甘過ぎます
「ごほんっ……ソーウェル殿」
「おや、フゥルクン様。どうかなされましたか」
晩餐の後、夜風に当たろうかと中庭の修練場へ出るとフゥルクン様が出てこられた。
気配には気がついていたが、あえて気づかぬふりをしていたら咳払いをされたから振り返った。
「姫様のことを、何と心得られておられる?」
「お姫様ですか?」
「女性として誉められてはおられるようだが、姫様が向けられる好意に全く気がついておらぬとは言わせぬぞ」
やはり、この城の者は彼女に甘すぎる。
「ほう。では、わたしは彼女の心をこのままさらってよろしいのですか?」
「何を仰る」
「そう憤慨なされないでください。
残念ながら、わたしは彼女の好意に応えることはできません。
それに、あなた方もそうなってはいささか困ることはあるでしょう」
「む……。だが姫様のお心はどうなる。たぶらかされているも同然ではあるまいか」
「ええ、たぶらかしていますよ?」
「何と……ご自分の口が、何と言ったか正しく理解されているのか!」
「出過ぎたことをしています。その自覚はあります。
お姫様はいずれ、どこかへ嫁ぐか、婿を迎えられるのでしょう。
きっと、彼女のことを愛する素敵な殿方が、伴侶となるのでしょうね。
ですが、甘過ぎます」
断じるとフゥルメン様はまた、むっと顔をしかめた。
近くにいた兵も、怪訝な顔でわたしを見ている。
「彼女を甘やかしすぎです。
大切になさるのはよろしい。
それは良いのですが、あなた方は彼女をどうされたいのですか。
いつもにこにこと笑い、健やかに生きておられれば良いと?」
「それ以上の何が幸せだと言うのだ」
「そんなものは、彼女の等身大人形でも作りなさい」
「なあっ……な、な、ななっ、何を――」
「幸せを願うのであれば、彼女には自主性を養わせるべきです。
箱の中へ閉じ込めて愛でるだけならば人形で充分、それで良いと仰られるのであれば恥を知った方がよろしい。
ドードテルドを自由に散策する彼女の笑顔をわたしは見てきました。
あれはものをよく知らぬ者の純粋な好奇心による、眩しい笑顔でしたが、同時にわたしは心底不安にもなりました。
彼女は齢16を数える立派な婦女子だというのに、どれだけものを知らずにいるのかと!
あれではただの大きな子どもそのもの。そうしてしまったのは他の誰でもなく、この城のあなた方なのです。
本当に彼女の幸せを願うのであれば、彼女を人形のように愛でて保護するのではなく、彼女の意思をよく聞き、尊重し、その上で生じた困難にも彼女の力で立ち向かわせるべきなのです」
フゥルクン様は唖然とし、ぱくぱくと口を動かしていた。言葉は出てこない。
「人は生きねば輝きません。
彼女は生かされているのみです。
わたしがお姫様を突き放しているのは、意地悪ではありません。
彼女には失恋していただくしかありませんが、その過程で彼女自身に生きていただきたいと考えているためです」
「な、何を言っておられる? さっぱり意味が――」
「彼女がわたしに抱いてしまった恋心と、その恋路に手を貸すことはご遠慮していただきたい。
彼女が自身の頭をひねり、アプローチし、成就させようとしなければなりません。
失敗することもあるでしょう、無謀なことを考えつくかも知れません。
誤った手段を選び、危険にさらされることももしかすればあるでしょう。
しかし、その時にこそ、彼女を危険から守り、反省を促すのがあなた方の務めではないのですか。
手厚く保護して飾り立てて機嫌を取り、それでは彼女は生きながらにして腐る一方です。
大切にしておられるようですが、あなた方がしてきたことは彼女の自主性を取り上げ、考える力をなくさせているのみです。
よろしいですか、女とは守られるだけの存在ではなく、ここぞという時、何かを守ることに力を発揮することができるのです。
それができてこそ、良い女なのです。
そのためにはあなた方の過保護は邪魔なのです」
言いたいことを言わせてもらうと、フゥルクン様はまた魚のようにぱくぱくと口を動かしていた。
「失礼、少々、口が滑りました。
ですがわたしは、あなた方と同じように彼女のことを案じるひとりなのです。
麗しのレディーが、人として生きて輝くことを望んでいるだけなので、どうか多めに見てください」
明くる日、朝餉の席で困ったようにお姫様は周囲を見ていた。
顔を向けられた使用人は苦渋の顔で、それに背く。ううっと唸りながら、静かに食事が済む。
今日もマティアスは兵を鍛えるようだ。
ロビンは何だか眠たげで、今日も中庭の修練場の日溜まりでゆっくり昼寝でもするのだろうと見えた。
「ソーウェル様……」
さて、今日はどうなるものやらとのんびり身構えていたら、顔を赤らめたお姫様が寄ってきた。
遠巻きから使用人達はグッと拳を握り、彼女を応援するように熱心な視線を向けている。どうやら、昨日フゥルクン様に告げたことは周知されたようだ。
あの顔を見るに、堪えたのだろう。
「はい。いかがされましたか?」
「ソーウェル様か、コルトー様か、カノヴァス様の付き添いがあるのならば、刻限まで城下を散策をしても良いと許可をもらいまして……」
「ではロビンをお呼びしましょうか。
彼の鼻と耳は獣人族の中でもとびきり優れていますし、優秀な魔法士でもありますから、どのような事態にも対処をできます。わたしから彼に声をかけましょう」
「い、いえっ、ソーウェル様と、ご一緒に……行きたいと、思っていまして……」
ロビンの名を出しておいたら、驚いたように彼はこちらを見ていた。
けれどお姫様のさらなるアタックで、ほっとしたようだ。
「わたしなどでよろしいのならお引き受けしましょう」
「ほ、本当ですかっ?」
「ええ。しかし、わたしはこのドードテルドにはまだ詳しくはありませんので、エスコートには難儀してしまいます。そこだけ了承をしていただけるのであれば、喜んでおともします」
「かまいません!」
見守っていた使用人達は大袈裟にもハンカチで目元を拭っていた。
どれだけ過保護なのやら。
ドードテルドの城下を詳しくないとは言ったが、ロビンとともにお姫様を尾行していた時になるたけ頭に地理は叩き込んでおいた。
ついでに、お姫様と連れ立って城を出る前に――レディーの支度には時間がかかるからその暇を利用させてもらって――家から通いで城に勤め出ている者から、良さそうな店などを聞いておいた。
ご婦人のエスコートには姉や妹達で随分と慣れているつもりだ。抜かりはない。
「ソーウェル様、ソーウェル様がこれまで旅をされて見てこられた、外の世界のことを教えていただけませんか?」
「ヴェッカースタームのことは昨夜、お話いたしましたから……わたしの生まれ育ったディオニスメリア王国でのことと、このクセリニア大陸へ渡り、アイウェイン山脈を越えるまでのこととありますが、どちらがよろしいでしょう?」
「ソーウェル様にお任せします」
「ではディオニスメリアのことをお話いたしましょう」
すでにひとりで気ままに散策をしたためか、お姫様は城下の様子を見るのはおざなりだ。
彼女としては逢い引き感覚なのだろう。
取り留めのない話を熱心にお姫様は聞かれる。
あっちこっちへ話をわざと揺すってみても食らいついてくる。真夏に湧く蚊柱のように熱烈だ。いや、蚊柱は失礼すぎるか。申し訳ない。
意地悪は軽めにしておいて、父の治める領地の産業などを語った。
そう大きな領地を持つわけではないが、鉱山を所有している。その採掘で領地は潤い、過去20年において餓死者を出していないことを自慢しておいた。するとお姫様は、
「このドードテルドはそれよりも長い間、餓死者を出したことはありません」
と自慢し返してきた。
なるほど確かに、ここは平和な国だ。
民草に飢え死にする者を出さないのも充分頷ける。
それも少し問題だが――と、内心、ひとりごちた時。
「お、おい大変だ、サーレオーディの軍隊が来てるぞっ!」
平和極まりなかったドードテルドの城下は、そんな声とともに緊張と不安に包まれた。




