開戦準備
サーレオーディというのはドードテルドの北西に位置する国のようだ。
馬で駆ければ4日ほどで到着すると言う。その軍勢はあと半日の行軍でドードテルドへ到着するほど近づいてきているとのことだった。
「どうしてそれほど近づかれるまで気づかなかったんだ」
「周辺の巡回にあたる兵が定時になっても来なかったそうで、迎えに行かせた者も帰ってこず、魔物かと駿馬でさらに向かわせ、行軍してきていることに気づいたようです」
「戦争になっちゃうのかな……?」
「クセリニアではそこまで珍しいものではないと聞いてはいたが……」
城内は慌てふためいている。
平和ボケしていたこの国に突然降って湧いたことだ。誰もが緊張している。
「お三方!」
フゥルクン様がわたし達のところへ老体で駆け寄ってくる。
「どうされましたか?」
「バジリオ王より、あなた方にお頼みしたいことがあると……」
その内容にはすぐ想像がつく。
どうしましょうかね、とマティアスに視線を送る。
マティアスはわたしの視線を受けてロビンへ目を向ける。
するとロビンは不安そうな面持ちで、わたしをちらっと見てくる。一巡してしまう。
誰からともなく、バジリオ王が待っているのであろう玉座の間へと歩き出すこととなった。
「カノヴァス殿、ソーウェル殿、コルトー殿。
サーレオーディの軍勢がすぐそこまで迫って来ている」
バジリオ王は恐ろしいほどに真剣な顔をし、口を開いた。
「して、僕らに頼みたいこととは?」
「どうか、ご助力を願いたい」
きた。
そのサーレオーディというのがどれだけの軍勢かは分からないが、平和ボケしきっているドードテルドよりは強いのだろう。このまま大わらわで編隊し、戦に臨もうとて勝てる見込みはない。
けれど、それは普通にやった場合の話。
戦いを回避すること、勝つのではなく長引かせることで相手を退かせること、そういった手段を取れば正面切っての戦いで敗北を享受せずに済む可能性がある。しかし、その選択肢が思いつこうと、それを実行するだけの手腕も、方法も、このバジリオ王には――ましてマティアスが叩き上げていたお抱えの兵や、形だけはいるであろう将にも、分からぬのだ。
しかし今はマティアスがいる。わたしがいる。
ディオニスメリアの騎士団は個人技も磨くが、集団戦における指揮とて執れるようにと学び、訓練をする。その養成過程を終えているわたし達には確かに戦術を持っている。
「バジリオ王、あなたはサーレオーディの軍勢をどうなされたいのですか。
僕らは流れて旅をしているだけの身です、できることならば戦には関わりたくないのが本音です。
しかし、戦によって罪もない民草の命が散らされるのも見たいものではありません。
バジリオ王よ、あなたがどうなされたいかという想いを聞いた上で、助力をするもしないも考えましょう。
試すようなマネをして申し訳ありませんが、僕らは身分も立場もなく旅をする身。
この程度の無礼は飲んでいただきたく思います」
マティアスもやさしい。
それとも、ここのたるみきった兵士達を一番間近で見てきたからこそ、放っておけないのかも知れない。
しばしの逡巡を経て、バジリオ王は顔を上げてわたし達を見た。
「このドードテルドには、戦で一滴の血とて流させぬ。
そのためにこそ戦いへ赴き、敵を退かせることをわたしは望む」
ああ、この王は良い。
大きな野心や欲はなく、ただひとりの娘と、治むる民を愛している。
わたしとロビンより一歩前へ出ているマティアスの表情はうかがえない。
「心得ました。
ではこれより作戦会議としましょう。
サーレオーディと、このドードテルドの関係について、リアンに説明を。
ロビンに何人かの兵をつけて斥候に出させてください。
それから現在分かっている敵兵力と、この城の兵力について僕にお教え願いたい」
「結局なんだね……」
「ロビン、気をつけてくださいね」
そうして戦は始まる運びとなった。
サーレオーディはドードテルドにもっとも近い国であるという。
しかし、これまでに国同士の友誼を交わしたこともなければ小競り合いのようなものが起きたこともない。
ドードテルドは城下の一帯を耕作地とし、豊かに食料を作り続けてきた。
サーレオーディは自国より西の方面とよく小競り合いをしているということだった。サーレオーディは数年前に新たな王が世襲で玉座に就き、それからの戦は負け知らずだったらしい。ドードテルドはサーレオーディからすれば山脈を背にしたどん詰まりであり、侵略の意味はない。
そう思われていたが。
「ヴァネッサ女王に手ひどくやられたんだろうよ」
「ああ、あそこの女傑に重臣や、有力な将軍をことごとく殺されたのさ」
「で、国力も武力も落ち、起死回生の一打として食料事情から解決しようと、ドードテルドへ目をつけた……と」
引き連れてきた城の者は、冒険者ギルドへ足を運んだわたしをぎょっとしながら見ていた。
だが生の情報というのはやはり、広く世間を知っている者の方が通じている。目論みはあたり、冒険者にエール3杯をおごろうと言えば色々と教えてくれた。
しかも、次から次へとどんな些細な情報でもエール3杯は保証ということで、ギルドにいたほぼ全ての者達が嬉々として情報を提供してくれる。
このエール3倍をおごる代金はドードテルドに支払ってもらわねばなるまい。
平和にかまけて隣国の状況さえ調べようとしていなかったツケである。
冒険者は戦の火種が転がっていると知れば、その国へ移動をすることもあるそうだ。傭兵として戦に参加し、報酬をもらおうという算段で。
冒険者とはつくづく、何でもありのようだ。
冒険者ギルドの酒場で情報を聞き集めるのに随分と時間がかかり、その間に開戦とはならないかと心配になったが城へ戻ると杞憂と分かった。斥候に出ていたロビンが、兵のひとりを伝令に寄越して野営の準備をしていると報告をさせていたためだ。
およそ600の兵を揃えてきているらしい。
対してドードテルドの兵は200。
相手はこちらの約3倍もの兵力を持っていると見て、実戦の知らぬ一部の兵が目眩を起こしそうになっていた。
「カノヴァス殿、一体どのようにして、戦われるので……?」
「この地方に、戦争における礼儀はあるか?」
「は? ……戦争に、礼儀?」
マティアスの問いに情けない将がぽかんとした。
「冒険者ギルドに依頼し、堀を掘らせろ。それと男が横並び5人になって持ち歩ける、壁だ。その壁面には槍のように鋭い棒をつけて設置する」
「何故、そのようなものを……?」
「騎馬の突進を防げる。堀には穴などないかのように細工をし、そこに落とす。馬を捨ててこようと、壁で防ぐ。その壁を突破する敵兵のみを倒せと、冒険者をまた雇え。それをこのドードテルドの守りとする。大至急だ、朝までに堀と壁を作らせろ。分からぬことは僕かリアンにすぐ尋ねろ」
簡単な図柄を描いてマティアスの言った壁について教えると、兵が駆けていった。
「そしてここからが、攻めに関する話だ」
「どうやって3倍もの敵を討ち倒すのですか?」
「倒さない」
「は?」
「バジリオ王は城下において、一滴の血も流させぬと仰った。その上で敵を退かせると。
この戦におけるドードテルドの勝利条件は、サーレオーディの軍勢を撤退させることであって敵将を討ち取ることや、敵兵を殺し尽くすことじゃない」
「だがっ、これは戦争ですぞ?」
「最上の戦というものは、敵味方を問わずに死者を出さぬことです。
死人が出れば報復を叫ぶ者も出るでしょう、それはどちらが勝とうとも後の怨恨となって、また戦いに発展してしまいかねません。
血気に任せて突き進もうと、滅ぶのみですよ」
怯えているのに勇敢たらんとする兵士に説くと、ぽかんと口を開けた。
「リアンの言う通りだ。
武力衝突を否定はしないが、落としどころまで見据えて戦には臨まないといけない。
引き際を見誤れば、本来守れるはずだったものまで失うことになってしまう。それは誰も望まない」
「良い戦とは、血を流さずして勝利し、相手を従わせることです。
そのためには場当たり的に対処するのではなく、常に大局を見ることが重要なのです」
マティアスが編隊を指示する。
戦に必要な物資の用意を命じて、ドードテルドの防衛はわたしが視察に行った。冒険者の皆さんと、ドードテルドの市民が協力して作業に従事していた。
「なあ、あんちゃんかい? この戦で仕切り出してる3人組冒険者ってのは」
「ええ――おや、あなたは先日の」
不意に声をかけられて目を向ければ、バジリオ王の持つ光の剣について教えてくれた方だった。
「出世してるじゃねえかよ」
「あなたが光の剣について教えてくれた縁です」
「じゃあちょっとは報酬も俺に恵んでもらえるのかね」
「依頼を受けて働いていただいた方には、勝利の後にでも特別報酬を少しは出していただけるようお願いしましょうか」
「そいつぁいい」
「でも、あまり期待はしないでくださいね。作業、ご苦労様です。よろしくお願いします」
朝方近くまで防衛準備は続けられ、日が昇る数刻前には完成した。
同様にドードテルドの行軍準備も整い、マティアスが指示した各種物資も用意がされた。




