探れぬリアンの黒い腹
「そこ、一振りをおざなりにするんじゃない!
100本の素振り、その一度ずつで敵を一撃で切り伏せる渾身のものと思え!」
熱血指導ですねえ、と横でリアンが苦笑する。
そうだね、と返す。
ドードテルドのお姫様。
メルエロッサ・ドードテルドをお城に帰すと、是非ともお礼にとフゥルクンさんは僕達を城に招き入れてくれた。メルエロッサのお父さん――バジリオ・ドードテルド王は留守中らしい。王様が留守なんて珍しいと思ったけれど、そういう機会だからメルエロッサは城を抜け出して行ったようだ。
メルエロッサはお母さんを亡くしていて、バジリオ王も彼女以外は愛することはできないと側室を持たなかった。たったひとりの娘のメルエロッサはものすごく甘やかされながら育ってしまい、でも大切にされすぎて城の中で軟禁同然で、変わらない毎日に辟易としていた。
その折にバジリオ王の留守が重なって、大胆にもお城を抜け出していった。
ただひとり、メルエロッサを叱りつけることができたのは、バジリオ王だけだったから。ちゃんと戻ってきて、バジリオ王には内緒だと言いつけるつもりだったらしい。
でも、甘やかしてばかりの城の人も、今回のことにはものすごく驚いて、心配をした。
かなり心配をしていたらしい。
そんなわけで、甘やかしてばかりだった城の人達はメルエロッサに怒った。
代わる代わる家臣に叱られていって、メルエロッサは大人しくなった――かに思われた。
「ソーウェル様、あの……このドレス、どう思われますか?」
「おや、お姫様。これはこれは、素敵なドレスですね。ですが、あなたは華美に飾り立てなくてよろしいかと」
「どうしてですか?」
「あなた自身がどんな宝石にも見劣りしない美しさなのですから、あなたの美しさをより際立たせるよう、装飾品はある程度控えめにした方がよろしいかと」
「は、はい……分かりました」
顔をぽっと赤くし、メルエロッサは侍女を振り回すようにまた行ってしまう。
「リアン……絶対、勘違いしてるよ?」
「はて? 勘違いとは?」
「……リアンが男だと思ってるよ、きっと」
「ハハハ、わたしがこれぞ好漢というものを見せつけておけば、彼女がそんじょそこらの男にはなびかなくなって貞操がよく守られるというものですよ」
無茶苦茶なことを言ってる。
多分楽しんでるんだろうなあ。
「可哀想だよ、騙してるなんて……」
「騙してなどはいませんよ。彼女は知らないことが多すぎるだけです。
何も知らないというのは時に己の首を絞めることになります、無知が故に、それが罪業となることもあるでしょう。
これは彼女への試練のようなものです」
「……リアンがそんなのを与える権限はあるの?」
「老婆心ですよ」
「はぁぁ……]
「ため息なんてロビンらしくありませんね。修練に混ざってきたらどうですか?」
「リアンって、性格良くないよね……」
ぽろっと漏らしてしまった。
それから、あっと思ったけどリアンはにこやかに、いつものようにほほえむばかりだった。
バジリオ王はメルエロッサの家出騒動の翌夕に帰ってきた。
すぐに僕らのことを報告されたらしく、晩餐の席に呼ばれた。マティアスくんとリアンはこういうのに慣れてるからいいけど、僕はちょっと堅苦しいのは苦手だ。ちゃんとした服を着た方がいいのかなとか、マティアスくんに色々相談したけどそのままで問題ないと言ってもらえた。
旅をしている身分の相手に、正装は求めないのが礼儀らしい。
言われてみれば、確かにそうやりようがない。でも旅をしながら、誰かのところへ正式な求めを向かって行ったりする場合は、ちゃんと身なりは整えるべきとか言われた。難しい。
「――娘の危機を救っていただいたと聞いた。わたしからも礼を言わせてくれ」
晩餐が始まると、まずバジリオ王はそう言った。
立派なヒゲを蓄えた、肩幅の拾い人間族の王様。何だか、王様という雰囲気がよく似合う。そんな感じがした。
「いえ、礼には及びません。当然のことをしたまで――」
「マティアスが言うことではないでしょう」
格好をつけて返事をするマティアスくんは、リアンの言葉の刃でばっさり切り裂かれた。
言えてる。マティアスくんはメルエロッサを連れ戻すのに同行しないで、ひとりだけ先に光の剣を拝もうとしてた。ちゃっかり。ずるい。
「お姫様には、少々怖い体験をさせてしまいました。
その点はわたし達の失態です。礼を言われてしまうと困ってしまいます。
大切なお姫様を我々の慢心から怖がらせてしまったこと、申し訳ありませんでした」
「す……すみませんでした」
リアンがいきなり頭を下げ、僕も慌ててそれにならった。
「お父様、ソーウェルさんとコルトーさんを責めないでください」
「そのようなつもりはない。お二方とも頭を上げてくれますかな」
顔を上げてから、ちょっとリアンの横顔を見た。
何だかリアンのことはよく分からない。もう3年も一緒に旅して、学院でだって4年も一緒にいたのに。
「カノヴァス殿は我が兵に特別に手ほどきをしてくださっているのだったな」
「出過ぎたマネでしたか」
「いや、兵達は口を揃えて貴君が優秀な教官殿であると言っている」
「光栄です」
しばらく、堅苦しくて小難しい話が続いた。
メルエロッサは多分、面白がっていない。でもリアンはマティアスくんと一緒に、バジリオ王と小難しい話に興じている。
「お父様、お父様……」
農作物の収穫についての話題が一区切りすると、メルエロッサはたまりかねたように小声で父を呼んだ。それで何か、こそこそと耳打ちする。あれで隠しているつもりか分からない。僕の耳にはよく聞こえる。
「ソーウェル様のお話を聞きたいの。お願いだからそうして」
自分から言い出せないのは、恋心ゆえの恥じらいかも知れない。
何だかかわいい女の子だ。バジリオ王は少しだけ困ったように顔を歪めたけれど、娘には甘いようでそれとなく話を誘導した。
「あなた方ははるばる、ディオニスメリア王国より旅をしてきたと聞いている。
それまでの道中について、どうか外の世界に疎いわたし達にお聞かせ願えないだろうか」
「ええ、よろしいですよ。ではヴェッカースターム大陸でのことをお話いたしましょうか」
にこやかにリアンがそう返事をすると、メルエロッサの目は輝いた。
だけどリアンが語り出したのは、主に僕の故郷のことだった。金狼族の文化や、風習。そういったことを、僕に捕捉の説明を求めながら喋る。そして、その話の主役は僕だった。
メルエロッサの目は、すぐによどんだ。
彼女が聞きたいのはきっと、リアンの活躍だ。多分、僕は彼女の眼中にない。
それでまた、彼女はバジリオ王に耳打ちする。
「お父様、ソーウェル様のご活躍のお話を聞きたいの。お願い」
これまた、娘に甘いバジリオ王はこほんと咳払いをする。
「ソーウェル殿がなされたお話などはないのですか?
あなたの言葉には含蓄があり、にじむものがある。あなた自身のこともお聞かせ願いたい」
リアンは、にこやかにほほえんで、こう返す。
「いえ、わたしなどは一介の騎士崩れ。
あるいは世にごまんと溢れる冒険者の中のひとり。
語るべき武勇譚はわたしには塵芥ほども存在しません」
マティアスくんが何か言いかけたが、リアンのバジリオ王を見据える瞳を見て口をつぐんだ。
それを見てようやく、僕はリアンがメルエロッサを突き放しているんだと思い至った。




