終結、そして謎の女
「……レオ、ン……?」
ほんとに、目が覚めた。
同時にマディナから生えていた翼がほつれるようにして消えていく。
意思に反してフェオドールの魔剣を握り締めて手放せなくなっている。俺の体を介して、マディナから加護の力を、そして魔力をまた喰らい尽くそうとしている。だが、それよりもマディナが目を覚ましたことの方が良かった。
終わったんだ。
あとはニコラスをぶっ飛ばして――
ドスッと音がし、何かが顔に付着した。
いきなりマディナの胸元から血と肉が飛び出た。
こぼれた瞬間、心臓だったものが赤い大きな玉になる。
「は――?」
こぼれた赤い玉に見覚えがある。
赤魔晶にパッと見で見えた。が、それよりも近いのはカルディアだった。ジャルを操っていたという、謎の赤い玉。あれよりも一回りは小さいが、ヤマハミの目玉を抉って取り出される赤魔晶と比べれば明らかに大きい。
「何をする、ナターシャ!?」
「実験はもう充分、良い結果が得られました。感謝いたします、ニコラス・ムーア・クラクソン」
見知らぬ女が気づいたら傍にいて、腰を折りながら落ちていた赤い玉を取り上げた。
美人の女だった。色の白すぎる肌と、綺麗な白金の長い髪。エルフに見えた。その女は赤い玉を持ち上げて小さく笑う。
胸を抉られたマディナの顔色が青白くなっている。――死ぬ。
「何、しやがる――!?」
「失礼」
マディナの肩を腕に抱えたまま、フェオドールの魔剣を振るった。
赤黒い炎が放たれてエルフ女に襲いかかったが、瞬きのような短い合間で消えてしまっていた。空振りした黒い炎が地面に残り、そこからぶすぶすと煙を上げていく。
「ナターシャ!?」
半壊した教会の2階部分にニコラスがいた。壁がごっそりと消えている。下に残っている柱の上の部分だけ床板が残っていて、そこにニコラスは立っていた。そして、その横にさっきまで俺の傍にいたエルフ女も。
「シャノンの導きに魂を任せられては? あなたはそれこそが本望なのでしょう?」
「ふざけるでない、ようやく――やっと、足がかりとなった、シャノン降臨の……!」
「そんなものは永劫訪れませんとも。神々はこの地上にはおられない」
エルフ女が冷淡なほほえみを浮かべて言うと、ニコラスの頭が消えた。
体だけが残り、そこから夥しい血を流しながらバタッと倒れる。小娘の短い悲鳴が聞こえて顔を向けるとニコラスの生首が近くに転がっていた。
「リュカ、逃がすな!」
「分かってる!!」
リュカが剣を振るった。雷光が閃いてエルフ女を穿とうとしたが、その前にエルフ女は消えてしまっていた。半壊の教会が雷に飲まれてさらに崩壊していく。それだけだった。
「っ……おい、マディナ!」
逃げられた。
だが、マディナが――もう目も半開きになっている。
「ま……マディナ……? ねえ……」
小娘が駆け寄ってくる。
マディナの目が小刻みに揺れ動く。小娘を見るようだった。
「……っ……」
「マディナっ……何で? し、死んじゃう……の……?」
何か声を出そうとしたようだが、ごぼごぼと喉の奥で血を溜まらせている音がした。
小娘がマディナの手を握る。
「リュカっ! お前、神官だろ、傷とか治せ! 治せんだろ!?」
「……俺には、できない。ソアは、癒しの力は持ってないから」
リュカも近くに来た。
拳を握りしめて震わせている。
これじゃあ――もう、どうしたってマディナは……。
「嫌い、だったんでしょ……? でも、わたし……わたしも、意地悪されて、嫌だったけど……マディナのこと、でも……わたし、マディナのこと、ずっと、友達って、思ってたの……。だから、マディナ――」
言葉を詰まらせた小娘が、握っているマディナの手を驚いたように見た。
ひきつるような笑みをマディナが浮かべる。声は出てこないが、目から雫が流れた。
「マディナっ……」
マディナの口が、口だけが動いた。
何かを言うようにゆっくりと、口が動き、その目からか細かった光が消えた。
「おい……おい、目え開け――じゃなくて、何か、反応しろ。死んだふりなんざ、シャレにならねえぞ」
「……マディナ……」
「…………」
腕の中でマディナの体温が低くなり、冷たくなっていった。
堰を切ったように小娘が泣き、しゃくりあげた。亡骸にしがみつきながら、泣いていた。
帝都レギルスは大混乱に陥った。
クラクソン聖教会の崩壊。それは物質的にも、組織的にも言えることだった。教会の最高権力者だったニコラス・ムーア・クラクソンの死亡と、荘厳だった教会がハリボテのように成り果てた。
それは帝都の民にとって、ショックだなんて言葉で片づけられるものではなかった。
価値観の崩壊になっただろう。シャノン教によって保たれてきた暮らしの象徴がなくなったのだ。
帝都を離れていたという、クラクソン聖教会の実質的なナンバー・ツーである女神の剣のリーダーみたいなやつが数日の内に戻ってきて再建に取りかかった。しかし、クルセイダーであった誰も彼もが、不可思議な記憶の混濁に苦しまされた。加護が失われたのと同時に、国中のクルセイダーが一斉に気絶していたというのが後で判明した。
統合された情報によれば、ニコラス・ムーア・クラクソン大司教が大勢にマインド・コントロールをしていたという事実が明るみになった。
ある者は作為的に両親を殺され、それが全く別の人間による殺害と思い込んでいたという。そして、真犯人はクルセイダーだった、と。
またある者は病で家族を亡くしたと思っていたが、その前にクルセイダーに泣きついていたと言う。だが足蹴にされて見殺しにされ、それから教会の孤児院に保護をされ、その際に何故か見殺しにされた事実を忘れてニコラスに言い包められたまま、その事実を忘れていたと。
誰もがそうだった。
小娘も同じようなもので、何日も悪夢にうなされるように寝込み続けていた。
幸いにも、俺とリュカがエンセーラム王国の人間で、悪意を持って教会を襲撃したというようなことにはされなかった。それさえも朧げな記憶に飲まれて忘れられてしまったようだ。良かった――と思っておく。国際問題になりかねなかった。まあ、そうなっちゃおうが人の行き来が困難な遠い距離があるから良かったようなものの――良くはないか。
マディナも葬られた。
今回の騒動の死者はマディナとニコラスのみだった。
俺達はクルセイダーとは別の、本来はお飾り同然だったというヴラスウォーレン帝国の兵が差し向けられてきて、外国人だ、怪しいやつめ、と囚われかけたがクルセイダーだった小娘の口添えもあって、正式にエンセーラム王国の王と、神官だと名乗ってしまうことになった。それで色々と聞くことができたから良かったが、聞いたこともない国の王だなんて名乗ってるのはさすがに怪しいし、すぐに信じることもできなかったんだろう。
使用人の部屋かよ、ってくらいに小さい部屋に軟禁みたいな感じで閉じ込められることとなった。
俺やリュカには落ち着くサイズ感の部屋で不自由がさっぱりなかったけど。
最終的にニコラス・ムーア・クラクソン大司教が悪魔に心を乗っ取られて暴走した、という発表があって騒動は終わりにされたらしい。クラクソン聖教会の新たなトップは女神の剣のリーダーさん――ということになりかけたらしいが、誰もがシャノンの加護を失っていた。同時に女神シャノンへの拭えぬ不信感を抱いて、ほうぼうに出奔して消えていったという。
ニコラスの後任は決まっていない。このままクラクソン聖教会は解体ということになるかも知れないとも聞いた。
考えることはたくさんあって、軟禁されていても退屈にはならなかった。
とにかく、ニコラス・ムーア・クラクソンの企みは潰えた。
帝都レギルスにはまた平和が訪れるのだった――ということにしておく。




