俺はムリだった
『本当にあっちがいいの? それとも頭が弱い女の方が好み……?』
『違わい、ボケが。何か性に合わねえんだよ、教会ってのは』
『どうして?』
『俺はシャノン教徒じゃねえけど、愛と清貧が教えじゃねえのかよ? あれのどこが、清貧なんだ?』
『あら、お分かりにならない? あれは敬虔な信者の献金の賜物なの。いわば、愛の結晶よ』
『話にならねえ』
荷物を持って教会を出ていこうとしたらマディナに呼び止められ、そんな会話をした。
愛は性愛、清貧は無償の奉仕。
そういう風に解釈をしているようにしか思えない口ぶりだった。そして、それによって生じた恩恵を搾取しているのがクルセイダー。そんな図式が浮かび上がった。
つまり、金と性欲というものに教会が支配されている。
性病にでもかかって全員苦しめとでも言ってやろうかとも思った。女神様がついてるんなら、そんなもんで死ぬこともねえだろうと。
それにどうも、小娘への態度も気に食わなかった。
ちゃんと払うもんを払ってもらえたから、泊まりもせずにとっととおさらばをしても良かったが――何だかんだでここへ来るまでずっと一緒にいたんだ。調子の良かった小娘が、ころころと坂道を転げ落ちていくように元気をなくしていってるのを見てきた。
その状態でこんなとこに残してさよならバイバイと立ち去るのは――ちょいと気がかりだ。
睨んだ通りに、マディナは孤児院には来ようとしなかった。選民思想が働いて、孤児院なんかには立ち入るつもりがないと見下しているのかも知れない。
対照的に小娘は孤児院こそが自分の居場所とばかりに子どもらにも慕われ、マディナとシジスモンドに挟まれていた時に沈痛だった顔をほころばせていた。
夜になり、子どもが寝静まった。孤児院には子どもを世話する女性が何人かいて、彼女達からは厳かに腐った臭いは感じなかった。普通に心優しい、普通に想像する女神シャノンの信者――といった具合だ。
小娘は彼女達に明るく振る舞いながら、嘘八百としか思えない武勇伝を語っていた。ヤマハミと出くわして颯爽と戦い勝利した、だとか。俺のやったことだろうに。口は挟まないでおいた。
が、やっぱりまだまだ小娘で、やがて眠くなって船を漕ぐようになっていた。
そのタイミングで話を切り上げていたので、俺が声をかけて裏庭へ小娘を連れ出す。
「何?」
「俺は金ももらったし、明日にゃ行く」
「……うん。一応、お礼だけ……言っといてあげる。ありがと」
「どういたしまして」
義理なんてこいつにはないが、昼間の表情や、俺に弟子入りしたいと詰め寄ってきていた時のことを思い出してしまう。
何とか大司教の力になりたいだとか言ってたっけか。けど、それはただの手段じゃねえかと思っている。
多分こいつは、クルセイダーになったことは誇りに思っているんだろう。
だがそれに見合うだけのものが身につけられなかった。その結果、マディナのようなやつにはあからさまに見下されて、シジスモンドには当てつけのように大金を俺に支払うところを見せつけられた。
この小娘は認められたいんだろう。
同じクルセイダーの連中に、自分は落ちこぼれじゃないんだと。
そうでもしないと心が押し潰され、惨めになるだけだから。
ちょっと懐かしい想いとともに、俺も胸がチクリと痛む。
レオンハルトとして20年が過ぎたが、その前は似たようなもんだった。どれだけオーディションへ行ってもダメだった。どれだけライブをしてもダメだった。何がダメなのかも分からないで、ただ必死になってバイトをして、バンド活動をして、ひもじい思いをしながら足掻いていた。
もう先がないと何度も思いながら――ずっと、暮らしてきた。たまに起きる、その場限りの楽しいことだけに救われながら、でも一歩も進めぬまま時間に取り残されていくような焦燥感を抱いていた。
どうせ俺なんて、と何度も思った。
とっとと諦めて早めにまっとうな働き口を探した方がいいとも思った。
でもそうすることは最後までできなかった。
諦めた最後、それまでの努力を全て裏切ることになると思うと、それが悔しくて余計に意固地になったものだ。
どこかのタイミングで認められるんじゃないか。
それまでの苦労が、陰惨な気持ちが報われて、眩しいスポットライトに照らされるんじゃないか。
そういう夢想に耽りつつ、結局、死んだのだ。
それで今でも――俺はどっかでそういう夢を捨てきれないから、旅には必要のないリュートを持ち歩いている。
「お前……この後はどうするんだ?」
「……何が?」
「辞めちまえって、言ったろ。クルセイダーなんぞ」
「…………」
「結局諦めるのか? 落ちこぼれだって、才能なんかないって、認めて」
小娘は黙して拳を握った。
「……どうにも、ならないもん」
「じゃあ諦めるんだな」
「…………」
「諦めきれるんだな?」
「くどい」
「俺はムリだった」
「は?」
「夢って……叶わないんだよなあ、なかなか。難しいってことが、追いかけてる時間の分だけ身に染みて分かるのに、それでも諦められなかった。だってよくよく周りを見りゃあ、直接は知らなくたって、似たような夢を叶えてた連中がごろごろといるんだ。俺だって、って思わない方がおかしいだろ」
でも、まあ、ダメだったけど。
「何をしたって強くなって、認められたいんだろ?」
「…………」
「諦めるんなら、そうしろよ。でも俺、何かお前に親近感あるから、お節介だ。
今度こそ諦めないで、絶対にそうなるんだって信じられるんなら、面倒見てやるよ。
お前が弱音吐こうが、血反吐吐こうが、泣きつこうが、今度は途中で辞めさせたりもしねえ。
明日の朝になったら行くから、それまでに考えとけよ。一生、その挫折を抱えて、ことあるごとに思い出しながら、虐げられるまま死んでくか、見下してきてた連中の鼻を開かしてやるか。
自分の生き方だ、責任持って選べ。どうしようが俺はいいし、もう二度とこんなお節介も言ったりしねえから。
そんだけ。おやすみ」
あてがわれた部屋へ戻った。
あの小娘は何をどう選ぶのかね。見るに耐えなくて、ついついお人好しを発揮しちゃったけども――無碍にされなきゃあいいな。
承認欲求。
自分を見ろと、認めろと、そう思っちゃう気持ち。
でも悪いもんじゃない。そういうことを考えちまうように人はできてるんだ。あんまり酷いのはちょっと見苦しくもなるけど、誰彼、ちょいとは持ってるはずだ。ただ喚き散らして注目を得ようとするんじゃなく、汗水垂らして必死になって身につけたもんで認めさせたいってんならそれほど尊いものもない。
他人を蹴落とさず、自分で登り詰める。
何だってそうして突き詰めたものは良いもののはずだ。
けども。
体感的に50歳手前にして、青臭すぎるかね。
まあ、仕方ないよなあ。
まだまだ体は若いんだから、若気の至りってことにしてもらおう。
――翌朝になり、朝食だと呼ばれて食堂へ行ったらざわついていた。
子どもらが小娘の周りに群がっている。一体何だと思い、すぐに分かった。長かった髪を、ざっくりと小娘が切っていたのだ。
食堂へやって来た俺を見て、小娘が見てきた。
「……昨日の話だけど、お願い、することにしたから」
「失恋でもしたか、その髪?」
「違うよ! これは、その……」
「冗談だって。へいへい、分かりましたよ。――泣こうが喚こうが容赦しねえぞ?」
「望むところよ。だから、ちゃんと……指導してよ。し……師匠!」
「……あいよ」
やっぱ、これくらい跳ねっ返りがないとダメだな。
でもどういう風に教えてやりゃあいいんだか。とりあえず――また、冒険者の酒代稼ぎの標的になってもらうかな。




