ヤマハミとリュカ
「誰だ、セッカグマとか言っていたのは……! こいつはセッカグマじゃない、ヤマハミだぞ!」
ウリエンが叫ぶ。
後ろで見てろと命じられた俺は、前衛に出ていた2人がヤマハミってやつの腕の一振りで引き裂かれるのを見て思わず飛び出した。
見た目は白いクマ。
だけど目が赤くて、爪や牙がどす黒い紫色になっている。セッカグマってやつとは違うらしい。
「下がれ、リュカ! お前みたいな新人じゃ――」
血で表面の浅くなった雪の上を踏み、ヤマハミに向かう。
魔鎧と魔纏を使い、思いきり剣を振るった。白い毛皮。その下の筋肉が思ってた以上に固い。刃が通らない。魔纏をかけてるのに、魔物相手に刃が立たないなんて初めてだ。
ヤマハミが腕を振るい、剣で受けた。とんでもない力で剣を落としそうになったが、こらえた。でも雪に足が埋もれて、そのまま仰向けに倒される。さらにヤマハミが腕を振り落としてくる。また剣で受けたが、また深く雪に埋められてしまう。
「雪が邪魔――下がってて!!」
声が届いたか分からないけど、確かめる暇はなかった。
火の魔法を使って、ヤマハミへぶつけた。特大ファイアボールで押し飛ばす。炎の熱で雪は溶けたが、溶けきってはいない。それにヤマハミは毛皮を僅かに焦げさせただけで大したダメージになっていなかった。
地面の雪はまだ残っているが、踏んで沈むということはない。でも、ひどくぬかるんだ。それが少し不安になるけど迷ってる暇はない。
魔力を思いきり込めて、今度は風魔法。ウインドブロー。
俺は難しい魔法は使えないけど、誰でも驚くぐらいの魔力がある。それを最大に放出しながら、風の力でヤマハミを抑えようとした。そして全力で、剣を突き込んでいく。
「グゥゥワァアアアアアアッ!」
ヤマハミが唸った。
風をものともせずに俺の突き出した剣を叩いてくる。片腕でだ。
さらにもう片方の腕で、俺を抱え込むようにしてくる。踏ん張ったが、顔が迫ってくる。変な色の牙が、目につく。魔鎧のかかってる左腕をわざと噛ませてやろうとしたけど、牙が突き立てられると痛みが奔った。魔鎧がかかってるのに、噛まれた。
「痛ぃっ――」
かみちぎられる。
右手に握っている剣を、思いきり突き立てようとした。でも固い。刃が通らない。
何も考えないで、ただ魔力任せにファイアボールを発動した。3つの、いつものサイズをぶつける。火にはたまりかねたのか、俺は放り出された。
左腕は、まだついてた。だけどすごく痛い。痛いどころじゃない。とにかく痛い。
ぶら下がってるだけで、千切れるんじゃないかっていう痛みがある。血が止まらない。
「ふっ、ふっ、ふっ――」
「ガァァアアアアアアアアアッ!!」
怒り狂った声がした。
ヤマハミが、まだ燃えている魔法の中を走ってきた。腕――じゃない、前足と、後ろ足で、走って突破をしてきた。
俺の魔法は、こいつに効かない?
サントルにもらった剣を、握り直す。
右手だけで、突進してきたヤマハミの横顔にポンメルを叩き入れた。だけど頭突きのようにぶつかられて俺の体も吹き飛ばされる。左腕が、痛い。体がひきつる。痛い。動けない。
ヤマハミは猛然と、向かってくる。
赤い目が光っている。
ウリエンも、他の皆も、いつの間にかいない。
俺だけ取り残された――? どうして? 仲間に、入れてくれたのに。
「っ……」
痛い。左腕が、痛すぎる。
それを、歯を食いしばって我慢する。
俺はもう首輪をつけられた時の俺じゃない。
レオンにいっぱい、色んなことを教えてもらった。サントルにたくさん、教えてもらった。
盗んだり物乞いしたり食い逃げしたりするしかできない俺じゃない。
あの日に、カハール・ポートの港で見た、レオンになるんだ。
普通の人の絶望なんかは、絶望にならない、強い姿になってやるんだ。
左腕が痛いなんて。
皆が逃げちゃうくらいの相手だって。
俺は、逃げない。
誰より強くなるんだ。
困ってる人は皆助けられるくらい。
「だから、負けられない――」
ヤマハミが口を開いた。
また、俺を噛もうとしている。その口の中に、剣を突き込む。
鋭い牙が噛んできて、止められた。
そのまま持ち上げられ、振り飛ばされる。両足でちゃんと着地して、その勢いでまた駆け出す。
『頭を使って剣は振るえ、ポテンシャルはあるんだ』
王都ラーゴアルダで会ったイアニスの言葉を思い出した。
ヤマハミの振り回す前足――腕? をかいくぐる。
避けられないのは、受け流した。片手で持つからどうしてもぶっ飛ばされちゃうから、わざと力で受け止めるんじゃなくて、すり抜けられるように流す。この体がのデカさはレオンの槍の時の間合いとほぼ一緒。
振り回される腕だって、レオンの槍捌きには劣る。
理解る。
どう動いてくるかの予測がつく。
剣を振るう。やっぱりダメージにはならない。
でも、あいつは火で怒った。あれから、さらに激しくなった。嫌ってことは、効いてるのかも知れない。
『お前、ほんっとに猪突猛進だな……』
ロジオンの家でレオンハルトに勝負してもらった時の言葉も思い出す。
ちょとつもーしん、はイノシシみたいに頭から突っ込んでいくしかできないこと。つまり、今のこのヤマハミってやつと同じ。
まっすぐにしか来ない。
すごいパワーで反応も速いけど、単純だから次にどうなるのかも見えやすい。これが、ちょとつもーしん。怖いけど、怖いのはパワーとスピードだけ。
ちょとつもーしんは、怖いけど、そこまで怖がらなくてもいい。
頭を使えばいいんだ。頭突きじゃない方法で。
ヤマハミが繰り出した振り下ろすようなパンチ。後ろに避けるが爪まで避けられなくて頬に痛みが奔る。血が滴り落ちるのも感じた。あんなのを普通に受けたら骨ごとぺしゃんこになる。それだけ重くて、強い一撃。勢いが乗ってるんだ。
連続でヤマハミは、その攻撃を繰り出してくる。
今度は爪も受けないように大袈裟に避けていく。でもこのままじゃいけない。
何とかして、こいつの攻撃を止めないと。
でも一発が強すぎるし、どうやったって俺じゃダメージらしいダメージを与えられない。
足が、不意に滑った。溶けた雪のせいで地面がどろんこになってる。そのままひっくり返り、仰向けになった。
ヤマハミがまた、腕を振り下ろしてくる。あっと思って、思いついたままに剣の柄を地面に押し当てた。剣先を向かってくるヤマハミの手へ向ける。
俺の頭くらいある大きな手が、肉球と爪があって、甲の方には毛の覆われているヤマハミの手が、剣で貫かれた。
こいつは頭を使ってないんだ。だから、こんなのに引っかかったんだ。
そう思うと力が湧いてくるような気がした。
だけど怯んで前足を振り上げられたせいで、突き刺さった剣を持ってかれる。赤い目が、俺を見る。武器がないのは、ピンチだ。
「う、ああっ……!?」
慌てて後ずさった。剣の刺さってない方の腕を振り下ろされた。
避けられない。じゃあ、じゃあ――魔法!
火を起こす。
ただのファイアボールじゃ、どれだけ大きくしたってダメージにならない。もっと威力を上げなきゃダメなんだ。火をもっと強くするためには――風?
レオンが自分で火を起こす時はいつも息を吹きかけてた。小さい種火に息を吹きかけたら、それが大きくなって燃え移っていった。風は火を大きくする。だったら、この火に風をあげればもっともっと、強い火になる。
「グゥオオオオオオオオッ!」
炎の中を、ヤマハミは走る。
もう火に慣れたのかも。だけど、ここからは違う。
風魔法を起こす。ただ吹かせるだけじゃ消えちゃいそうだから、調整をしながら風を起こしていく。火を風で閉じ込めて、竜巻にしていく。もっと燃えろ、もっと吹け、もっと大きくて強い炎になれ。
ただ丸くなった火から発生した炎が、風の渦巻きに飲み込まれて明るくなった。
火の粉が散り、舞い上がる。その中心で炎が膨らみ、高く、塔のように伸びていく。ヤマハミはその中へ囚われている。
燃える。
燃える。
燃える。
魔力を風に変え続け、膨らませていく。
その分だけ火は猛った。あのヤマハミが、身動きを取れていない。火のせいでちゃんとは見えないけど、これだけやっていればきっと効いている。
魔鎧を使う。
息を整えてから、魔法を止める。すぐには収まらないはず。
今、仕留めるんだ。
駆け出す。炎の中へ走り出す。
まっすぐ行って、まっすぐ叩く。
違う。それじゃあダメだ、と頭が反対した。もっとちゃんとやらなきゃ。カクジツに、やらなきゃ。
ヤマハミの姿が間近に迫る。炎の中で、影のように揺らめいて見える。
向こうからも見えている。こいつはおかしいくらいに強い。この程度の火じゃ、ダメージになっても俺のまっすぐの攻撃じゃ通用しない。
ヤマハミが腕を振り下ろしてくるのを見て、真横に跳んだ。
それからまた跳ぶ。見えたのは、まだ突き刺さっていた俺の剣。跳んだ勢いで手を伸ばし、ヤマハミの手に刺さっている剣の柄を握った。魔纏をかけ、そのまま振り切った。ヤマハミの手が切り裂かれる。裂いた肉の身みたいに。
炎が消えようとしている。
どこかへ逃げるように薄らいでいる。
ヤマハミの赤い目が、俺を見た。
左腕を振り下ろしてくるのを、右手だけで握った剣で迎撃。力負けする。ぬかるみで足が滑って、押し流された。俺の踏ん張った足跡が地面に2本の線になって残る。
ゆっくりとヤマハミは後ろ足で俺に近寄ってくる。こいつは前足もないとちゃんと走ることもできないんだ。
俺は息が切れる。吸っても吐いても、短くなっちゃう。良くない呼吸だと知ってる。ゆっくり、長く呼吸をしないといけないけど、どうにかしなきゃと心が慌てて、気持ちが急いでしまう。
睨み合う。
このままじゃ負ける。
火でもダメだった。風で膨らませても、ダメだ。
剣は取り戻せたけど、まだダメだと思う。
ヤマハミが近づいてくる。
毛皮はもう焼けてしまって、ところどころに白いのが残るだけ。ヤマハミは全身が禿げて、血が滲んで、傷ついている。でも、倒れるほどじゃない。決定的な一撃を与えないとダメだ。
冷たい風が吹いた。
白い息がそれに乗って消えていく。
冷たい風は、ヤマハミの体から絶え間なく白い煙みたいなものを垂れ流させている。
毛皮がなくなったから、あいつのあったかさが剥き出しになっているんだ。
「ガァッ!!」
短くヤマハミが吼える。
左腕を振り回すようにして襲ってくる。後ろに下がりながら、避けきれないのは剣で受け流していく。少し受けただけでも、手が痺れる。伝わった衝撃が俺の左腕に伝わると、その度にビリビリと痛みが奔った。
怒りながらヤマハミは大きく、真上から振り下ろしてきた。
横からそこへ剣を叩きつける。大きく胸のところが空いた。隙だ。剣で刺し貫こうとしたが、また足元がどろっとすべる。土魔法で、補強する。踏み込みやすく、滑らないようにして、力を込めた。
固い筋肉に剣が刺さる。
切っ先だけが刺さり、でも止められてしまう。
デカいヤマハミの左手が、俺の背へ回された。顔が迫ってくる。また噛まれる。次はない。
ダメだ、これじゃ、死ぬ、負ける、頭を、使え!
足元を固めていた土魔法で、俺の体そのものを押し出させた。木がいきなり生えたかのように、地面から長いブロック状のものをせり出させる。俺の筋力じゃ、魔鎧を使っても貫ききれない。だから、魔法でさらに後押しする。
牙が触れた。
でも噛みちぎられるより速く、剣が深々と刺さった。
固かった一点を過ぎると、いきなり剣は突き抜けて鍔で止まった。貫いたままの剣を、手首を使って抉るように回す。俺はサンドイッチの具みたいに、ヤマハミと、足を乗せている土の支柱で挟まれている。土魔法をやめると、ぼろぼろと崩れていって俺の体も落ちた。
そこへ、ぐらりとヤマハミが倒れてくる。
剣を抜けずに下敷きになる。まだ動いているが、起き上がれないでいるみたいだ。
勝った。
勝てたんだ。
頭を使ったら、勝てた。
『お願いがあるんだけど……』
『お願い? 何だ?』
『ずっとの、仲間にはなれない。
でも早く一人前になりたいから、ちょっとだけ入れて教えて』
『ちょっとだけって……そのレオンっていうのに愛想尽かしたんじゃないのか?』
『でも……決めてたから。俺はレオンについてくって』
全身が痛い。重い。
ちょっとだけ、ヤマハミであったかい。
瞼が重くなった。
レオンに近づけたら、もうエノラに意地悪するなって言って、ちゃんと聞いてもらえるかな――?




