穴空きレオンと愉快な領主
「こちらは殺しはせん。だが、そちらは殺しにくるつもりでかかってくるが良い」
レヴェルト邸の裏――山の裾野のような庭で俺とファビオが向き合う。
ファビオが手にするのは木を削り出したような剣。俺は銛を肩に担ぐように持っている。
「第三者を巻き込まずに1対1で戦うということのみを守れば、いかなる手段を用いてもいい。
魔法だろうと、急所への攻撃だろうと許可しよう。理解したか」
「オーケー、サシならなんでもありってやつな」
「飲み込みは早いようだ。開始の合図はオルトヴィーン様にたまわる」
ファビオが剣を構えた。俺も銛を両手で持つ。
じいさん以来だな、この緊張感は。剣を構えたファビオからはピリピリしたのを感じる。
煮ても焼いても食えそうにないオルトヴィーンがいつも引き連れてるくらいだ。エルフで珍しいから、なんて理由で従えているわけでもないだろう。
「じゃあ、始めなさい」
何とも気の抜ける開始の合図。
しょっぱなから全力で、魔鎧を発動して飛び出した。
銛を斜め下から弧を描くように振り上げる。しかしファビオのルビーのような瞳はそれを見ていた。銛のリーチの外へ跳びずさって避けられる。さらにもう一歩を踏み出しながら銛を返して振るいにかかるが、目の前にイチゴみたいな――火があった。
「うおおっ!?」
それが膨らんだかと思うと、めちゃくちゃな炎になって爆ぜた。
一瞬で空気が乾燥する。とんでもない熱にさらされたが魔鎧のお陰で感じたのは一瞬だった。
それでも初めて見る魔法だ。火の魔法を見るのは初めてじゃないし、メジャーだ。だけど、こんな威力で、こうも危ない使い方をされるのは初めてだ。
「っぶねえな――」
「魔法戦は初めてか?」
声がしたかと思うと背中の――脇腹の辺りに衝撃を感じて吹き飛ばされた。
蹴られた。芝の上を転がり、起き上がろうとして手をつくと、その地面の上に何かもやのような影が落ちているのを見る。
ハッとして上を見る水のボールが浮かんでいて、大量の水が俺めがけて落ちてくる。
水圧に押さえつけられるが、これも魔鎧で突破。素の状態だったら押し潰されてた。
だがどうにか水攻めを抜け出してもファビオの姿が見えない。目につく人の姿と言えば見物しているオルトヴィーンとソルヤくらい。
ファビオはどこへ行った?
オルトヴィーンの口元に、冷笑が浮かぶ――。
全身に纏う魔力を調整した。
神経に集中。防御を捨てて皮一枚に薄く薄く張り巡らせる。
「――終わりだ」
刹那の、感知。
首の裏、左側へ触れた風。
すかさず身を翻していく。ファビオの目が見開かれていった。
銛をそのまま振り回す。俺の首筋へ打ち込まれようとしていた木剣を払い飛ばす。
完全に虚を突けた。
このままもう一撃を打ち込もうとし、限界がくる。頭がカァッと熱くなり、熱いものが咥内に――
「げえっほ、げほっ……」
吐血。口から粘っこい血を吐き出す。銛が手からこぼれる。
鼻血だ。鼻から出すまいとこらえたら、口の方へ回ってきただけだ。
魔技は使いすぎたり、ちゃんと制御できてないのを使うと頭にくる。
怒るって意味ではなく、頭に……負担めいたものがくる。そのせいで、鼻血がだらだら出てくる。せいぜい貧血くらいの症状しか出てないからいいが。
「そこまでだ。ソルヤ、レオンハルトを診なさい」
ゆったりとオルトヴィーンが歩いて割ってきた。
ファビオは俺が血を吐いて、銛を取りこぼしながら四つん這いになった時点で戦意をなくしたようだった。素早くソルヤが俺のそばへ来た。
芝生の上へ座らされ、背中を支えられる。
「痛むところは」
「べつに……」
「鼻血は出しやすいのか?」
「かなり」
「体に変なところは感じられるか?」
「とくには」
問診めいたものが済むと、ソルヤが手を俺の額に当てた。
するとあったかい光が広がって俺の全身を包み込んでいく。
魔力を体に取り込むのとは違った、ムリのない安らぎの温もりだ。
じんわり、じんわり、あったまる。10秒、20秒。風呂みてえだ、なんて思ってたらソルヤが露骨に険しい顔をしてやめてしまう。
「オルト、この子どもは……穴空きだ」
ソルヤが驚いたような声で告げた。
あなあき?
そりゃ、穴はあるけど貫通された覚えはねえよ。そういうことには使うつもりもねえし……。
なんて低俗なジョークを考えているが、オルトヴィーン達の表情は急に苦くなった。ファビオでさえ、穴空きだなんてソルヤが言ってからは表情を険しくしている。
「あなあき、ってなに?」
「……それよりも、ファビオ」
「ハッ」
「この結果はどうする?」
質問にオルトヴィーンは答えてくれなかった。
それよりも、このファビオの試しについてらしい。
これは、俺の負けだろうな。惜しかったとか言い訳にならねえし、木剣を吹っ飛ばすよかファビオに叩き込んでれば良かった。
じいさんのとこには帰らねえで、適当に放浪でもしてみるか……?
だが、6歳児だしな。ずっと、ってのも厳しい。うまいこと、オルトヴィーンを説得して――いや、こういうのは決めたことは厳格に守りそうだし、難しいか。
「……認めざるを、えないかと」
「えっ?」
「良かったね、レオンハルト。キミは無事、ファビオに力を示せたらしい」
「でも……おれのまけでしょ?」
「蒸し返すな、判断をするのはこのわたしだ」
叱られる。俺の負けだとばっか思ったのに、いいのかよ。
負けた悔しさを返せ。このもやついた気持ちをどうにかしろっつーの。
「それにしても、穴空き――か。まあいい、レオンハルト。一旦、屋敷へ戻ろう」
オルトヴィーンが踵を返し、さっさと歩いていく。ソルヤが俺を立ち上がらせると、その後に続いていった。ファビオが木剣を拾い上げる。
「レオンハルト」
「うん?」
「穴空きとは言え、わたしはお前を特別扱いするつもりはない。……わたしが認めたのだ、胸を張れ」
とりあえずは認めてもらえたらしい。
だが、何だか別の不安が湧いてきている。穴空き――。
早くこい、とファビオに急かされて屋敷に戻った。
ファビオに顔を拭かれ、裸に剥かれて風呂へ突っ込まれ、着替えさせられるとオルトヴィーンの部屋へ連れて行かれた。
いつの間にか外が暗くなっている。雲が出てきているようだ。
「かけなさい、レオンハルト。まずは無事、ファビオに認められたことを嬉しく思う」
昨日のようにソファーへ向き合って座ると、ファビオが俺に――この俺に、茶を淹れた。
紅茶のようなやつだ。ティーカップも装飾なんかがされてる、お高そうなやつだ。一口飲んでみるが、紅茶の味なんて俺には分からない。
紅茶よか、緑茶のが好きだ。
確か、紅茶も緑茶も、あとウーロン茶も、茶葉は一緒なんだったか。何をどうしたら、違いが出るんだ?
「それにしてもまさか、キミが穴空きだったとは」
「あ、それなに? あなあきって」
「穴空きというのは……そうだな、何と言うか。ソルヤ、頼む」
「穴空きは魔力欠乏症状の原因とされるひとつだ。
本来、生命は一定以上の魔力を持ち、それによって生命活動を維持している。
しかし穴空きは自分で魔力を体内に押しとどめておくことができず、常に垂れ流し続けてしまっている」
……うん、いまいち、分かるような、分からんような。
「簡単に言えば、レオンハルト。
キミはね、魔力が極端に少ないという劣等体質なんだ」
「ああ……じーじがいってた」
にしても、劣等体質ね。
オルトヴィーンも涼しい顔でけっこうキツい言葉を使う。
ソルヤの説明も、正確かどうかは分かんないけど、要するに生きものは魔力ってのを溜める風船みたいのを持ってるけど、俺はそれに穴が空いてるってことなんだろう。
膨らんでない風船。
その中に入る空気なんてたかが知れる。
そんなたかが知れる程度の、ほんの少ない魔力しか、俺は持ってない。
前々から、俺の魔力は飴玉みたいなもんだと思ってたが。感覚としては大当たりだったのかもな。
「でもそうなると、不可思議だ」
考え込むようにしてオルトヴィーンがティーカップを口元へ運んだ。ただそれだけの所作なのに優雅に見えてしまう。
「ファビオ、どう見る?」
「おかしいとは思っていましたが、類稀なる早咲きなのかと」
「なにが、へんなの?」
口を突っ込んでみる。
オルトヴィーンだけが楽しげな顔をしたが、エルフの姉弟は怪訝な顔だ。
「レオンハルト、キミは魔法ではない魔法を使っているね」
「ああ……うん」
「ですがオルトヴィーン様、穴空きが魔法など考えられません」
「その固定観念を捨てなさい、ファビオ。
レオンハルト……ますます、キミに興味が湧いてきた。教えてくれないかい、キミのことを」
そう言えば、魔技について記された本を読んでくれたやつは全員、内容を信じていなかった。
そんなことを不意に思い出す。
少ない荷物の中から、ボロっちくなった本を取り出しながら魔技の説明をした。
そうして発覚したのは、魔技なんていうのは魔法というカテゴリーへ入れるにしろ、邪道もいいところで、普通に使われている魔法とは全く違っているものということだった。
詳しいことは本でも読めよ、とざっくり説明したところで。
「実に愉快なことになりそうだ。ファビオ、ソルヤ、そう思わないか?」
興奮を隠しきれない様子でオルトヴィーンは明るい声で喋り出した。
「レオンハルト、キミは素晴らしい。穴空きの身でありながら、まだ小さな体でありながら、キミは強い。実に強い」
雨の音がした。
閉ざされている窓に雨粒がぶつかってくる。
「わたしはキミと出会えたことを誰に感謝すれば良いのだろう、レオンハルト。
キミがここへ来てくれたことに、キミが魔技という特別な技術を見につけていることに、キミがチェスター老と暮らしていたことに――ああ、全てに感謝しなければ!」
やたらハイになってるぞ、こいつ。こんなにはしゃぐのか?
何がそんなに嬉しいんだか分かりゃしない。気分が完全にるんるんだ。
「ゆかいなこと、ってなに?」
「協力をしてくれるかい、レオンハルト」
「……ないようしだいだけど」
「まあいいか。わたしはね、愚かな貴族というのが1番嫌いなんだ。
貴族の持つ、根強く醜い選民思想。
私腹を肥やして他者を蹴落とす、貴族どもの足の引っ張り合いも見るに耐えない。
だから、そういう者の鼻をあかそうと思っている。
穴空きのキミが旧態依然とした貴族に恥をかかせるんだ。
想像をしてごらん、わくわくしないかい?
――わたしとともに、大笑いしようじゃないか!」
子どもみたいな笑顔でオルトヴィーンがはしゃぎながら言う。
いつの間にか俺はオルトヴィーンに抱え上げられて、くるくる回っちゃったりしている。
「それとも、嫌いかい? こういうのは」
意外とやさしく降ろしてくれる。
俺の答えを完璧にひとつに絞って、返事を待っているような笑顔だ。
朗らかっていうか、何ていうか。
「まあ……だいすきかも」
「そうだろう、そう思っていたんだ!」
タッチをかわすと、エルフの姉弟が苦い顔をしていた。
オルトヴィーンはロックだった。ていうか、パンクだった。
ともに親愛なる友人になろうとも提案をしてきて、オルトヴィーンはオルトと短く呼ぶように求めてきた。それで、俺のこともレオンハルトではなくレオンと呼ぶと言ってくる。
呼び方なんてどうでもいいような気はしたが、しばらくオルトヴィーンは――オルトはうきうきだった。