気になるあの娘は
「おやー? 無能くんはまた、魔法が使えないからサボりかな?」
フォーシェ先生の研究所へ行くのもも都合6度目、といった時に教室を出ようとした俺にまた突っかかるバカがいた。いい加減に辟易としてくる。
「はいはいそーですよ」
「短い足で階段を転げ落ちないようにな」
うざったく言いながら、そいつは俺の両肩を強めに掴んで教室から押し出した。ボコろうかとも思ったが、こらえて歩いていく。
学年が上がれば同じクラスであっても、全員が同じ授業を受けるのではなく個人での選択の余地が出てくるらしいのだが、初年度は見事に全員同じだ。朝から晩まで。
そんな中で俺だけ授業を抜け出していくのは、バカどもの目には落ちこぼれて居場所がなくなっている――みたいに見えているのかも知れない。魔法が使えるようになったら見てやがれ、魔法で完封してやるぞ。そんなことを言うのは、よしておく。まだ、フォーシェ先生のところに通っている成果はさっぱり見えていない。
学院内は階段が全体の3割を占めているんじゃないかと思うほど階段が多い。なだらかに、一段ごとが低めになっているところもあれば、大きく足を上げないといけないようなところもある。
もう慣れたもんではあるが、面倒臭いことには変わらない。少し早足に階段を降りながら研究室へ向かう。下の階層へ来ると、がらっと行き交う学生の制服が変わる。山の中腹部分は騎士養成科、魔法士養成科を問わぬ、共用空間だが、そこから下ると魔法士科のテリトリーだ。騎士養成科と違って、こちらはくだらないことをしている人間がそう多くはないのだが、それでも貴族出身者は多いから、たまにいびられているやつを見かける。
今日は、見当たらない。
ああいうのは基本的に胸くそが悪くなるから、さり気なく乱入してやめさせたりもしている。タイムロスは食いたくないから良かった。
フォーシェ先生の研究室に行く途中の、一番段差の大きな階段へ差し掛かる。ちゃちゃっと降りようとまた足を早めた時、急に追い風を感じた。まさしく、突然に煽られたかのような。
「う、おおっ……!?」
バランスを崩す。下の踊り場に女の子がいた。魔法士科の子だろう。
俺が転げ落ちそうになったのを見て、彼女が持っていた教科書のような本やらを落として腕を広げる。いや、抱きとめようとしてくれんのはいいけど――
けっこうな衝撃を持ってぶつかった。
だが幸い、その女の子に受け止めてもらえた。尻餅をつかせてしまったが。
「いってて……ごめん、だいじょーぶ?」
「ううん、大丈夫だよ。あなたもケガはない?」
顔を上げながら尋ねると、向こうからも心配された。
と、変な、違和感。初めて見る子に違いないのに、どことなく見覚えがあるような、ないような。向こうは気づいていないようで、俺を立たせるとズボンの膝のところについた汚れを手で叩いて落とそうとしてくれた。
「だいじょうぶだから、こんくらい」
「そう? 気をつけてね」
「うん」
「あっ、授業っ……! 気をつけてね!」
思い出したように女の子が落としていた荷物を慌てて拾い上げ、階段を駆け上がっていく。
俺もフォーシェ先生の研究室へ行こうとし、床に本が1冊落ちているのを見た。あの子の忘れ物だ。
「あ、ちょっと……って、あれ、どこいった?」
拾い上げて階段を見上げたが、もう見えなくなっていた。けっこう入り組んでいるから、見失えば一瞬だ。授業開始を告げる鐘がそこで鳴ってしまい、落とし物を拾って研究室へ向かった。
フォーシェ先生が何をしているのかは分からない。
だが、すぐに解決策を提示して、それを実践という方針ではないらしい。研究室へ行くと、毎回、何かしらの検査めいたことを受ける。今日もその例に漏れない。
「フォーシェせんせー」
「はい、何ですか?」
「さっきさ、ぶつかっちゃったまほうしかのおんなのこが、これおとしちゃったんだけど」
暇だから椅子でくるくる回っていたら、思い出してそれを出した。書き物の手を止め、フォーシェ先生が振り返る。
「ああ……これ、1年生の教科書ね。どんな子だったの?」
「んーと……ちゃぱつで、かみのけは、こんくらいで……」
「……まあ、いいわ。わたしの方で探して届けておいてあげる」
「よろしく。まだ、まほうつかえないの?」
「ごめんなさい、今の内に色々とデータを集めておきたいのよ。もうちょっとつき合ってちょうだい」
「……へーい」
「あら……?」
「ん?」
「ちょっと、肩を見せて」
不意に、言われた。お辞儀するようにして肩を見せると、フォーシェ先生の手がそこに触れる。
「どったの?」
「……風に、吹かれなかった?」
「かぜ? ……あー、そういえば、さっき……。なんだったんだろ」
「……誰かの悪戯かしら? あなたの両肩に、突風の魔法紋が貼られてたわ」
教室を出る時のことを思い出す。
……あの時か。背中をバシッと叩きながら、バカとかアホとか書いた紙を貼りつけるのと同じ手法か。どこの世界でもバカげたことを考えるやつはいるもんだな。
「あんにゃろうっ……! ボコすっ!」
「こら、暴力はいけません」
「けっとーするからへーき、へーき」
「でもこのくらいになると、騎士養成科でも危険な魔法を教わったりするはずよ?」
「そうなの?」
そういや、最近は堂々と決闘って形でボコることはなくなってるな。
嫌がらせも魔法にシフトしてきてるし。あのバカどもは魔法で習ったもんを俺への嫌がらせで復習してるってか?
「……どーりでうぜーとおもったら……」
「言葉遣いも悪いわよ。騎士ならちゃんと、丁寧な言葉を使いなさい」
「……はーい」
「でも大変ね……。やっかみがられているんでしょう? 騎士養成科の子って、貴族の子ばかりだし、学院としても手を入れにくいのよね……」
「くだらないことするやつなんざ、どーせくだらねーことしかできないんだからいいんだよ」
「あなたのことよ」
「おれはつよいからだいじょーぶいっ」
ピースサインをして見せると、ため息混じりにフォーシェ先生が俺の肩から取った紙を握りつぶして焼いた。
何か反応してくれないとピースを下げるタイミングがなくなっちゃうじゃないか。舌打ちしてから手を下ろした。
また暇になって研究室を眺める。特別、物珍しいものはなくなった。見飽きたと言っても良い。ちょっと座らされていた椅子を立ち、研究室内を見て回ると、鏡があった。手鏡サイズの、楕円形のものだ。
まじまじと、レオンハルトとしての俺の顔を見る。
これまで身近に鏡がなかったからよく分からなかったが、こうして見ると……顔つきが幼いはずなのに、そこはかとなく生意気そうな顔だ。中身が顔に表れはじめてるのか? あんまり良い感じじゃないぞ、これは。スマイルの練習。口角を指でぐいっと持ち上げて、歯を見せて笑ってみる。
「…………こうしてみると、いいかおしてやがるな」
「ふふっ、自分の顔に何を言っているの?」
「だってかがみとか、みたことなかったもーん」
ちょっとだけ懐かしい顔だ。まだ二次性徴もきていないからだろうが、顔立ちも可愛らしい。
だけど髪の毛は母ちゃんとも、ミシェーラ姉ちゃんとも違っている。黒髪だ。そう言えばもう半年近く切ってねえのか。長くなってうっとうしくなると、ついじいさんと一緒にいたころのように結んじゃうからポニーテールみたいになりつつある。ま、悪くはない。悪くはないが、子どもっぽい髪型とは言えない。
ふと、鏡で見ている俺の顔が、さっきぶつかった女の子とだぶる。
はてなと思って、自分の顔を見つめてみる。そうだ、ミシェーラ姉ちゃんに何となく顔つきが似てる。でもって、さっきの女の子も、どことなく――あれ? あれ?
そういえばミシェーラ姉ちゃんって、俺が生まれた時にいくつだった。7歳だか、8歳だか、丁度、今の俺よりほんの少しだけ上くらいだったはずだ。あれから6年が経っている。
となると、今は13歳か、14歳。俺の生家は貴族だった。騎士魔導学院には貴族の子弟のほとんどが入学する。ミシェーラ姉ちゃんは得意そうに、火の玉で、俺にお手玉を披露してくれていた。あれがどれくらいすごいかは分からないが、魔法が得意だったのかも知れない。
さっきの、あの子は――ミシェーラ姉ちゃんだったかも知れない?
「…………うそだろ、おい……」
「どうかしたの、レオンハルトくん」
「……せんせいさ、ミシェーラっておんなのこ、しってる? まほうしよーせーかの」
「ミシェーラ? ……どうかしら、わたしの教えてる子にはいないけど」
「うーん……」
「お知り合いなの?」
「いや……わかんないけど……。まあいいや、わすれて」
そうだ、仮にそうだったとしても何と言えばいい。
ミシェーラ姉ちゃんだよな、って声をかけるのか? 別れた時、俺は赤ん坊だった。普通に考えて、その時の記憶なんかない。向こうだって、もう6年も経ってて忘れていることも考えられる。
まして、俺は恐らくパパンに捨てられた身だ。
探しもしていなかったんだから、そうなっていた方が都合が良いとも判断された可能性も高い。それを今さら蒸し返したところで――。
「……………」
なんて思うのは、ロックじゃねえ。それでも。
いつか、あの家へ帰れたらとは思っていたが、いざ目の前に出てくるとなると――いまいち、出ていきづらい。草陰から、一目くらいあの家を見られたら。そのくらいで、いいのかも知れない。
「レオンハルトくん――」
「せんせー、レオンってよんでいーよ」
「いきなりどうしたの?」
「いいから、いいから。もしくはレヴェルトでよろしく」
ダメなやつだな、俺は。




