会いたかった
「ねえママ」
「ん、何よ?」
トト島玄関港の物資搬出管理所。ここがあたしの職場だったけれど、仕事量が増えたのに応じて5人ほど、人員が増えた。一応、あたしが最初にやっていたところだから――と何故かここのボスに担ぎ上げられている。楽ができるから良いけれど。
ビーチェは人員が増えたのに伴い、あたしと同じ仕事をするようになった。主にビーチェへ振っているのは人の出入りの管理。まだあまり観光客を始めとした、人の出入りがそう多くないから楽なところと言える。
「今日の便で、4人来たんだけどね……」
「ええ」
「入国理由が、ひとり、おかしいの」
「おかしいって?」
「ほらこれ、見て」
パピルス紙の帳簿をビーチェが見せてきた。
名前と、年齢と、どこからやって来たのか、そして訪問理由が書かれている。ビーチェが指差して示したのは今日やって来たという人の、4人目だった。
名前が、ボリス。年齢42歳。
ディオニスメリア王国から、ヴェッカースターム大陸ダイアンシア・ポート経由で来たと書かれている。
訪問理由が――人探し。
「これっ……」
「ママ、知ってる人?」
「……え、ええ。今、どこにいるか分かる?」
「それは知らないけど……」
「いいわ。これは、あたしがやるから。ちょっと出てくるから、留守お願いね、ビーチェ」
ボリスが来た。やって来てしまった。
2年前に苦役を終えたはずだ。いつ来るのだろうと、期待半分、恐怖半分で、ずっとこの時を待っていたような、来ないでくれと願っていたような、複雑な気持ちでいた。
彼はわたしとともに捕まったのに、自分だけが苦役を受けさせられたことをどう思っているのだろう。
復讐のために来たんだろうか、それとも――。
管理所を飛び出し、トト島玄関港近くの観光客向けの小さな町へ走った。
まだきちんと観光用として整えられていないが、いずれはここがエンセーラム王国の玄関になる構想らしい。数は少ないが宿屋があり、土産物屋もある。
2軒しかない宿を回り、その2軒目でボリスが宿泊していることを突き止めた。宿屋だけでは生計を立てられるはずもなく、ここの旦那は漁をしている。
「ねえ、このボリスっていう客、今いる?」
「荷物を置いたらふらっと行ったわよ? どうかしたの? もしかして、悪い人……?」
「そうじゃないんだけど、イカつかったでしょ?」
「そりゃもう、ありゃ、王様くらいに見た目だけは威圧感あったねえ」
女将の言葉で確信する。偶然でなく、やはりあのボリスだ。
どこへ行ったかと尋ねたが分からないようだった。宿を出て、聞き込みながらボリスの足取りを追う。
すぐに、ボリスは見つかった。
やはりあの大きな体と、目の傷は目立つのだ。
彼は波打ち際で、ズボンのポケットに両手を突っ込んで海を眺めていた。
あたしがその姿を見つけて歩いていくと、鋭く振り返ってきた。昔から、彼の鼻と耳をごまかせた試しがない。
久々に見る。思っていたよりも若く見えた。逞しい体も昔のまま、手入れせずにぼさぼさの尻尾も。だが、どことなく顔つきには会えなかっただけの時間を感じさせる、月日に刻まれたものを感じられた。
「ボリス……」
「ベニータ」
潮風が吹いた。
再会した時に安堵するのだろうかと、考えたことがある。怖がるのかと考えたこともある。
だが、そういった感情はなかった。
「探したぞ」
「……ちゃんと手紙は書いたはずよ」
「文字なんか俺は読めない」
「そう言えば、そうだったわね……。ちょっとしか、あんたは読めなかったし、書くのはさっぱりだった」
ボリスがくしゃくしゃの紙切れを取り出した。あたしが書いた手紙だった。
「結局……人に読ませた。去年だ」
「そう」
「ダイアンシア・ポートまで密航した。あんなところに行くだけの金なんて用意できなかった」
「ちゃんと手紙の内容聞かせてもらえたの?」
「だがそれだけだ、もうしてない」
「もうって……そういうことじゃないでしょ、分からない?」
「お前を捜した。そうしたら、ここにいると知った」
「ダイアンシア・ポートからトト島までの船賃はどうしたのよ?」
「…………」
「言いなさいよ。また、あんた、何か――」
「4ヶ月、ダイアンシア・ポートで働いた」
働いた?
人から奪うことでしか、何かを得る方法を知らなかったボリスが?
「何をして?」
「……スパイス農場とかいうのの、人夫をやった。
毎日、つまんねえ仕事をさせられた。暑いとこで、太陽に焼かれながら、草に水をまいて、よく分かんねえのを積んだ。積んだのをまとめて、運んで、また畑に出て……その繰り返しだった」
「そう……。どうしてそこまでして、来たのよ? あんたには似合わないでしょ?」
「ああ、俺には似合わねえことしたさ。だが……お前に、会いたかった」
見た目は、あまり変わったようには思えなかった。
けれど決定的に変わっていることが見えた。
昔、いつもあの目に滾っていた光がない。
ボリスはあまり自分のことを語ろうとはしなかったけれど、生まれも育ちも良くはなかった。冒険者しかやることがなかった、と言っていた。それでも冒険心に駆られてディオニスメリアへ来て、獣人族だからという理由でいわれなき迫害を受けたと――片言節句から知った。
その扱いに耐えきれず、ボリスは悪事で楽に金を稼ぐことにした。
彼の瞳には、何か鬱屈したものがあったと思える。
それを燃料にして、激烈にボリスは生きていた。あたしはその熱に惹かれていた――と思う。
「どうして、あたしなんかに会いたくなったのよ?
あんたと違って……あたしは、苦役に就かせられることもなく釈放された。恨めしいんじゃないの? 自分だけ、キツい労働をさせられて……」
「そうだったのか?」
「は? 知らなかったの?」
「俺のいたとこに女はいなかった。別のとこで似たようなことさせられてるかと思ってた」
「……そ、そう。でも、恨めしいでしょ?」
「何故だ?」
「は? だって……あんただけ――」
「会いたくなったのに、理由なんかない」
「そう……」
「……ベニータ」
「何?」
「お前も、変わったな」
「そうね……。もう、あんたに教わったようなことは、ぜーんぶ、何もかも、忘れることにして、やってないわ」
「そうか……」
会話が途切れた。ボリスが海をまた振り返った。
もう、怖がる気持ちはなかった。彼の横へ立って、海を眺める。
「いい島なのよ、ここ。
平和で、おだやかで、仕事だってあるし、人間族だけじゃなくて、獣人族も、魔人だっている。国として興されたばかりで、その王は――けっこう変わり者だけど、まあ……いいやつよ」
「お前がそうなったのは、ここのせいか?」
「違うわよ……。あたしだって、ここ来てまだ3年。
あたしと会えて、これからどうするのよ?」
「どっかへ行く……」
「行くの?」
「……ああ」
本当に、会いに来ただけ――。
確かにここの暮らしは平和だけど、ボリスには合わないかも知れない。
「……達者で暮らしなさいよ。悪いことしないで」
「ああ……」
返事が、何だか覇気がない。
滾っていたものはすっかり消え去り、何だか今のボリスは抜け殻のように見える。
どれだけの重労働を課されてきたんだろう。
その間にあの剥き出しだった牙が丸まり、常に逆立っていた毛が寝たのか。
「ベニータ」
「何よ?」
「お前も変わったが……」
「ん?」
「綺麗なのは、変わらないな」
「…………バカ」
軽く膝蹴りを太腿へ入れてやったが、ビクともしなかった。
ボリスが振り返り、まだまだ今は小さな町の方へ歩いていく。
「ボリスっ」
その背中へ声をかけたが、歩みは止まらなかった。
バカ。
あたしもバカだけど、あいつも、バカ。
「どこ行こうってのよ、あんたみたいのがひとりでぷらぷらしてたって、またロクでもないことしかしないのよ!」
振り返ったボリスが耳を立てている。
「ずっと待ってたんだから、ずっといなさいよね!
仕事だってこの島で見つけてあげるし、あんたの好きなもん作って食べさせてあげるわ!
それに……あんたの娘が、ずっと、獣人見かける度に、あの獣人とパパとどっちが格好いい、ってうるさかったんだから! いい加減、カッコいい父親として娘に顔見してやんなさい」
「……俺の、娘?」
「あたしと、あんたの、娘」
「何だそれは?」
「あんたによく似た耳と尻尾よ、一目見れば分かるから……一緒に暮らしましょ?」
ボリスが、島にやって来た。
ビーチェはボリスを父親として見ると、すぐに飛びついて鼻を鳴らして匂いを嗅いでいた。
ボリスが、家族になった。
ビーチェはボリスのことを、何も知らずにこう称した。
「想像してたより、ずっとずっと、ずぅー……っと、パパの方がカッコ良かった!」
ボリスが、泣いた。
あたしの見た初めての、ボリスの泣き顔だった。




