ミリアムの戦い
壊れかけの教会脇を駆け抜け、中庭へ出た。すでに表の――リュカの戦いの騒ぎのせいで、続々とクルセイダーが駆けつけて行っている。その中に紛れながら、マディナが使っている宿舎を目指した。
きっと師匠はそこにいる。
一際大きな破壊音が聞こえてきて振り返った。
リュカはどれだけ派手に戦っているんだろう。て言うか、強すぎない?
師匠って、あのリュカよりも強かったりするの――?
「止まりなさい、ミリアム」
「っ……」
声がして前を向いた。
2階建ての集合住居の一室。
その前にマディナが立ってわたしを見下ろしていた。
あそこが、マディナの使ってる家。
あの家の中に師匠がいる……。
「師匠を返してもらうから」
「やれるものならやってみたら? あんたなんかに、レオンは渡さない」
一段ずつマディナが階段を降りてきた。
白銀の剣を引き抜いて構えられる。わたしも剣を抜き、マディナへ向ける。
マディナは強い。11歳でシャノンの加護を得てクルセイダーになった。剣術も、勉強も、何でもできた。女神の盾の副長であるシジスモンド兄様に次ぐ実力者だとも言われている。
わたしじゃあ――勝てないかも知れない。
「剣が震えてるよ? そうだよね、あなたは弱いんだから」
でも、わたしだって師匠に言われたことをやってきたんだ。
時間がある日は毎日、冒険者に叩きのめされて――じゃない、実戦を知ってる冒険者と何度も戦ってきた。師匠やリュカみたいな、信じられないような実力はなくったって……。
「なあに、その目?」
「これは怖くて震えてるんじゃない」
「はあ?」
「武者震いって言うんだよ」
「……身の程知らず」
マディナがゆっくりと剣を構える。余計な力が入ってない。
同じように剣術を習ったはずなのに、どうしてこんなにわたしだけダメだったんだろう。皆、模擬戦なんてしたことがなかったはずなのに。
「死んだって、知らないから」
「死なないよ」
マディナが動いた。芝を踏んで迫ってきた。上から振り下ろしてくるのを、横から叩いて弾く。すぐにマディナは剣を持ち上げ、切り返してくる。それを自分の剣で抑え込んだけど、肩から強くぶつかられて距離を空けられた。その空いたスペースをマディナの剣が切り裂く。
「っ――」
半身になりながら避けきれた。そのままターンをし、距離を取る。
「生意気!」
逃げれば追ってくる。
避ければ、すぐに切り返してくる。
マディナもそうだった。
わたしを各下に見て、舐めきっているから反撃されることを考えてない。
無造作にマディナが踏み込んできて、剣を振ろうとした。そこを狙って手にした剣を突き込む。喉元へ、考えなしに剣を振ったせいで生じた隙へ。危うくマディナは突きをかわした。けれどそのせいで体勢が崩れる。手を地面へ突こうとしながら斜め前方へ転がり込もうとする。そこへ足を持っていき、蹴り込む。
鈍くて重かった。力が足りなくて蹴り飛ばすには至らなかった。
だけどマディナを確かに蹴った。わたしでもやれたんだ。やれるかも知れない。もう、落ちこぼれなんかじゃない。
「――何ニヤけてるの?」
低いマディナの声がした。
起き上がった彼女がわたしをねめつけてくる。
「もしかして、ちょっとは強くなれたから勝てるんじゃないかとか期待した?」
「っ……」
「あの程度で? 分からないでもないけどね、だってあんたってほんとに無能だったんだから。でもクルセイダーの強みが何か分かってる? 剣? そんなはずないじゃん。体力? あり得ないでしょ? クルセイダーは祈術をどれだけ扱えるかが力の真価なの。忘れちゃった? あっ、忘れたんじゃなくて、考えないようにしてたのか。――だってあなたはロクに祈術も使えない能無しへっぽこクルセイダーだもんね」
嘲笑ったマディナがブーストを使った。目の前から消える。見えなくなった。
かと思ったらいきなり頭に強い衝撃がして吹き飛ばされた。視界がぐるぐる回って、体中を打ちつけながらようやく止まる。かと思ったら、後から激痛が追いかけてきて、痛みの中で地面を蹴り転がされたんだと分かった。
「っ……ぅ……」
「ほら、あなたも祈術を使ってみたら?」
言われなくても。
シャノンの加護を感じる。ブーストに対抗するには、ブーストしかない。
精神集中をして、受けている加護を全身へ染み渡らせる。それを爆発させるようにして――
「遅すぎだって」
ハッとして目を開けるとマディナが無造作に左手を伸ばしてきていた。
振り払おうとしたけどブーストで増強されている力に対抗できずに首を掴まれる。喉を、気管を握り締められ、痛む。圧迫されて呼吸が苦しくなる。
「っ……ぁっ……」
「よくそんなので、クルセイダーだって胸張れるよね。恥ずかしくない?」
頭が白くなってくる。
息ができない。逃げなきゃ。振り払わなきゃ。
「死んだ方がマシって思う?」
右手に持っている剣をマディナが上げ、切っ先をわたしの胸へ狙い定めた。
「わたしはそうした方がいいと思うよ。ね、そう思うでしょ?」
やだ、死にたくない。死ねない。
マディナの瞳に妖しい光が見える。
「だからさ――」
嫌だ。
嫌だ。
嫌だ。
がんばったのに。
負けまくっても、がんばったのに。
初めて1本取れた時、嬉しかったのに。
また次で負けて悔しくて、またがんばって。
それで、そうやってがんばってきたはずなのに。
『結局諦めるのか? 落ちこぼれだって、才能なんかないって、認めて』
師匠の言葉が蘇る。
一国の王で、強くて、ぶっきらぼうで。
そんな人がどうしてあの時、わたしの心を見透かしたかのようなことを言ってきたんだろう。
失敗を知ってた。
認められないことを知ってた。
その悔しさや、自分への嫌悪や、諦観の念が言葉や表情に滲んでた。
ずっと昔のことみたいに遠い目をしていた。
師匠に比べたらわたしのことなんて、ちっぽけなことなのかも知れない。
だけど、師匠はダメだった、って言った。どうして師匠みたいな人が何かの夢を諦められたのか分からないけど、ダメだったんだ。師匠でも。
だから自分でお節介だって言って、あんなに嫌がってたのにまたわたしが師事することを許してくれた。
諦めて、目をつむったら。
そこでマディナに殺される。
諦めきれない。
バカにされたくない。
わたしだってやれるんだって認められたい。
「――死んじゃえ」
「嫌、だっ……!」
冷徹なマディナの瞳に目を射抜かれた。
竦みそうになるのを堪えて、睨み返す。
剣が一息で突き出され、わたしに迫る。
死にたくない、嫌だ、こんなところで死ぬなんて――
「キャッ!?」
紫電がいきなりマディナを真正面から貫いた。
弾かれたようにわたしを放してマディナが離れる。
暖かいものを感じ、胸元をまさぐった。木製のペンダントみたいなお守り。リュカがくれたやつだ。手にすると裏面に何かがはめこまれているのが分かった。小さな赤い宝石。これって、師匠がヤマハミの目から取り出してた赤魔晶と似てるような。
それに、雷だ。
それがマディナをいきなり攻撃した。
じゃあこれは雷神のお守り?
持ってればいいことがあるかも、とか言ってたけど……。でも、わたしはシャノンの信者なのに、どうして雷神のお守りなんかが助けてくれたの?
「っ……何それ? 雷神?」
「……そうだよ。それが何?」
疑問は置いておこう。
マディナがわたしを警戒している。
これはアドバンテージだ。祈術もちゃんと扱えないわたしだけど、また雷神のお守りが発動してくれるかも知れない。マディナにとっても脅威になるはずだから、偶然だとか気取られないようにして虚勢を張るんだ。
「恥知らず」
「……恥知らずはそっちでしょ。師匠の記憶をいじくっておいて、恋人になろうとしてさ。あつかましいし、あさましい。もしも師匠がマディナにやさしくすることがあったって、そんなの元々師匠にも小指の爪くらいのやさしさがあるだけだよ。マディナは勘違いしてるだけでしょ?」
「は?」
「正攻法じゃどうにもならないからって卑怯な手段で気を惹こうとしてるだけなんでしょって言ってるの」
「やっぱり、大っ嫌いよあんたなんか!!」
ブースト。体を引いて剣を握り直したのと、ほぼ同時にマディナはすでに剣を振るっていた。避けられない。そう思ったが、また雷神のお守りから紫電が放たれた。マディナが僅かに硬直する。
「どう、してっ、あんたなんかに――!」
「やぁあああああああっ!!」
剣を肩口から、一気に振り下ろした。
力一杯にマディナを切る。斜めにマディナの体を切り裂いた。血の雫が剣に着いて、振り切ったのと同時に地面へばら撒かれた。マディナが倒れていく。
勝てた。
やった。
ブーストをかけてるから、マディナも死にはしない。
だけどこれだけ深い傷を与えれば、いくらマディナだって――
「何してやがんだよ、お前?」
師匠の声がした。
でも背筋がゾクッと冷たくなった。
赤い炎が目の前へ飛び込んできて、飲み込まれた。




