月下の逢い引き
ボシェロ将軍が怒号とともに駆けると、馬にも乗っていないのにひとつの騎兵が向かってくるようだった。強烈な突進と言える。ステップを踏んで横へ逃れようと、長い突撃槍のリーチを活かして、振り回すように追尾をしてくる。
弾き飛ばすが、盾に身を隠しながら体当たりをしてくる。
あれほどの重装備。
巨大な盾と、巨大な突撃槍。
それを力のままに振るう怪力には驚かされるが、尚も目を見張るのはスタミナだろう。
重量というのは、ただそれだけで体力を奪う。
まして戦場という非日常の空間では精神的な負担もかかり、通常よりも力を発揮することがあってもそれだけ多くの体力を消耗してしまうものだ。だと言うのに、ボシェロ将軍は疲弊を見せることもなく猛然と向かってくる。
一体、どれほどの訓練をしたのか。
単なる種族の違いだけだとも思えぬ、この胆力はどこから湧くのか。
数度目の突進。
これは地を這い進む死の獣だろう。
あの牙はいかなる鎧も容易に引き裂いてしまう。
重装歩兵と騎兵をひとりで混ぜ合わせ、体現しているのだ。
防御力も並ではない。攻撃力も並ではない。――わたしは、攻めあぐねている。
歩は止めたままに、三度の鋭い突きを繰り出された。
顔へ、足へ、胴へ。同じ構えから別々の場所へ連続で。
顔への初撃は頭を振り、足元へ繰り出された二撃目はマグレの踏み間違いで、三撃目はそう来ると予測が働いて身を翻して回避に成功した。
武器の持ち手側へ素早く回り込み、鎧の隙間を狙いわたしも突きを放つ。
だが腕を引かれて接ぎ目をそらされた。硬い鎧だ。
さらに回り込んでいく。左手に盾を、右手に突撃槍を持っているボシェロ将軍は、右手側へ回り込まれると自身から攻撃を仕掛けるのが難しくなる。
ぐるぐると回ることになる。尚も、見つけられぬ隙。
先に痺れを切らしたボシェロ将軍が方からの体当たりを仕掛けてきた。
組み合えば力で押し込まれかねない。後ろへ下がり、失策に気づいた。ボシェロ将軍の足が、大地を掴んで駆け出す。血の染みた穂先が迫る。
「っ――おおおおおおっ!」
渾身の力で、両手に持った剣でそれへ叩きつけた。
だが、硬すぎる手応えは持ち手へ跳ね返り、さらに剣が叩き折られた。突撃槍は僅かに軌道を逸らされるのみ。折れて飛んだ剣が遠くへ刺さった音を何故か捉えた。
愛用してきた剣だった。
父が正しき男児たれと、女を捨てたわたしに初めて贈った剣だった。
手に馴染み、身体の一部として扱えるほどにまでなった。相棒であった。
感傷は長く続かない。
ボシェロ将軍は突撃槍を薙ぎ払ってきた。腹部に殴打の衝撃が響き、体が浮き上がった。
どうと地面へ倒れ込む。
突進の構えを見せ、ボシェロ将軍が駆け出す。
今から起き上がっても、あれを避ける見込みはない。
だが、このまま待てばただ死ぬのみ。
無策のままに、それでも立ち上がりかけて腰にまだある重みに気づく。
そうだ、これを渡されていた。腰に手を伸ばし、柄を握る。引き抜く。
瞬間、光が満ちたかと思った。
違った。光が周囲を切り裂いたのだ。ここは暗闇ではない。日の昇っている畑のただ中だ。
それでも。
メルエロッサがどこからか持ち出し、わたしに預けてきた光の剣は輝きを見せた。
曇り一つない剣。
鏡のように全てを映し、光のみを増幅させたかのように見せたのだ。
「ぐうっ……!?」
ボシェロ将軍が呻く。
今の光で、目が眩んだことだろう。
あの突進は、相手を見据えなければならない。
そこへ、ただ引き抜かれただけで太陽の光を眩く照らし返した剣を見てしまったのだ。
冒険者の言葉が脳裏に蘇る。
『光り輝いて相手の目を眩ませるってんで、光の剣なんて言われてる』
目を眩まされようと、ボシェロ将軍は果敢に走る。
もうすぐそこに、迫っている。
だが、不思議と焦りはない。
呼吸を整えるように息を吐き、膝を立てながら前傾になって剣を構えた。
『しかもそれだけじゃあねえぜ、こいつは稲光のように速く駆けて敵を切り伏せるのさ』
雷光一閃。
理解の及ばぬ内に、光の剣は駆け抜けた。
わたしとボシェロ将軍は位置を入れ換えたかのようにすれ違っていた。
手に感触がある。確かに切った。振り返り、残心を見せる。
ボシェロ将軍が、両膝をついたままにわたしを振り向いていた。
分厚く大きな盾の下半分がなくなっていた。鎧には何かの魔獣の爪痕のような、巨大な裂け目があった。大きなボシェロ将軍の手が、兜を掴み、落とした。
「見事なり……東方の騎士、よ――」
そして、地に伏した。
タイミングを見計らったかのように、続く声があった。
『ドードテルドのバジリオ王である』
これはラウドスピーカーか?
目を巡らせると、立派な馬に跨がったバジリオ王の姿があった。傍らにロビンがいる。
『両軍ともに剣を引け、サーレオーディの勇猛なるボシェロ将軍は我が将により倒れた。
投降するのであればこちらには食料を分け、負傷者には手当てをする用意がある。
賢明にして勇敢なサーレオーディの兵達よ、その進退を示せ!』
がちゃん、がちゃんと剣を、槍を捨て、鎧や盾さえ投げる音がした。
戦は終わった。半刻もせぬ内に、マティアスが率いていていた軍勢とともに帰還をした。
ドードテルドの兵に負傷者はあれど、死者はなかった。
光の剣をふと見ると、抜き放った時の輝きは嘘かのようにハッキリと、汗まみれのわたしの顔を映していた。
酒宴が開かれた。
こういう席では上座には近づかず、離れたところで愉快にのんびり飲み交わすのが好きなのだが――そうもいかなかった。
「ソーウェル殿が光の剣を抜き放った時、自分には戦女神が見えました!」
「いや違う、あれは女神シャノンだ! ソーウェル殿は女神に愛されておられるのだ!」
人を挟んでの宗教対立はよしてもらいたい。
「ソーウェル様、この娘はわたしの姪御でありまして、このドードテルドでは知らぬ者がおらぬほどの売り子をしておられるのですが……」
「ソーウェル様よろしければ、ともに踊りをしてはくれませんか?」
次から次へと麗しい女性が入れ替り立ち替わりにやって来るのは男冥利に尽きるのだろうが、生憎とわたしには彼女達を満足させることはできない。同性の者に欲情したことさえもないのだから。
「色男は辛いだろう、リアン」
「いえ、慣れていますのでそんなことはありませんよ」
悪戯めいた声でマティアスに声をかけられ、ようやく安堵する。
自分からこの席を立つのは気が引けたが、マティアスに声をかけられてならば良いだろう。
「キミの窮地を本当に救ったのは、この僕ということになるかい?」
「ふふ、そうかも知れません」
城の前の広場で催されている宴席には、結局、出番はなかったが防衛のために集ってくれていた冒険者も参加している。堀作りや、移動壁も製作に携わってくれた冒険者もいる。
そして、ドードテルドの市民の多くも集まっている。盛大な宴会だ。
「だが、残念ながら――僕は悪魔かも知れない」
「どういうことですか? まさか、マティアス……そんなに、女性に飢えていました? わたしに欲情するとは。ロビンの鼻は何を嗅いでいるのでしょう?」
「そういう意味じゃないっ」
「冗談ですよ」
広場から離れ、城の麓にまでマティアスは歩いてきた。
最初にこの城を見上げた場所だ。窓のひとつからお姫様がいきなり脱走してきて、フゥルクン様が――と回顧していたら、例の窓にロープがひとつ、吊り下げられていた。
「僕は女性の頼みには弱いんだ」
「ほう?」
「ロマンチックな逢い引きをお求めになられてね」
「わたしも一応は女だと、マティアスは知っているはずですが、わたしから頼みごとをする場合は――」
「キミを女とは見ていない」
「ひどいですね」
「ディオニスメリアで重んじられる、正しき騎士だと見ている」
おや、口が上手なこと。
一度落としてから持ち上げるだなんて、マティアスにしては小憎らしいことを。
「一国の姫君に惚れられたんだ。
その責任はきちんと取った方がいいだろう」
「……仕方ありませんか、こればかりは」
ロープを登る。
そこは武器庫のようだった。
別の窓から月光を受け、そこにメルエロッサが待っていた。
「ソーウェル様……」
彼女はわたしに駆け寄り、胸の中へ身を寄せてきた。
そっと彼女の肩を抱き、それを引き離す。驚いたような顔でメルエロッサはわたしを見上げる。
「あなたに打ち明けなければいけないことがあります――」
結果として、泣かせてしまった。
しかし、最後にメルエロッサは泣き腫らした目でわたしに笑顔を見せた。
「ソーウェル様」
「はい。何ですか?」
「わたしも、ソーウェル様のように強くなることはできるでしょうか?」
「よした方がいいですよ。気心知れた中身さえ、女とは見ていないなどと言われてしまうのですから」
冗談を交えたが、彼女は本気のようで、2、3の心構えを説いた。
それから兵に交じって訓練をすればよろしいと伝える。
この国は平和ボケをしていたが、今回のことで気が引き締まっただろう。
そこにこの活発なお姫様が加われば、尚更に力は入る。――それに、マティアスは良い落としどころを用意した。
早ければ10日もせぬ内に、ドードテルドとサーレオーディの間で友好条約が結ばれる。
ドードテルドは食料を、サーレオーディは武力を、ともに国を守るために必要なもの同士を融通し合い、繋がりを強めて互いの国を守り合える。
さらに国は発展し合う。
メルエロッサが強い心を持ち、体を鍛えて、大いに学べば――きっと将来は明るくなるだろう。




