揺れ惑い、垂れる尻尾
「ここがグラトエッタか……」
「かなり大きいですね。都と言っても良いかも知れません」
「でも、鼻が……ここ、ピリピリするよ」
香辛料の匂いが、あちこちから漏れてる。
強烈な、色々な匂い。鼻の奥を木の棒でこすられるみたいな不快感がする。
「僕らはかなり、食欲をそそられるが……嗅覚の鋭いロビンにはキツいのか」
「そう言えば魔人族の方は見かけますが、獣人族はあまり見かけませんね。いらっしゃっても、あまり鼻が利きそうな種族ではありませんし」
露店の数もすごいし、人の賑わいもある。
クセリニアは珍しい大国のひとつ、グラトエッタ王国。この都だけじゃなくて、近隣の町も領土にしているんだと聞いた。
けれど、この匂いは僕には刺激臭だ。
「たっぷり食べ歩きたかったものですが……」
「ロビン、数日だけ我慢してもらうことはできるか?」
「いいけど……僕、宿屋さんで休んでていい?」
「悪いな」
「ううん、2人は楽しんできていいよ。僕は遠慮するけど……」
旅だもん、わがままは言えないよね。
長くいればちょっとは馴れるだろうし、我慢して済むんだからいい。
リアンが選んだ宿屋は少し高いところだった。多分、宿にこもると言った僕に配慮してくれたんだと思う。それに食事が朝だけしか出ないから、このグラトエッタの名物である香辛料たっぷりの料理の匂いもあまりしない。
でも路銀の節約は大事だから、僕とマティアスくんは相部屋だ。
荷物を降ろすとマティアスくんはリアンと一緒に散策へ出ていった。ここでリアンの新しい剣が見つかるといいけど。
……武器屋さんは、僕も行きたかったな。見てるだけで楽しいから。
気を取り直す。
たっぷり時間はあるし、この機会に装備の点検をしておこう。
まずはアーバインの剣。
鞘から抜いて、念入りに拭く。ところどころ、刃こぼれが見られる。どこかで研ぎ直してもらった方がいい。このまま使い続けてパキンと折れたら嫌だ。
「長生きしてね」
アーバインの剣は抜き身のまま、置いた。
たまにはこうして鞘から出しておいてあげた方が開放感があるかも知れない。
続いてマントを見た、裾の方からほつれていたのはずっと気になってた。先によく水洗いして、揉んで汚れを落とした。それをしわにならないように干し、魔法でさっと乾かす。
洗濯をするとちょっとは綺麗になる。だからこそ、やっぱりほつれは気になる。
針と糸を出して裾を繕っていく。
レオンの制服もたまに繕ってあげたっけ。すぐにボロボロにしちゃうから、まめにやっても意味がなくって。でもみっともないと可哀想だから、ちょっと見捨てておけないようなのを見つけたらこっそり修繕した。レオン、気づいてたかな?
ちくちく繕いながら、そんなことを思い出した。
裾を直したところで広げてみると、ばっちりだ。そう言えばマティアスくんの服もちょっとダメになってたような気がする。折角、針と糸を出したんだし、ついでに直しておいてあげよう。
「失礼しまーす」
断りを入れてからマティアスくんの置いていった荷物を開ける。
長旅なのに何着もマティアスくんは服を用意していた。でもだんだん、汚れたり、枝かなんかに引っ掛けて穴が空いちゃったりすると、まだ直せる余地があるのに捨てちゃっていた。さすがお金持ちだ。
でも服が残り少なくなってくると、捨てるのをもったいないと思ったのか、少しでもダメージの入っていないものを選んで着るようになった。結果、3着の服が順繰りに傷ついていった。
その内の2着を取り出す。
洗濯は貴族がすることじゃないからって宿に着く度にそこの人に洗わせてたけど、最近はそれもやらなくなってきてる。諦めの境地に入ってるのかも知れない。
開いていた穴を埋める布を探して、ちくちく縫って穴を塞ぐ。完璧。接いだ生地がちょっと似合ってなくて浮いちゃうのは仕方ない。服を直すってこういうことだと思う。
もう1着もちゃんと直して、よく洗って干した。
いい仕事をした。
今度はいつも被っている帽子を見る。けっこうこれもダメージが入ってる。
雨も雪もよく受け止めてくれたけど、全体がかなり傷んでるから買い替えちゃった方がいいのかも知れない。でももったいないし、お金は使いたくないし……。
帽子は革製。
さすがにこれは服みたいに繕ったりすることもできない。
買おうかなあ。
でも、もったいないなあ。
うーん……。
とりあえず目に見える汚れを布で拭いて落として、これも干しておいた。
今度は履物。
膝の下まであるブーツ。ソールのところが剥がれかけて、べらべらになってしまっている。
それを気にせずに歩いてきたから、折れ曲がった形で固まっちゃってる。
これも、買い替えかなあ。
でも悪くなってるのはソールくらいのものだし――とせめて、元のように折れ曲がっていたのを伸ばそうとしたらベリっと剥がれてしまった。歩けないことはない。足裏の感触がよく伝わってくるし、うん。
足首のところも観察してたら、踵のすぐ上のところに切れ目が入っていた。
これも、ちょっと直せない。
干しておいた。
干す意味ってあるのかな。まあいいや。
続いて毎日の料理の支度に使っているナイフを点検する。
これは絶対に問題ないはず。乱暴な扱いはしてないし、ちゃんと保管はしてるし。最後の食事当番はマティアスくんだったっけ。すごく硬い甲羅を持ったイノシシみたいな魔物を調理してた。……味は置いとくけど。
ちょっとくらい切れ味は悪くなってるかも知れないけど、この調理用ナイフまでダメになるはずはない。
カランと音がして、柄から先が落ちた。
さくっと床に刺さった。
あれ?
柄を見る。ナイフの本体と、柄を固定する短い釘とかがダメになったわけじゃない。
根元のところから、ナイフそのものが折れてしまっている。
そう言えば、甲羅を外すのが大変だったとかマティアスくん言ってたけど……。
もしかしてこのナイフで、テコみたいなことをして外そうとしたとか、なのかな? ものすごく時間のかかった調理で、大きい肉の塊を丸焼きにしたばっかりに中までちゃんと火が通ってなくて、表面を食べては焼いての繰り返しをしなくちゃいけない、大変な食事だったけど、ちゃんと切り分けなかったのはマティアスくんが甲羅を外そうと躍起になってこの調理用ナイフを折っちゃったからなんてことは……ない、よね?
ナイフも吊るしておいた。
マティアスくんがここへ帰ってきたらどう思うかな。
最後にリュックを点検する。
頑丈な革で作られたやつだから、けっこうな重さに耐えられる。問題はなさそう――だと思ったら、革の縫い合わされているところにダメージが入ってた。縫い目に沿うように負荷がかかっちゃって、そこばかりが引っ張られたようになっちゃってる。
「ええ……?」
これ、どうしよう。
このまままた荷物入れて、使っててもいきなりぼろぼろっと中身がこぼれちゃったりするかも。そうしたらすごい大変だ。
よくよく確かめたら、一箇所だけでもなかった。
ショルダーストラップの付け根も千切れそうになってた。リュック本体はまだ耐えられそうだけど、ひとつに繋ぎ止めている要所ごとが傷んでる。
これも、吊るした。
買い替えるものがいっぱいだー、あははー。
はあ……。
直せるものなら直したい。でも手に負えない。
とりあえず、明日は匂いを我慢して買い物にいこう。
全部、旅の必需品なんだし、リアンもちょっとはお金を出してくれる……はず。
それからマティアスくんには、調理用ナイフのことをちゃんと聞かなくちゃ。
皆のものなのにマティアスくんが壊しちゃったんだとすれば、しかも間違った使い方をしちゃったんなら、それはマティアスくんに弁償をしてもらわないと。
ふと思い出して財布の巾着袋を出そうとしたら、その底が抜けて硬貨が散らばってしまった。
確かめるまでもなく、これも買い替えなきゃいけないのか……。
ただでさえ鼻が利かなくて気持ち悪いのに、こんなにたくさんの出費があるって考えると憂鬱になる。
でもちょっとだけの辛抱だと自分に言い聞かせた。




