エノラとアイナ
『姉がいる』
リュカがヤマハミを倒した、その日のことだ。
酒をゆっくり飲みながら、その酒のペースに合わせるようにゆっくりとエノラは語り出した。
エノラの姉は、アイナ。
2人はクセリニア内陸にある森の中に生まれた。
その森はクライテというらしい。クライテの森。
そこには代々、巫女という役割があると言う。クライテの森には神聖な泉があり、そこには神がいると伝えられていた。
泉に近づくことが許されるのは巫女だけであり、神聖なそこを守るという使命を持つ。
実際、不思議な泉のようで、何かしらの薬効を求めたり、奇跡にすがる想いでクライテの森の泉を目指して、時折旅人が訪れるらしい。
だが、泉は非常に穢れやすく、穢れれば神までもが冒されることになるため、巫女は追い返さなければならない。そのために巫女は生まれた時から、使命のためだけにあらゆる教育を施されていくのだそうだ。
エノラと、その姉アイナは巫女だった。
こいつらが何歳かは知らないし、聞いてもいないが巫女としての務めをこなしてきたらしい。
愛する息子を死の病から救うため、神聖の泉の水を持ち帰りたいと願う男を追い返す。
欲にまみれたどこかの大国の王子が、不老不死の秘薬だとして神聖の泉を汲み上げにきたのを阻止して殺す。
泉を守るために、エノラとアイナは戦った。
2人は姉妹とは言え、双子だった。
そのために役割を決めて、互いが互いを補い、高め合うようになっていった。
エノラは魔法を磨いた。
アイナは剣術を磨いた。
泉の加護を得て、2人は人ならざる力をもってして守護をし続けた。
エノラはこう考えたと言う。
『泉を守ることは、森を守ることになる。
森を守ることは、仲間達を守ることになる。
だからあたしはアイナとともに、巫女として泉を守り続けた』
ある時、クライテの森の民が病に冒された。
伝染病だった。巫女は泉の守護者だが、同時にクライテの民でもある。
エノラは泉の神に、病を癒すようにと祈祷を捧げた。
泉の神はこれに応えて泉の水を飲めるようにとエノラに啓示を与えた。だが、条件がひとつ。
『その手ですくえるだけの水を、病人に分け与えることを許す――と仰られた』
そう言ったエノラは自分の手を見ていた。俺よりも小さい。
本当にひとすくい。顔を洗うにも足りないほどの僅かな量だった。それでどれだけの人が救えるというのか。
エノラは呆然とした。
泉を守るために殺した数よりも大幅に少ない仲間しか救えないのか。いや、救えてひとりだ。そうとしか思えなかったのだと。
震える手ですくわれた水は、指の間から、手の隙間から、したたるように落ちて減っていく。
走ってエノラは仲間達のところへ戻った。
そこで、血に濡れたアイナを目の当たりにした。
仲間達は彼女の手にかかって斬り殺されていた。大人も、子どもも、男も、女も。
他ならぬ、姉妹の親も。
『泉に穢れを近づけてはならない。
ここで病が広まればいずれ、病は泉を蝕み神を殺す』
アイナは狂気を抱えていた。
その兆しはエノラも薄々勘づいてはいたが、目を逸らしてきたと言う。
僅かに残っていた泉の水を、エノラは捨てた。
もう守るべき仲間はいない。
泉を守る使命に意味はない。
ただこの、目の前の狂信者を殺して、自分も死ぬ腹づもりでアイナへ挑みかかった。
だがアイナは、エノラよりも強い加護を受けていた。
その狂信が彼女の力の源であり、使命を捨てたエノラとは埋められぬ力の差となった。
死を覚悟したエノラだったが諦めきれなかった。
死にかけの体でアイナを出し抜いて泉に向かい、血塗れの体をそこへ投げた。
泉は穢れに弱い。
使命を捨て、血に塗れたアイナは自分の体を毒としてせめて、泉の神を殺してやろうとしたのだ。
たちまち泉は濁り、淀んだ。
それで死ぬはずだったが、アイナがその体を拾い上げた。
狂信者アイナは穢れた泉を戻そうと躍起になっていた。
その狂った叫びを聞きながら、アイナは復讐を遂げたつもりで、逃げ延びた。
『それから冒険者になった。
理由は分からないけど、まだあたしには加護が残ってた。
力は弱まっていたけど、巫女として色々やってた経験も生きて、それなりに普通の冒険者になった』
エノラの冒険者の証は、薄い青色。
Bランクの色らしい。
だが、エノラはまだ終わっていなかったことを知る。
最初に依頼主の死体を見て、気づいたと言う。その殺され方で、アイナがやったものと知ったらしい。
『ここからは推測。
あたしとアイナは双子だった。
泉の神はかろうじて生き延びて、加護をまだアイナに与えている。
けれど双子で、同じように巫女となったわたしとは同じ契約があって、同じ力が分けられている。
泉をまた復活させるためには、この力をひとつに戻さなくてはならない。
だから、アイナはわたしを殺して、泉の神の力を一身に取り戻そうとしている』
それからのエノラはアイナから逃げ続ける日々だと語った。
冒険者ギルドの支援を受ける際、その度に冒険者の証を提示しなければならない。冒険者ギルドでは、それをどういう方法でか――魔法なんだろうけど――ある場所で管理している。それをハッキングでもしたかのように、アイナはエノラが支援を受ける度にやって来るのだと言う。
どういう方法でそんなのを知っているのかはエノラにも思い浮かばないそうだ。
が、それが発覚してからは冒険者ギルドを利用できず、結果として食い扶持の確保さえ難しくなっていった。
で、この話。
実は俺もさらっとだけ、片鱗を見ていた。
クセリニア大陸についた時にいた港町。
つまり、このエノラと会った場所。そこで、エノラと出会う少し前、通り魔などという物騒な言葉を耳に引っ掛けた。あれは、十中八九、アイナの仕業らしい。
『アイナはあたしと違って激情家だから苛立てば暴力的になる。
あたしの近くにまで来ていながら、あたしを捕まえられずにいるから人を斬って憂さを晴らしてる』
何ともはた迷惑な話だ。
だが、エノラとて死ぬわけにはいかないし、まだ加護があるとは言え最低限のもの。
対してアイナはエノラよりも遥かに強い加護を持っている。
本来、100という数字を最大にして加護があるとすれば、その内、エノラが1、アイナが99持っているようなものと言っていた。
とは言え、99と100では全く違うらしく、全ての力を統合しないと泉の神を復活させる足がかりにもならない。それにエノラの加護を消せば、アイナの加護も同時に消えてしまう。
泉の神を復活させるつもりはエノラにない。むしろ、トドメを刺してやりたい。
だが、そのためには逆にアイナを手にかけねばならない。そんなのは現実的ではないから、逃げ続けるしかできないのだと言う。
『昔はアイナを尊敬してた。
アイナは巫女というのを抜きに、加護さえないとしても、才がある。
巫女としても、常に正しい道を選び続けてきた。
その姿は、わたしの憧れでもあった。
でも、それはそう思い込もうとしてただけだった。
どこからかアイナは、狂気を抱えていたし、それから目を逸らしていた。
けっこうつらい。
心底、敬愛してた相手が間違っていて、もう取り返しがつかないことになってる。
今じゃあたしとアイナは道を違えすぎていて、まともに顔を合わせることもできない』
そんなことがあったから。
エノラはリュカの気持ちが分かると言う。
『でもリュカはかなりマシ。
レオンハルトは決定的な悪じゃない。
また信じようと思えば、まだ信じられるし、理解もできる範疇。
それにリュカのは年頃のものが混じってて潔癖になってるところもある。
レオンハルトがあたしに意地悪な態度を取らなくなれば、案外すぐのはず。敬え』
最後の文句は撥ね除けておいたが、それがエノラの抱えるものだった。
クライテの森の生き残りにして、最後の2人の巫女。
どちらかが死ぬまで、この追いかけっこは続いていく。
冒険者ギルドの支援を受けることもできず、かと言ってアイナが近づいてくればともにいる者にまで危険が迫る。そんな時にエノラが見つけたのが、魔技を使う俺とリュカだった。
『これで身の上話はおしまい。
そういうわけだから、アイナ来てもあたしを恨まないで』
俺はその言葉に、曖昧に頷いておいた。
そん時はまだ正直、泉の神だとか、巫女だとか、加護だとか、なかなかに飲み込みにくい話だったから。




