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ノーリグレット!  作者: 田中一義
#29 ヴラスウォーレン帝国
316/522

会いたかった





「ねえママ」

「ん、何よ?」


 トト島玄関港の物資搬出管理所。ここがあたしの職場だったけれど、仕事量が増えたのに応じて5人ほど、人員が増えた。一応、あたしが最初にやっていたところだから――と何故かここのボスに担ぎ上げられている。楽ができるから良いけれど。


 ビーチェは人員が増えたのに伴い、あたしと同じ仕事をするようになった。主にビーチェへ振っているのは人の出入りの管理。まだあまり観光客を始めとした、人の出入りがそう多くないから楽なところと言える。



「今日の便で、4人来たんだけどね……」

「ええ」

「入国理由が、ひとり、おかしいの」

「おかしいって?」

「ほらこれ、見て」


 パピルス紙の帳簿をビーチェが見せてきた。

 名前と、年齢と、どこからやって来たのか、そして訪問理由が書かれている。ビーチェが指差して示したのは今日やって来たという人の、4人目だった。



 名前が、ボリス。年齢42歳。

 ディオニスメリア王国から、ヴェッカースターム大陸ダイアンシア・ポート経由で来たと書かれている。


 訪問理由が――人探し。



「これっ……」

「ママ、知ってる人?」

「……え、ええ。今、どこにいるか分かる?」

「それは知らないけど……」

「いいわ。これは、あたしがやるから。ちょっと出てくるから、留守お願いね、ビーチェ」



 ボリスが来た。やって来てしまった。

 2年前に苦役を終えたはずだ。いつ来るのだろうと、期待半分、恐怖半分で、ずっとこの時を待っていたような、来ないでくれと願っていたような、複雑な気持ちでいた。


 彼はわたしとともに捕まったのに、自分だけが苦役を受けさせられたことをどう思っているのだろう。

 復讐のために来たんだろうか、それとも――。



 管理所を飛び出し、トト島玄関港近くの観光客向けの小さな町へ走った。

 まだきちんと観光用として整えられていないが、いずれはここがエンセーラム王国の玄関になる構想らしい。数は少ないが宿屋があり、土産物屋もある。


 2軒しかない宿を回り、その2軒目でボリスが宿泊していることを突き止めた。宿屋だけでは生計を立てられるはずもなく、ここの旦那は漁をしている。



「ねえ、このボリスっていう客、今いる?」

「荷物を置いたらふらっと行ったわよ? どうかしたの? もしかして、悪い人……?」

「そうじゃないんだけど、イカつかったでしょ?」

「そりゃもう、ありゃ、王様くらいに見た目だけは威圧感あったねえ」


 女将の言葉で確信する。偶然でなく、やはりあのボリスだ。

 どこへ行ったかと尋ねたが分からないようだった。宿を出て、聞き込みながらボリスの足取りを追う。



 すぐに、ボリスは見つかった。

 やはりあの大きな体と、目の傷は目立つのだ。


 彼は波打ち際で、ズボンのポケットに両手を突っ込んで海を眺めていた。


 あたしがその姿を見つけて歩いていくと、鋭く振り返ってきた。昔から、彼の鼻と耳をごまかせた試しがない。

 久々に見る。思っていたよりも若く見えた。逞しい体も昔のまま、手入れせずにぼさぼさの尻尾も。だが、どことなく顔つきには会えなかっただけの時間を感じさせる、月日に刻まれたものを感じられた。



「ボリス……」

「ベニータ」


 潮風が吹いた。

 再会した時に安堵するのだろうかと、考えたことがある。怖がるのかと考えたこともある。


 だが、そういった感情はなかった。



「探したぞ」

「……ちゃんと手紙は書いたはずよ」

「文字なんか俺は読めない」

「そう言えば、そうだったわね……。ちょっとしか、あんたは読めなかったし、書くのはさっぱりだった」


 ボリスがくしゃくしゃの紙切れを取り出した。あたしが書いた手紙だった。


「結局……人に読ませた。去年だ」

「そう」

「ダイアンシア・ポートまで密航した。あんなところに行くだけの金なんて用意できなかった」

「ちゃんと手紙の内容聞かせてもらえたの?」

「だがそれだけだ、もうしてない」

「もうって……そういうことじゃないでしょ、分からない?」

「お前を捜した。そうしたら、ここにいると知った」

「ダイアンシア・ポートからトト島までの船賃はどうしたのよ?」

「…………」

「言いなさいよ。また、あんた、何か――」

「4ヶ月、ダイアンシア・ポートで働いた」


 働いた?

 人から奪うことでしか、何かを得る方法を知らなかったボリスが?


「何をして?」

「……スパイス農場とかいうのの、人夫をやった。

 毎日、つまんねえ仕事をさせられた。暑いとこで、太陽に焼かれながら、草に水をまいて、よく分かんねえのを積んだ。積んだのをまとめて、運んで、また畑に出て……その繰り返しだった」

「そう……。どうしてそこまでして、来たのよ? あんたには似合わないでしょ?」

「ああ、俺には似合わねえことしたさ。だが……お前に、会いたかった」



 見た目は、あまり変わったようには思えなかった。

 けれど決定的に変わっていることが見えた。


 昔、いつもあの目に滾っていた光がない。

 ボリスはあまり自分のことを語ろうとはしなかったけれど、生まれも育ちも良くはなかった。冒険者しかやることがなかった、と言っていた。それでも冒険心に駆られてディオニスメリアへ来て、獣人族だからという理由でいわれなき迫害を受けたと――片言節句から知った。


 その扱いに耐えきれず、ボリスは悪事で楽に金を稼ぐことにした。


 彼の瞳には、何か鬱屈したものがあったと思える。

 それを燃料にして、激烈にボリスは生きていた。あたしはその熱に惹かれていた――と思う。



「どうして、あたしなんかに会いたくなったのよ?

 あんたと違って……あたしは、苦役に就かせられることもなく釈放された。恨めしいんじゃないの? 自分だけ、キツい労働をさせられて……」

「そうだったのか?」

「は? 知らなかったの?」

「俺のいたとこに女はいなかった。別のとこで似たようなことさせられてるかと思ってた」

「……そ、そう。でも、恨めしいでしょ?」

「何故だ?」

「は? だって……あんただけ――」

「会いたくなったのに、理由なんかない」

「そう……」

「……ベニータ」

「何?」

「お前も、変わったな」

「そうね……。もう、あんたに教わったようなことは、ぜーんぶ、何もかも、忘れることにして、やってないわ」

「そうか……」


 会話が途切れた。ボリスが海をまた振り返った。

 もう、怖がる気持ちはなかった。彼の横へ立って、海を眺める。



「いい島なのよ、ここ。

 平和で、おだやかで、仕事だってあるし、人間族だけじゃなくて、獣人族も、魔人だっている。国として興されたばかりで、その王は――けっこう変わり者だけど、まあ……いいやつよ」

「お前がそうなったのは、ここのせいか?」

「違うわよ……。あたしだって、ここ来てまだ3年。

 あたしと会えて、これからどうするのよ?」

「どっかへ行く……」

「行くの?」

「……ああ」


 本当に、会いに来ただけ――。

 確かにここの暮らしは平和だけど、ボリスには合わないかも知れない。



「……達者で暮らしなさいよ。悪いことしないで」

「ああ……」


 返事が、何だか覇気がない。

 滾っていたものはすっかり消え去り、何だか今のボリスは抜け殻のように見える。


 どれだけの重労働を課されてきたんだろう。

 その間にあの剥き出しだった牙が丸まり、常に逆立っていた毛が寝たのか。



「ベニータ」

「何よ?」

「お前も変わったが……」

「ん?」

「綺麗なのは、変わらないな」

「…………バカ」



 軽く膝蹴りを太腿へ入れてやったが、ビクともしなかった。

 ボリスが振り返り、まだまだ今は小さな町の方へ歩いていく。



「ボリスっ」


 その背中へ声をかけたが、歩みは止まらなかった。


 バカ。

 あたしもバカだけど、あいつも、バカ。



「どこ行こうってのよ、あんたみたいのがひとりでぷらぷらしてたって、またロクでもないことしかしないのよ!」


 振り返ったボリスが耳を立てている。


「ずっと待ってたんだから、ずっといなさいよね!

 仕事だってこの島で見つけてあげるし、あんたの好きなもん作って食べさせてあげるわ!

 それに……あんたの娘が、ずっと、獣人見かける度に、あの獣人とパパとどっちが格好いい、ってうるさかったんだから! いい加減、カッコいい父親として娘に顔見してやんなさい」

「……俺の、娘?」

「あたしと、あんたの、娘」

「何だそれは?」

「あんたによく似た耳と尻尾よ、一目見れば分かるから……一緒に暮らしましょ?」



 ボリスが、島にやって来た。

 ビーチェはボリスを父親として見ると、すぐに飛びついて鼻を鳴らして匂いを嗅いでいた。


 ボリスが、家族になった。

 ビーチェはボリスのことを、何も知らずにこう称した。



「想像してたより、ずっとずっと、ずぅー……っと、パパの方がカッコ良かった!」



 ボリスが、泣いた。

 あたしの見た初めての、ボリスの泣き顔だった。



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