合い言葉は
「長居をしてしまった。僕はもう帰ろう」
気づけばすっかり日は暮れていた。ひとしきり歌ってから、ロビンにリュートを教えてやったり、それを伴奏にマティアスにも歌わせようとしてはみたが、はかどらないまま終わってしまった。
「あ、ご飯も食べていく?」
「ロビン、さすがに人数分しか用意されてねえだろ」
「そっか……。でも僕、マティアスくんともっと仲良くなりたいな……」
「時間はまだあるんだから焦る必要もない。僕はすでに、ロビンとは友人のつもりだ。それでは不満か?」
「本当っ?」
「ああ」
「良かったな」
「うん」
ぱたぱたと尻尾を振るロビン。ほんとにこいつは、愛玩動物みたいにかわいい。
でももうちょっとしたら、グングン背とか伸びてくんだろうな。犬なら大きくなってもかわいいもんだが、獣人は精悍な顔つきになってくから可愛らしさは薄れるんだよなあ。
「ああでも……そうだな……」
「どした、マティ坊」
「その思いついたような呼び方はよせ。……今日の僕の寮での夕食は、あまり好きなメニューでないのを思い出したんだ。だから……もし、キミらが、僕と相伴にあずかりたいと言うのであれば……」
ははーん、遠回しに晩飯がどうだと誘ってるわけか。
素直じゃねえやつ。まあでも、別に外で食ってもいいんだよな。外食か。悪くはないけど。
「別にいいや。な、ロビン」
「そう、だね……。僕らはちゃんと、ご飯あるし」
「うっ……」
素直じゃねえやつにはこうだ。
ロビンは天然だろうが、俺には通用しねえぞマティアス!
俺の笑みに、マティアスは気づいている。
苦い顔をしているから、俺の考えも伝わっているはずだ。
さりげなくロビンの尻尾をもふりながら、答えを待つ。ちょいちょい、やめてとばかりにロビンの手が払いのけようとしてくるがお構いなしだぜ。
「…………」
長い沈黙の後、マティアスはむっとしながら、
「ぼ、僕が、たまにはご馳走をしてやろう。だから、一緒に食事へ行かないか?」
「え、本当っ?」
おっと、俺の手の中の尻尾が暴れ出す。
逃してなるも、なるもの……ちょ、暴れ過ぎ、ロビン、嬉しがりすぎ。
「レオン、レオンっ、行こう?」
「……ちっ、まあいいけど」
「どうして舌打ちするの?」
「だってお前の尻尾が……」
「だから、人前でやったら、めって言ってるでしょう?」
叱られた。
いいじゃんか、そこに尻尾があるんだから。
でもってマティアスにけっこうどん引いてる眼差しを向けられた。
そんなに尻尾が好きっておかしいか? 尻尾は愛すべき存在だというのに……。
「これが、大衆食堂か……。いやに他の客との距離が近いんじゃないか……? ツバが食事に飛び込んできそうだ」
「普通だよ、これくらい」
「たらたら文句言ってねえで食えよ……」
「そんなの分かっている、言われるまでもない」
マティアスは格式高いレストランへ行こうとしたのだが、やんわりとロビンが嫌がってたくさん大衆食堂に変更となった。高級レストランというのは貴族御用達か、金持ち商人くらいしか利用をしない。そして、そういう場にロビンは苦手意識を持っている。想像するのは簡単だ。ロビンが獣人で、貴族どもの多くは獣人を見下し、蔑視して露骨に差別をするからだろう。
マティアスはもうそういうことを気にはしていないらしいが、ロビンは俺と相部屋になってから、一度だけそんなことを漏らした。
『僕ね、相部屋の人が怖い人じゃなくて良かったんだ。
貴族って、獣人族のことを良く思わない人が多いから……』
尻尾をもふらせてくれながら、言っていた。
こんなに素晴らしい尻尾を持つ獣人を排斥するなどとんでもない。俺の目の前でそういうのが起きれば、いつぞやのフランソワ様の時みたいにしないと気が収まらないだろう。魔力欠乏症の俺と、獣人ではどちらの方が生きづらいもんなのか――。
比べるもんでもないか。
「ふぅー、食った食ったー」
「こ、こんなに、安いものを食べていたのか……? 食べても大丈夫なものだったんだろうな……?」
「ふ、普通だから落ち着いて、マティアスくん」
店を出ると自ら支払いを買って出たマティアスが震えていた。3人で腹いっぱいの飲み食いして、銀貨1枚にも満たなかったのがよほどショックだったらしい。貴族の懐事情はどうなってるんだか分からない。
半年に一度、オルトから金貨25枚も送られてくる。卒業までに金貨300枚ももらってしまう計算だ。ぽんとこんな大金を寄越すんだから、貧富の差というのは凄まじい。しかも、ここにはそういう金持ち貴族がわんさかいる。もしかしたら、スタンフィールドっていうのはとんでもない市場なのかもな。金持ち貴族と、そうでもない庶民とが混沌と入り交じってるんだから。
「おーやおや? 無能と獣人と一緒かあ、マティアス・カノヴァス」
入口のところでマティアスをロビンがなだめていたら、顔だけ知ってるアホの4人組がいた。本当に懲りないやつらだと思っていたら、ひとりだけ顔も知らないやつがいた。魔法士養成科の制服を着ている。
「しかも、何だよその店? カノヴァスは平民と同じとこで飲み食いするのか?」
「あれ? ねえ、キミってコルトー?」
魔法士養成科の学生が、こそっと俺の後ろへ隠れたロビンを見逃さなかった。不躾にもそいつが、俺の方へ来る。まあ、ロビンの方が俺より背が高いんだから隠れきれてはいない。俺とロビンをまとめて、ごくごく近い距離から見下している。
「コルトー、ここで食べたのかい?」
「……おい、何かムカつく喋り方やめろよ」
「キミには何も言ってないんだよ、穴空きぃ」
「でも、そうか、この店はもう、客が入ることもないんだろうね。薄汚い、卑しい獣人が入ったところで食事なんて考えもつかない」
「あ?」
「何と言った?」
俺とマティアスが、ほぼ同時にそいつを睨みつけた。
最初にマティアスに絡んできたやつが、魔法士養成科の肩を掴んで引く。
「カノヴァスは無能とつるむようになってから、すっかり野蛮人の仲間入りしてるんだ。近づくとノミでも移されるぞ」
「ああ、それもそうか」
嘲笑し合うこいつらには、一発くらい見舞ってもいいよな。
右拳を握って、いつぶん殴るかと機を窺っていたら、後ろからそっと拳を掴まれた。ロビンだ。ぶるぶると、ダメだと震えながら首を振っている。
「撤回をしろ、ジェルマーニ」
「撤回? 事実を言っただけだろ? 無能の腰巾着のカノヴァスくぅーん?」
「そこじゃない。僕の友人を、薄汚い、卑しいと罵ったことだ」
「だってさ、どうする?」
「本当のことなのに、撤回する言われはないさ。頭まで無能になったんだろうね。ネグロはどう思う?」
「こういうのは取り合わない方がいい。ビョーキになっては大変だ。そこらの犬猫だって、安易に触れたら体に毒なんだ」
うざってえやつらだな。
このジェルマーニとかいう騎士学生と、ネグロっていう魔法士学生がボスで、後ろにいる2人は取り巻きだな。大方、俺らと同じように今日の魔法士養成科との合同授業で意気投合した貴族どもなんだろう。……ほんのちょっとの類似点でも何か異様にムカつくのは俺だけか?
「移る移らねえだの、何が言いたいんだよ。無能の俺にも分かりやすく言え。
喧嘩か、決闘か? 言い値で買ってやるよ、支払いはマティアスが持ってくれるからいくらでもいいぜ?」
睨み上げるとネグロが腰に手を伸ばしたが、ジェルマーニがそれを止めた。
チッ。それさえ抜けば、正当防衛の名目で叩きのめしてやるってのに。ジェルマーニも姑息な知恵をつけやがって。俺のポリシーが逆手に取られてやがる。
「これだから野蛮な能無しは嫌だな」
「ほおー? んで? どうしたいって?」
「合同授業でいずれ、模擬戦があるはずだ。その時に勝負をしよう。キミら3人を叩きのめそうじゃないか」
「ああ?」
てっきり嫌味と文句だけつけて尻尾巻いて逃げるかと思ったら……何を企んでるんだ?
ジェルマーニの提案にネグロがほくそ笑んでいる。何かしらの考えはあるってことなんだろうな。
「いいだろう、受けて立つ」
「忘れるなよ、カノヴァス。行こう、ネグロ」
「ああ。またね、コルトー」
取り巻きを引き連れてバカどもが去る。やっとロビンが俺の手を放した。
垂れた耳と尻尾。落ち込んだ表情。ついさっきまでの楽しげだった顔はどこへやら。
「気にすることはないぞ、ロビン。腕っ節だけなら学院でもすでに10番内に入るはずのレオンと僕がいるんだ。負けようのない戦いの約束だ」
「俺だけでよゆーだけどな」
「僕だけでも余裕だ」
「あん?」
「でも……」
マティアスとの言い合いが始まろうかというタイミングでロビンが口を挟んできた。自分で自分の尻尾をそっと握り、手でゆらゆらと揺らしている。何だその仕草。スカートの裾握る女の子みたいだぞ。
「合同授業の、模擬戦演習は……騎士養成科と魔法士養成科の2人組じゃないと、ダメなんだよ……?」
「ん?」
「だから僕がいるだろう。ロビンもいる」
「おい、ロビンは俺とだろ。ルームメイトだぞ」
「何を言ってる、僕は他に魔法士養成かの知り合いなんていないんだ」
「俺だっていねえ――つか、お前、ルームメイトはっ!?」
「僕の寮は上級貴族ばかりだからな。ルームメイトなんていないし、全員ひとり部屋だ」
「おいっ!」
「ハッ……まさかヤツら、このことを知っていて……? 何て姑息なっ!」
時々マヌケなことを見事にマティアスが晒す。
魔法士学生が、足りない。ジェルマーニは、俺達3人を相手にするとは言ったが、ルールに則って2人組ずつでやるつもりだろう。そうなると、あとひとりを用意しないと戦場にさえ立てないことになる。
「まあ、でも見つかるだろ」
「そうだな、時間はある」
その切り替えの早さはいいと思うぞ、マティアス。
それに比べてロビンはまだしょげている。仕方ないやつだ。
「どうにかなるからうつむくなよ、ロビン。合い言葉は、スキヤキだ」
「っ……うん」
マティアスと別れ、寮に帰る。
その道すがら、ロビンはスキヤキを口ずさんで星空を眺めていた。その目にうっすら浮かんでいたのは、見て見ぬふりをしておいた。
男の涙は見せるもんでも、見られるもんでもない。




