「認知してしまえ」
「無理やりだったとは言え、一国の王の子となってしまうのですよ? ただでさえ、父には少々、強い反感を買ってしまっているのにそんなことになっていたら、相続権を取り上げられかねません。婿入りしてこいなどと言われて」
「だったらそのままジョアバナーサに居着いたらどうだ?」
「あそこの女王は子どもを産んでも結婚はしないようですから、僕が婿入りなどできないでしょう。行き場をなくしてしまいます」
「ならばずっと親衛隊にいろ」
「有り難いお言葉ですが……」
「嫌か?」
「……嫌ではありません。ですが、もしそうなってしまったら、もうカノヴァス家から去って、どこかの南の島でゆっくり過ごしてもいいかも知れませんね」
リアンが企んでいた計画は、どうなっただろう。
夢破れた時は僕もそこへ加えてもらおうか。
「もっとも、こんな戯れ言は本当に子どもがいたら、ということになってしまいますが」
「それもそうか。お前は子どもが好きなのか?」
「どうでしょう……。あまり、関わりを持ったことがありませんでしたから。弟のガルニや、妹のステラが小さかった時は人並みに可愛くも思っていましたが、すぐに学院へ行ってしまいましたから」
「そうか。……小さい時の兄妹というのは、確かに、可愛くはあったな。シグネアーダも昔は――いや、よしておくか……」
再び殿下はスケッチに手を動かし始めた。
殿下が神殿のスケッチをし、特異な街の文化などを書き記すのを待ってから大神殿を出発した。神前競武祭に間に合うように、という旅程は少々厳しいものがあったが、間に合ってしまった。
5年ぶりのジョアバナーサ。
街門に到着するなり、使節団は出迎えを受けた。相変わらずギラギラしたヴァネッサ女王が、獣のような笑みを浮かべて僕を見ているような気がし、汗が止まらなかった。




