現実逃避、終了
そう言えば人間、死ぬ寸前に走馬灯を見るとか聞いたことがある。
それまでの人生をさながら、野球中継のハイライトのように追体験をするんだとか。しかもそれは体感で、実際は数秒程度だとか、一瞬だとか、とにかく短い時間で生きて体験したことを思い出す現象らしい。
だから赤ん坊のころを思い出しているんだな。
そうそう、体なんか動かせねえで泣くしかできねえで。実際はもうおばさんになっちゃってる母ちゃんだって若くてさ。
……いやでも、俺の母ちゃんはこんな外人風じゃあ、ねえんだよな。
まあ美人だけど、走馬灯って美化されちまうもんなのか? 走馬灯ってのは夢みたいなもんだろうから、何を言ってるかもよく分からないんだろうな。うん。
でもってさ、先に生まれてる兄貴がいて。おっかなびっくり、赤ん坊の俺を覗き込んでくるんだけど――おいおい、兄貴、よしてくれよ。いつからちんこ取っちまったんだ? それじゃあかわいい女の子だぜ。兄貴だろうが子ども時代がかわいかったんだとしたって、にしたって、ほんとに……外人の、女の子、だぞ?
これは走馬灯なのか?
何でこんなにどうでもいい脚色がされてるんだよ。
つーか、何だ?
赤ん坊時代が長くねえか? もっとこう、パパパッといいところを抜粋して見せてくれる――いや、見ちゃう? もんじゃねえのか? そんなら他にもあるだろ。七五三でじいちゃんの家に行った時、写真撮ろうとしたんだけど腹がへったってごねて、コンビニでカツサンドみたいの買ってくれてさ。でもカラシが辛くて食えなくて半べそになったまま撮られた時のエピソードとか。
それに俺んチは狭い団地だろ? 何で天井が見るからに木製なんだ。
あと何か服装が全然、現代チックじゃねえぞ。どこのゲームの世界だよ。中世ヨーロッパですか、っつうの。
おかしいぞ。
これはおかしいぞ、さすがに。
走馬灯じゃねえのか?
誰でもいいから俺をつねれ、ほっぺをぎゅっとし――あ、つつかれてる。ほっぺつつかれてる。赤ちゃんほっぺはすべすべですかい、見ず知らずのお母さん。そうかよ、ついつい娘さんにもすすめるくらいにいい具合――うん、つつかれてるな、おっかなびっくり。手元に指とか近づけられたら原始反射しちゃうな、うん。うん? ううん?
「おんぎゃああああああ――――――――――――――っ!!」
気合いを入れたら泣けたぜ、ハッハァー!
そうか、こいつは明晰夢ってやつだな。俺の思い通りだぜ! それじゃあ早速いってみよう、まずは俺がこれまでに作り貯めてきた曲を夢にまで見てる日本武道館で全曲だ! さあ、夢よ、俺の意のままに変われ!
……。
いつまでつついてんだよ。
うん、もういいから。夢は分かったから、俺の望むままの夢を……夢じゃない、っぽい?
でもじゃあ、一体何なんだ?
赤ん坊になっちゃった? まっさか、そんなの……俺の頭がおかしくなったか。そうだな。そうに違いない。
寝よう。
おうそう、寝ようと思えばいくらでも寝れるんだ。若いし、俺。
…………うん、寝よう。
夢が覚めない。寝ても覚めても夢の中。
寝ては起きて、起きては綺麗な母ちゃんのおっぱいにむしゃぶりついては寝て。あんよが上手とばかりに体操させられ、下のお世話までばっちりしてもらっちゃって、初めての入浴もして。
これは、あれかな?
死んだと思ったら、新しく生まれちゃった系かな?
すっげえや。何て言うんだっけ、こういうの。
…………再誕? いや違うな、何だっけ。仏教用語っぽい言葉。えーと、そう、輪廻転生? 転生?
多分そうだろうな。
でもって、俺の知ってる現代日本でもないっぽい。
だって推定7、8歳の女の子が得意気にぽんぽんと手に火の玉を出してお手玉してくれるんだもん。しかも親とか、家にいる人間の目を盗みながら。魔法があるってことだな。それか、この女の子がマジック大好きっ娘なんだろうな。魔法もマジックも変わらねえな、うん。
はっはっはー、生まれたばっかの弟がかわいくて披露しちゃうのか。おにいちゃん、ばっちり見守ってやるよ。言葉はでねえけど笑ってやりゃあお前も満足だろ? 実際すげえよ、何それ。どうやんの?
…………なんて感じで、俺はすくすく育ってます。
いつまで現実逃避してればいいんだろうか。
とりあえず首が据わるまでにしておくか? そんだけ時間が経っても夢が覚めないんなら、これって現実なんだろうし、受け入れるよ。
首が据わった。
受け入れよう、俺の名前はレオンハルト。愛称レオ。0歳2ヶ月半。
でもって、お姉ちゃんはミシェーラ。年齢不詳。推定、7、8歳。特技は火の玉のお手玉。
でもって、母ちゃんは……名前不明。呼ばれ方はお母様もしくは奥様。おっぱいはがっかりサイズだけど美人だから良し。
でもって、他少数。使用人的なエトセトラ。割愛。
……マジかあ。
こいつは、アレだな。何ていうか、女が多いからいいや。
首が据わるまでに観察してきた感じだと、やっぱりここは日本じゃない。俺の知ってる時代でもない。きっと、俺のいた世界じゃない。魔法なんていうのがあって、文明は遅れ気味で、うん、歴史とか詳しくないから知らないけど、中世ヨーロッパ風。風味。そんな感じ。アバウトにいこう、俺はまだ生まれて2ヶ月半なんだ。知らなくたって仕方ないじゃないか。
まだ言葉はさっぱり分からない。日本語でも英語でもない。
まあ、単語くらいならなんとなーく、分かってきてる感じはある。これは時間の問題だな。新生児の学習能力をフル活用して神童とか言われてやるぜ、ハッハァー!
でもって、この家は裕福なところらしい。
何たって使用人がいる。生まれてから2週間くらいでお披露目をされた。家の中でのお披露目会みたいなもんだったと思うが、ママンとミシェーラにひとりずつ紹介をされたっぽい。名前とか覚えてないし、赤ん坊に説明したって言葉が理解できないから追々覚えていくとしよう。
使用人は4人。
偉いメイドがひとり、偉くないメイドがひとり、下っ端メイドがひとり。
あとコックがひとり。コックだけ男。女ばっかの職場とはやるな、こいつ。
詳しくは追々にしておこう。何たって偉いメイドとママンとミシェーラくらいしか見かけない。
んでもって、よく分かんないけどここにはパパンがいない。
かわいいかわいい息子様がきっちりかっちり生まれてきてやったのに顔も見せねえとはふてえ野郎だ。首が据わったことだし、俺の前へ出てきたら、勘づいたって誰だコイツくらいの知らねえふりして困らせてやること決定。いっそ人見知りでも演じるか、へっへっへ。
そんな感じで、そろそろハイハイをマスターしたい。赤ん坊になってんだから、尻がクソまみれになる度に屈辱的に足を持ち上げられるのを我慢できるくらいの楽しみを早く見つけたい。とは言え、楽しみか。ギターの一本でもないかと思ったけど、この家には音楽がさっぱりない。音はあっても音楽はない。
ギターじゃなくても、ブルースハープでもいいけど、やっぱりない。ブルースハープの方がないかも知れない。元いた世界じゃあ、世界一普及してる楽器だったけど、あれって元々はどんな楽器だったんだか。ハープなのか? ハープくらいならありそうだけど、あれってでけえし、触ったこともねえから弾けねえな、絶対。
音楽は今は諦めておこう。ロックは何も音楽だけじゃない。生き方の問題だ。
ノー・ロック・ノー・ライフを胸に掲げて俺は第二の人生を生きていくとしよう。……うん、まだ俺って現実逃避を引きずってるのかも知れない。こういう時は意味もなくぎゃん泣きして困らせてやってから寝るとしよう。
「おぎゃあああああ―――――――――――――っ!!」
皆さーん、レオが泣いてますよー!!
ほらほら、早く来なさい、ドジっ娘下っ端メイド、来い! 今日はどんなドジを見せてくれる!?
泣き出してすぐに部屋のドアが開く。きたー、下っ端メイド!
こいつはドジっ娘だ。今もモップを持ってきている。中学生くらいの女の子にしか見えないけど、使用人として働いてる。ぎゃん泣きする俺をあたふたしながら持ち上げようとし、そこでさらに俺の泣きは加速するぅっ! ハッハッハ、困るがいい! あやすがいい、変顔十連発で泣きやんでやろうじゃないか! べろべろばー、だあっ? そんなんで泣きやむ赤ん坊がいりゃあ、育児ノイローゼなんてねえんだよ! いいから変顔しろ、変顔!
とまあ、こんな具合で俺は現実を受け入れて楽しむことにした。
駆けつけたミシェーラ姉ちゃんがドジっ娘メイドから俺を取り上げ、必死にあやす。姉ちゃんだしな、花を持たせて泣きやんでやろう。ほら、嬉しそうな満面の笑み。笑顔ってのはいいもんだ。
でもってお前はまた俺にお手玉見せてくれるのな。
上手、上手。だけど3つ以上は見せたことないんだな。
案外難しいのか? ふわふわ浮いてるようなお手玉だから、見慣れるとそこまですごくも見えねえけど。
……うん、ちょっと、こいつはやってみたら面白いかも知れない。よし、魔法使いとやらになってやろうじゃないか。
まあ、第一の人生でもあと数年で魔法使いになりかけてたけど。




