飛び出したリュカ
雪原の向こうにうっすらと、建物が見えた。
しんしんと降る雪で、また帽子を買い忘れたと内心でずっと嘆いていたがその憂いも吹き飛んだ。
「あれはザラタンヤ。普通の町」
「いいから早く行くぞ」
「寒い……」
俺とリュカはエノラの説明を無視し、雪をざくざく踏みしめながら歩いていく。
すでに積雪は踵の上どころか、脹脛の高さになっている。早いところ、あったかい部屋でゆっくり休みたかった。
町の入口のアーチをくぐると、ちゃんと雪かきがされていた。
歩きやすい。最初こそリュカも初めて見る雪にはしゃいでいたが、半日でその元気は消えていた。今は逆に雪がない地面というものの快適さに感動している。俺も頬ずりしてキッスしてやりたいくらい、雪のない地面に感激している。
「とっとと宿取ってメシだ、メシ。こういうとこならきつーい酒もあるだろうし、それ飲んで寝るぞ」
「メーシー!」
「じゃあ冒険者ギルドに行けばいい。宿も教えてもらえる」
「便利だな、冒険者ギルド」
早速、冒険者ギルドを探して入ると、むわっと暑いくらいに熱気があった。
酒と料理の臭いが何とも腹をすかせてくる。マントやら頭やらブーツやらに入っていた雪がすぐに溶け、びしょ濡れになったが誰に注意をされることもなかった。冒険者支援窓口に行って、宿をいくつか教わってすぐに向かう。
リュカは腹が減ったと喚き出したが、宿まで我慢しろと言い聞かせた。
そうして駆け込んだ宿で、俺は悪戯心がむくりと鎌首をもたげる。
「3名様ですね。お部屋はどうされましょ?」
恰幅の良い女将に尋ねられる。
「とりあえず一部屋、2人で」
リュカの肩を組んで寄せる。
ふっ、エノラの雇用は山脈越えのガイドだ。その間は3食をくれてやってもいいが、宿まで用意してやる必要はない。つーか、山脈越えもしてないのに当然のようにメシはくれてやってたし。
だが、町に着いたとなればメシを食うにも金がかかる。
オオユキウサギの肉はタダだが、宿や食堂で出される食事には金がかかる。だから、ムカつくエノラなんぞには町では恵んでやらんっ!!
「そちらのお客さんはお連れさんじゃないのかい?」
「連れだけど別枠なの。面倒見る覚えはねーの。そうだよなあ? ガイドさん?」
「……ケチ」
「ケチでけっこう」
「山脈までの道も案内してるのに」
「野宿してる時はメシ食わせてやってたろ。それで貸し借りはなしだ」
「っ……」
言い返す言葉なはいようで何より。
気分がいいぜ、ハッハッハ。
「……レオン」
「あん? どうした、リュカ」
「何でレオン、そんな意地悪してんの?」
「えっ?」
非難がましい目をリュカに向けられる。
おいおい、どうしてお前がそんな顔するんだよ。
「…………」
じいっと、リュカが俺を見ている。
似つかわしくない、むずかしーい顔をしながら。
別に俺は聖人君子じゃねえぞ。
面白おかしく愉快にいられりゃあそれでいいんだ。エノラが不愉快だからからかって遊んでやろうと思ってるだけであって、別に意地悪してるとか、そういうんじゃないだろう。
それに不愉快つっても、本気で嫌いだったらとっととはり倒すなりして同行させてねえし。
なのに。
リュカにこんな目え向けられると、ちょっと胸が痛む。
「いいか、リュカ。世の中、うまい話はないんだ。
こいつはガイドとして、一緒に来てるだけだ。で、3食はくれてやろうって契約だ。
でもこうして町に着いた以上、そのガイドの仕事も一旦は休みでなくなる。てことは、養ってやる必要はない。
分かるだろ?」
「じゃあ俺は? 何でレオンに全部お金とかやってもらってんの?」
「お前は別枠だろ」
「…………」
納得してない顔だ。
へそを曲げたとしたら面倒臭くなりそうだ。
と、静かに、リュカの視界から外れているところでエノラがぽんと手を打っていた。
にやーっと悪どい笑みが浮かび上がっていく。
「リュカ」
「ん?」
エノラに呼ばれたリュカが振り返る。
「じゃあ、リュカが個人的にあたしを雇えばいい」
「やとう?」
「いくら持ってる?」
「銀貨3枚」
「それだけあれば超余裕。
このケチと違ってリュカは心優しいから、あたしのために部屋を取って、食事を恵む。
そうすればそのもやもやとはおさらばできる」
「おいこら、うちのリュカにバカなこと吹き込むな」
「あたしを雇ったら肩たたき券20枚がもれなくついてくる。お得な話」
「んなもん保護者権限でクーリングオフだ」
あれ、クーリングオフなんて制度はさすがにないか?
いやいや、どちらにせよ、こんなのはただの妄言だ。従ってやる必要はないし、そうする意味もないんだとちゃんとリュカに言ってやらねば――
「そういう問題じゃない!」
床板を踏み鳴らし、リュカが怒鳴った。
女将が飛び上がるんじゃないかというほど驚いていた。
「おい、リュカ……?」
「俺、レオンはそうじゃないと思ってた!」
俺を睨みつけて言うなり、リュカは宿を出て行ってしまう。
「おい、リュカっ!」
すぐに俺も出たが、魔鎧を使って走り去られてしまうと追いかける術がなかった。
一足の跳躍で雪の積もった屋根へ上がると、そのまま屋根から屋根へと飛び移っていった。
「……あーあ、振られちゃった」
ぽんと肩を叩かれる。
エノラが同情にしては無礼すぎる、毒を含んだ目をしている。
それを振り払い、宿に戻る。
「とりあえず、一部屋、2人分で。この女じゃなくて、さっきのバカとだから間違えないでくれよ」
女将に言って、部屋に案内してもらった。
腹が減れば戻ってくるだろう。外は寒いし、すぐに頭も冷えるはずだ。
戻ってきたら、メシを食えばいい。
腹は俺もけっこう減っているが、待っておくことにした。
ノックの音がしたのは、腹と背中がくっつくんじゃないかと思うころだった。
のろのろとベッドから起き上がる。ようやくリュカが帰ってきたか。ノックなんてもんを覚えやがって。しおらしくなったもんだ。空腹はよほどこたえたんだろう。
「へいへいっと、頭は冷えたか……よ……て、お前か」
エノラだ。
いつもの半目で俺を見ている。
「お金がないから放り出されたら凍死するしかない」
「だったら今からウサギの毛皮でも剥いできて換金したらどうだよ。一晩、ギルドの酒場にいりゃあいいだろ」
「事情があってギルドの支援は受けられない」
「はあ?」
「だから助けてほしい」
「またかよ……。今度はどんな、思わせぶりな台詞を吐くんだ?」
「思うに、リュカはレオンハルトに幻滅している」
「だからどーした。腹が減れば帰ってくる」
「帰らない」
「帰る」
「帰らない」
「何でお前が言いきれる。お前はあいつの何を知ってんだよ」
「だってレオンハルトはリュカがああして怒った理由を分かってない」
「……分かってないなら何だよ」
「また同じことを繰り返して、リュカはいつか、二度と帰らなくなる」
「何をバカ言ってやがんだか……。そうだとして、それが何だよ?」
「だからあたしがリュカとの仲を修復できるようにはからう。
その代わりに、同行してる間は色々と便宜をはかってもらいたい」
「やなこった」
「何で」
「そんな心配は必要ない。腹が減ればリュカは帰ってくるだろうし、そしたら何で怒ったのか、ふつーに訊いてやればいい。それで解決。お前の出る幕はない」
「……やっぱり、それだと繰り返し続けることになる」
「どんな根拠があって言ってんだ? ああ?」
「だってレオンハルトは人を信じてない」
「はあっ?」
「嘘だと思うなら、一晩待てばいい。リュカは多分帰ってこない」
エノラは何か確信めいたものを持っている。
それが少し、俺の心を不安に揺り動かしてきた。
「勝手にわめいてろ」
だけど杞憂だ。
何だかんだで、リュカとは2年か3年か、ずっと旅してきたんだ。
ドアを閉めてまたベッドへ腰掛けた。
いい加減、空腹がヤバい。早く帰ってこいと願いつつ、そう言えば俺にここまで反抗的で、自分から離れていったのは初めてだと思った。
『……キミは他人を信用しない人間なんだな』
『だってレオンハルトは人を信じてない』
イアニス先輩に言われたことが、不意に思い出された。
それからついさっき、エノラにも言われた言葉も。
バカらしい。
俺のどこが人間不信なんだ。
苛立つと、また腹が減ってきた。座ったベッドで横になる。
リュカは帰ってこなかった。




