交渉は笑顔が大切
「早朝に失礼しています」
「ふゎぁ……うん……どうしたの……?」
起きたら何でか、リアンがいた。昨日は造船所の人達に誘われて宴会に出ちゃったから、眠るのも遅かった。メーシャに起こされて寝床を出たら、リアンがメーシャと一緒に料理をしていた。朝ご飯だと思う。
「まあまあ、お話は食事の後で」
「うん……メーシャ、今日のご飯は何なの?」
「焼き魚!」
島へ来た当初は、皆でご飯を食べていた。それから小屋が建ってきて、僕はメーシャと一緒に暮らすことになった。最初はメーシャも今より小さかったから僕がご飯を作っていたけど、ある時から一緒に作るようになって、最近はメーシャに任せきりになっている。花嫁修業、とか自分で言っちゃってる。
女の子だしお料理ができるのはいいと思うんだけど……何かちょっと、複雑な気持ち。
朝ご飯を食べると、メーシャは出かけていった。雨が最近少なくて、畑の水やりが大変になってるらしい。そこでメーシャが魔法で水やりを買って出て、島中を回っているらしい。すっかり魔法士気取りだ。
リアンは朝ご飯の後にお茶を淹れた。クセリニアのどこかの茶器を持ってきてくれていて、それで飲むことになった。不思議な曲線の並ぶ紋様だ。でも規則性が見られる。
茶器を見ていたらリアンはまた何か作り始めた。何だろうと思って見ていたら、リアンが僕へちらと視線を送って口を開く。
「実はですね、ロビン」
「うん」
「マレドミナ商会が……少々、ディオニスメリアの有力商人の目の敵にされてしまいまして。前々から頭を悩まされて、あれこれと手は打ってきたんですが、さすがに海千山千の商人が相手でして、なかなかうまいこと進められませんでした」
「そうなの……? リアンなら、大丈夫だと思ってたけど」
「買い被りすぎですよ。その時々で、常に最善を尽くしているつもりではありますが、わたしの最善を上回る経験や知識が相手方にあるというのは当然というものです」
「そっか……。どうするの?」
「どうしたものかと一晩悩んだのですが」
「一晩だけ?」
「ええ。こういうのは早い決断が功を奏するかと」
そうなのかなあ?
よく考えたらいい考えが浮かぶってこともあると思うけど。
「それで……どうすることにしたの?」
「あれこれ考えて……辞めることにしました、マレドミナ商会を」
「えっ? や、辞めるって……リアンが?」
「はい。その代わり、もうマレドミナ商会を邪魔するなと、交渉するつもりです。標的は完全にわたしに向けられていましたし、あえて、そうなるように仕向けてもいましたから。恐らく、条件を飲まれるでしょう」
「でもリアンがずっとがんばってきたことなのに、辞めちゃうなんて……」
「商会を退いたら、わたしはこの国に骨を埋めるべく別の仕事をしますよ。レオンの補佐も必要でしょうからね」
「そう、なんだ……」
「ええ。それにマレドミナ商会はわたしにとっては通過点でしかありません。当初から国を興すために必要な資金調達、及びこのエンセーラム諸島の流通基盤を作る、というのを目的として設立したものでしたからね」
そう言えばそうだったっけ……。
でも、何だかもったいない気がする。
「ただ、辞めると言ってもただそれだけで納得されるか、疑問が残ります」
「……口約束だけじゃ信用ならない、ってこと?」
「はい。それに実際、わたしはマレドミナ商会の長という立場を退いても、この国からマレドミナ商会を操ることになりますし。実質的にはそこまで変わらないんです。ただ、矢面に立つ人が変わるというだけで。ですから、そのことから目を逸らさせて納得させる必要がありまして」
「うん」
「なので、結婚しようかと」
「リアンが?」
「はい」
「ど、どうして、結婚? それって……関係あるの?」
「一般的に考えてみてください。家庭に入った女が何か、派手な動きをできると思いますか?」
「……リアンなら、あり得るんじゃ……」
「それはロビンがよくよくわたしを知ってくれているからですよ。ありがとうございます」
「どういたしまして……?」
「ディオニスメリアでは妻の役目と言えば家を守ることです。主人が不在の屋敷を管理することが一般ですね。わたしもそう思わせるつもりです」
「思わせる……」
「はい」
「でも……そんな結婚、してもいいのかな……?」
それって結婚相手に失礼なんじゃないかな。
リアンの口ぶりからも、マレドミナ商会を辞めるだけで家を守るつもりなんてないように感じられる。旦那さんになる人はそれを許せるのかな。ううん、許すとしたって、そんなのを目的にした結婚をしてくれるのかな?
「ロビンはやさしいですね」
「……甘いだけだよ、多分」
「ふふ、でも嫌いじゃありません」
喋りながらもリアンの作業の手は止まらない。作っているものがようやく分かってきた。以前、レオンが作ったプディングパンというやつだ。しかも、その最上級に甘いお菓子、クリームサンドを作ろうとしてる。チャカチャカと音を立てながらふわふわのクリームを作り上げていた。すでにパンが卵とミルクと砂糖の液に浸されている。
油を敷いて熱した鍋底でパンを焼いた。焼き上がった黄金色のそれに弱い風魔法を浴びせてあら熱を除いている。そうしながら、リアンが僕の座っているテーブルの向かいに腰掛けた。肘をついて、身を乗り出してきて僕を見つめてくる。
「ロビン」
「うん?」
「結婚してくれませんか?」
「誰と?」
「わたしとですよ」
「…………えっ?」
ほほえみながらリアンが立って、焼かれたパンの上にクリームを乗せた。その上にベリージャムを乗せてから、もう1枚の焼いたパンを乗せてぎゅっと押さえた。見事にクリームが縁のところまで伸びてきたところで、包丁を入れて2つに切り分けた。それを皿に乗せて、テーブルに置く。
「どうぞ、召し上がってください」
「え……あ、え? う、うん……」
手づかみで食べる。ちょっと油で持った手がベタつくけど、甘くておいしい。ふわふわだ。口の中に甘いものが広がる。甘過ぎないのはジャムのお陰だ。これが丁度いい酸味を出している。
「おいしいですか?」
「う、うん……甘くて、おいしい」
「それは何よりです。ちょっと練習したんですよ、これを作るの。
正直、わたしはあまり結婚願望がありません。でも、結婚してしまえばやっかみも収まりますし、した方がいいだろうなと思ったんです。さあ、誰と結婚すればいいだろうと考えました。すでに罠が張られていて、わたしが実家に帰ったら父が結婚相手を用意してしまっているとのことなのです。でも……これから、裏をかこうというわたしなんかと、父の選んだ相手が結婚すれば多大に振り回してしまいかねません。
それは父にも、相手にも、相手方のご家族にも申し訳がありませんし、わたしは女らしさとは少々距離を置きすぎているものですから」
うーん、別に皆や、本人が言うほどリアンが女の子っぽくないって気はしないけど。
何だかんだで月に1度はちょっと具合が悪くなっちゃってて、それをものすごく見事に隠してはいるみたいだけど分かってるし。リアンの手だって剣を握る無骨なものだけど、僕やレオンやマティアスくんほど無骨すぎるってこともなくて、爪とかもよく手入れして綺麗にしてる。
何ていうか、本当に細かいところだけど女の子らしさは見え隠れしている。どうして皆がそれを無視してるのかが不思議なくらいには。
「父の用意した相手との結婚ができないとなれば、自分で見つけなければなりません。その時に一番に思い浮かんだのが、ロビンでした」
「……僕?」
「ええ。異性としての意識をしたことはありませんでしたが、よくよく考えればロビンほどの人物はなかなかいないのでは、と」
「そんなこといきなり言われても……」
「あなたは誠実です。それに強く、賢く、逞しい。何よりやさしい。あなたほどやさしい人はなかなかいません」
「……ありがとう……」
何だかすごく照れる。
こんな真正面から言われると恥ずかしくなってくる。
「わたしはあまり拘りませんが、家柄だってヴェッカースターム大陸ではとても上等でしょう。偉大なる戦士の末裔なんですからね。加えてこれまで、学院にいたころから数えて13年来のつきあいです」
「そっか……そんなになっちゃうんだね」
「ええ。お互い、若かったころからですね」
「若かったって言うか……小さかったって言うか……」
「それだけ長い年月ともにいて、一度もわたしはロビンに苛立ちを覚えたことはありません。マティアスの神経質なところや、レオンのいびきに少々、カチンときそうなことはありましたが……そういう些細なところもロビンには全く感じなかったように思えます」
「レオンって、うるさい時はうるさいよね……」
「どうでしょう? わたしと結婚してくれませんか?」
「……ええと……」
「できれば、返事はこの場で」
「ええっ?」
「お願いしますよ、ロビン」
リアンと、結婚……。
リアンと? これまでずっと友達としてしか見たことなかったのに……。
うーん、でも……ううーん……?
「……僕、マティアスくんがお家を継いだら、そっちに行っちゃうけど……」
「わたしはここに残ります」
「ええ……?」
「でも、たまには会えますよ。この島へ来てからはずっとそうだったでしょう?」
「……ダメだよ、そんなの」
「何故です?」
「結婚したら、夫婦はずっと傍にいて添い遂げるものだよ。離れてるなんて、絶対ダメ」
「そうですか……?」
「どれだけリアンが強くたって女の子なんだし、お互いに支え合うのが夫婦だよ」
ぱちくりとリアンがまばたきをしながら僕を見た。
「……だから、多分、ダメだと思うよ?」
「……ふむ。ロビン、正直なことを言ってもいいですか?」
「何?」
「じゃあロビンがマティアスに仕えるのをやめてください」
いい笑顔で、リアンが言った。




