強硬山越え作戦
「リュカ、来いっ!」
大声で遠くから呼びつける。一瞬、反発されるかとも思ったが声色で何かしらは察したんだろう。すぐに待っていた席を立った。
呼びつけてからまたエノラの部屋に戻る。幸いにも、俺がタイミング良く来たようでトドメを刺されてはいなかったが、もう少しで首をくびり折られるところだった。
戻るとエノラはどうやら、自力で体を起こしたようだった。
イザークにも似た仏頂面を今は少し歪めているが、自分で回復魔法をかけていた。だが顔色は悪い。あ、いや、これは元の肌の色だったか。顔色の読めないやつめ。
「何、あったの?」
すぐに俺の後にリュカが部屋へ入った。
「通り魔だ」
「通り魔?」
「こいつがそれに狙われてる。魔影はもう使えたな。広げとけ。
でもって、いきなりこっちに来る反応があったら警戒して教えろ」
んん、あ、あ、あ、あ……と咳払いしたようにエノラが声を出し始めた。
潰されかけた喉がもう治ったのか。回復魔法でも、こんなに治りが早いなんて。そう言えばリュカの腕もすぐに治ってた。
これは加護とやらの力なのか?
だとしたら、この99倍強いアイナってのはどんだけ強いんだ。
「警戒じだま゛ま゛……ん、ん゛っ……アイウェインに、入る」
「は?」
「山にこれから入るの? 準備いいの?」
「強攻突破で山を越える。
そうすればアイナを撒ける。
アイウェイン山脈を盾にすればまたアイナから逃れる猶予が生まれる」
「強攻突破なんか死ぬだけだってお前が言ったろうが」
「それは普通に行けばの話。
まだあたしには加護がある、それを使えば可能」
加護。
聞いてる限り、特別な力を与えられてるって感じだ。
何かのテレビゲームみたいに、これが何とかの加護、こっちは何ちゃらの加護って名前のもんが細分化されてるようなもんじゃなくて、ある程度まで万能に使える奇跡的な力だ。
エノラ自身戦えるのに、いつも魔物と出くわして俺とリュカに戦いを任せきりにしてるのは、この加護の力を温存してるものとも聞いた。
「それとレオンハルトの長剣を使う」
「長剣?」
「あれは使い方を誤れば危険だけど、正しく使えば雪山を楽に突破できる切り札になる」
算段はちゃんとあるようだ。
何だかんだで、こいつは頭の回転は良い。
「山ん中で追いつかれたら?」
「その時は……一緒に死んで」
おい。
おいこら。
「分かった」
リュカが返事をする。
安請け合いなんかするもんじゃない。そう言おうともしたが、やめておいた。
「俺は死ぬつもりなんぞ毛頭ねーよ」
「じゃあ肩たたき券20枚で」
「いるか。……けど、俺は死にたくねえから、そのためならお前の姉貴だろうが殺すぞ」
「それはバカな考え。泉の加護を最大にまで受けているアイナを殺すなら、手練の兵500人を使い捨てるつもりで差し向けないといけない」
どいつもこいつも、すぐに死ぬことを考えやがる。
アホ抜かせってもんだ。リュカもあっさり返事するし、それがますます気に食わない。でも指摘したって反発されるだけだから、ここはちょっと見栄を張っておこう。
「俺は火天っつー、二つ名持ちの大悪党を7歳だか8歳だかの時にぶっ殺したんだ。
巫女だろうが、泉の神さんだろうがぶっ殺してやるよ」
「巫女だったころ、アイナはこう呼ばれてた――」
え?
何それ、何その言い返し。
「剣精アイナ。
泉の生んだ剣に愛された女。
舞い散る血で彩った舞台を踊る、剣の精霊。ゆえに、剣精」
二つ名持ちじゃねえかよ、聞いてねえよ。
分厚い毛皮の防寒具と、スパイクのついた靴のみを身につけ、アイウェイン山脈へ向かった。
俺はスパイクブーツが基本装備だから良かったし、エノラも加護とやらでそういう装備はなくても良いそうで、リュカのブーツを買うのみで済んだ。毛皮の防寒具は身につけると、少し体が重くなった。
だがいざとなれば魔鎧を使えばいいし、そう考えればあまり気にならない重さだった。
「まずは雲の下まで登る」
エノラはそう言い、山道を歩き出した。
リュカがちゃんと魔影を広げているかは分からないが、さすがにこういう事態で言いつけを破ることはないだろうと思っておいた。とは言え、リュカの魔影は半径50メーターが限界だ。魔力を体外へ広げていくのは魔法の癖というのもあって魔技を使えるリュカでも苦手なようだ。
登山開始の初日は、何もなかった。
魔物の発見にリュカが一役買ったのは魔影をちゃんとやっていたからだろう。速攻で仕留めて、肉だけ取ってすぐにまた登り出した。
その夜に、仕留めた魔物の肉を焼いて食べ、早々に寝た。
朝を待たず、暗い内にまた歩き出した。さすがに山道は登るだけでも息が上がりそうになる。だが、誰もへこたれることはなかった。普段から徒歩で移動をしているし、鍛えてもいる。エノラも問題ないようだったし、歩き慣れていた。
何度か、アイウェイン山脈でアイナを遠ざけてきたのかも知れない。
なるほど確かに、これだけアイウェイン山脈に慣れているのを三度の食事のみで雇えるならお得な話だったんだろう。
「高山には悪魔がいる」
「悪魔?」
けっこう傾斜のキツい道を歩いていると、エノラが言い出した。
すぐにリュカが聞き返す。
「ある高さを超えると、意識を刈り取りにくる悪魔。
目には見えないけど万人に等しく襲いかかる」
「悪魔とも、戦うの?」
「悪魔除けの方法があって、本当はそれをするのに時間をかけなきゃいけない。
今の居場所から高いところまで登って、体を慣らして、一旦降りる。次はそこよりさらに高いところへ行って、体を慣らし、また戻る。その繰り返し。
これが悪魔除けの方法」
「変なの」
「でも、今はそんな悠長なことをしている時間はない」
いわゆる高度順応のことを言ってるのか。
エベレスト登山にやたらめったら時間がかかる理由だよな。空気が薄くなるから体を慣らさなきゃいけないんだったっけか。
悪魔に、悪魔除けね。
高所ほど空気が薄いがゆえ、か。
「その悪魔除けしないで、どう進むんだ。死ぬだろ」
「レオンハルトの持つ長剣を使う」
「俺の剣?」
「アイウェイン山脈は岩と氷の山。
伝説は色々あるけど、この山は抉られたところがあってそこを長い年月をかけて氷が埋めてる。
その氷を融かして進めば、山のてっぺんまで登ることなく通過することができる」
「トンネルを掘って進むようなもんか?」
「当たり」
確かにちょっと間違えば、とんでもないことになりそうだ。
だけどそれさえできれば普通に踏破をするよりもずっと短い時間で向こう側へいける。
「ちなみにそれ、今までやったことあんのか?」
「ない」
「…………」
「やれる」
俺は閉口してしまったが、無根拠にリュカが断言した。
空気が薄くなり、登山とも相まって息がだんだんと辛くなってきた。酸素ボンベが欲しい。だがそんな文明の利器はない。酸素が頭に回らない。ふらりときたのをこらえ、それでも進んだ。
そうして2日目が終わった。
初日に仕留めた肉を全て使い切って食べた。これで、手持ちの食料は僅かなものだけ。
早いところ、山の中を突っ切っていかないと腹が空いてしまう。――と考えていたら、セッカグマが姿を見せた。
向こうは随分と腹を空かせているようだったが、良い肉を確保できた。




